愚慫空論

『Homo Deus: A Brief History of Tomorrow 』

更新間隔が間延びしています
時間がないからなんですが....

近頃はブログに費やす時間が短くなっています
単純に 書くスピードがあがった

特定スキルの習熟には一万時間が必要という説があります
真偽のほどはさておき ブログを書くのに費やした時間は 
もう そのくらいになってもおかしくないのかもしれません (^o^)/





先週のNコメです
43分あたりから 本が紹介されています
洋書ですけれど



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『世界一うつくしい生物図鑑』



図書館から借り出させてもらいました

美しい
確かに美しいです

美しさには しかし 

 冷たいもの
 温かいもの

のふたつがあることを考え出させてくれる本でもあります


「愛は伝染する」と題された冒頭の文章のその冒頭

「バイオフィリア(BIOPHILIA)」とは、自分以外の生命とのかかわりを本能的に意識することを意味する。わかりやすく置き換えるなら、「生命愛」といったところだろう。最初のこの言葉を使ったのか、精神分析学者であり哲学者のエーリヒ・フロムだ。彼の著書『破壊――人間性の解剖』のなかで、「バイオフィリア」とは「生命および、生き物としていけるものすべてに対する強い愛情」と定義されている。

(略)

ヒトは生態系の食物連鎖の頂点に立つ一方で、他の生き物に対する愛情を本能的に持ち合わせている。植物や人間以外の動物から刺激や充足感を得ることができない人や感謝の気持ちを抱けない人を私は見たことがない。もしもそんな人がいるなら、きっと哀れで惨めな人間か、単に邪悪な人間に違いない。



著者の文章でしょう
熱量のある文章です

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『知られざる天皇明仁』



こんな本を読んでみようと思ったのは もちろん 昨年8月の「お言葉」があったから



ぼくはもともと 今上天皇には好感を持っています
先の昭和天皇にはなかった感情です

その姿を見るにつけ いつも思うのは

 「この人は ずっと畏まってきた人なんだな」

ということ その姿勢がその身体ににじみ出ているような気がしています

その人が自らに課せられている「役」についての気持ちを語った
当人にとっては素直な言葉だったのだろうと思うのだけれど
そのことは 身体が映し出しているんだけれども
とはいえ 言葉をそのまま素直に受け取ることができない環境がある
そうした環境の中に生きいてるぼく自身がいる


その佇まいから表出されているものと
その言葉を受け取る文脈のギャップ

そんなギャップを埋めるには 言葉を発した人の為人(ひととなり)を知るのがいい
本書は そのギャップをかなり小さなものにしてくれます

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Z会

Z会というと あのZ会です



大学受験通信教育の大御所?

なぜZ会を記事で取り上げるのか?
前々回取り上げたような「オススメ」の意図があってのことではありません


ぼくがZ会の存在を知ったのは 高校3年生の時でした
クラスメートがやっていたんです

記憶はどこかに飛んで行ってしまっていますが
おそらく受験勉強の仕方などを話し合っていたのでしょう
話の弾みで「Z会」という名前が出てきた
ぼくはその存在をまったく知らなかったので 「なに それ?」と尋ねました

クラスメートは 「え? 知らないの?」といった顔をしたのを覚えています
あとで周囲に尋ねると 大半の者は存在を知っているようでした
男子は相当数が受けていたみたい

今も昔も ぼくの勉強法は独学が主です
学校に通ってはいましたが あまり誰かに教わったという覚えがない
英語だけは別でしたけれど

中学の時に母親が「進研ゼミ」を取ってくれたのでやってみたんですが
つまらなくて放り出してしまった
それ以来 通信教育なんてぼくには役に立たないと思い込んでいました

クラスメートはZ会のテキストなども見せてくれました
内容が濃いのにビックリ
お願いをして テキストを全部 コピーさせてもらいました
市販の問題集や学習参考書より ずっと役に立ちました
問題解答の添削は 職員室へ押しかけて 教師にやってもらいました (^o^)

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『サピエンス全史』その14~宗教という「隠蔽」

『その13』はこちら (^o^)っ リンク

 


今日、宗教は差別や意見の相違、不統一の根源とみなされるとが多い。だが実は、貨幣や帝国と並んで、宗教もこれまでずっと、人類を統一する3つの要素の一つだったのだ。社会秩序とヒエラルキーはすべて想像上のものだから、みな脆弱であり、社会が大きくなればなるほど、さらに脆くなる。宗教が担ってきた極めて重要な歴史的役割は、こうした脆弱な構造に超人間的な正当性を与えることだ。宗教では、私たちの方は人間の気まぐれではなく、絶対的な至上の権威が定めたものとされる。そのおかげで、根本的な法の少なくとも一部は、文句の付けようのないものとなり、結果として社会の安定が保証される。

従って宗教は、超人間的な秩序の信奉に基づく、人間の規範と価値観の精度と定義できる。これは、2つの異なる基準がある。

1.宗教は、超人間的な秩序の存在を主張する。その秩序は人間の気まぐれや合意の産物ではない。プロ・サッカーは宗教ではない。なぜなら、このスポーツには多くの決まり事や習慣、奇妙な儀式の数々があるものの、サッカー自体は人間自身が発明したものであることは誰もが承知しており、国際サッカー連盟はいつでもゴールを大きくしたり、オフサイドのルールをなくしたりできるからだ。

2.宗教は、超人間的秩序に基づいて規範や価値観を確立し、それに拘束力があると見なす。今日、西洋人の多くが死者の霊や妖精の存在、生まれ変わりを信じているが、これらの信念は道徳や行動の基準ではない。したがって、これらは宗教ではない。

宗教は、広く行き渡った社会秩序を正当化する能力を持っているとはいえ、そのすべてがこの能力を発揮するわけではない。本質的に異なる人間集団が暮らす広大な領域を参加に統一するためには、宗教はさらに2つの特性を備えていなくてはならない。第一に、いつでもどこでも正しい普遍的な超人間的秩序を信奉している必要がある。第二に、この信念をすべての人に広めることをあくまで求めなければならない。言い換えれば、宗教は普遍的であると同時に、宣教を行うことも求められるのだ。



長々の引用になってしまいました。
もはや「引用」の範囲を超えてしまっているのかもしれませんが
宗教とはどういったものかを示す極めて凝縮された文章で
落とせるところがありません



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写真フリー素材



今回は「写真AC」というサイトの紹介記事

上の画像はもちろん「写真AC」というところからダウンロードしたものです

無料写真素材を提供する「写真AC」のフリー写真素材は、個人、商用を問わず無料でお使いいただけます。クレジット表記やリンクは一切不要です。Web、DTP、動画などの写真素材としてお使いください。



「写真 フリー」あたりのキーワードで検索すると、いくつもサイトがヒットして
「写真AC」はそのなかのひとつ

ぼくは「写真AC」を使っています
それも有料の登録をして使っています
過去の記事にもいくつも使わせてもらっています
まあ 気分が向いた時に 極めてテキトーに貼り付けているだけなんですけど

「写真AC」の紹介とか言いながら
実は似たようなサイトならどこでもいいと思います
というか ぼくには違いがわかりません
フリーの素材を探していて どういう理由だったかは忘れましたけど
たまたま「写真AC」を使い出すようになった

たまたまです
それ以上に理由はありません
 
たまたま紹介するのは「写真AC」ですけど
そのようなサイトを紹介するのは
そのビジネスモデルがいいと思うから




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再掲載:貨幣は必要か

今回はコメント欄の流れを受けて
過去記事に若干の注釈を付けて再掲載することにします

 愚慫空論 『貨幣は必要か?』

貨幣は虚構です
それも最強の征服者です

ぼくたち〔人間〕はもはや貨幣なしでは〔社会〕を維持していくとができませんし
〔社会〕を維持できなれば「信用」を調達できません

貨幣は〔社会〕を秩序づけて「信用」を供給しますが 同時に、
サピエンスが持つ〔ヒト〕としての部分 
すなわち 身体性を抑圧する働き も持ちます

身体性の抑圧は「信頼」の調達を阻害しますが
これはサピエンスの生来の性質を阻害することと同じです

サピエンスは社会的な生き物です
それも 一般にいう「動物的」に社会的なだけではなく
 「信頼」を頼って生きる部分
 「信用」を頼って生きる部分
の二重の社会性をもつ
一般的に「社会的」というと 後者を指します

後者が生まれたのは認知革命以後だと考えます
ゆえに 前者を〔ヒト〕 後者を〔人間〕と改めて定義づけることが出来ると思います


ぼくは『貨幣は必要か?』の中において
貨幣を「属人的なもの」へとイノベーションせよと主張しています
そうすることによって 貨幣の「信頼」阻害要素が減ると考えるからです


「信用」は「単純なもの」を基盤にします
貨幣がその最もたるものです
一方 「信頼」は「複雑なもの」を基盤にしようとします

「信用」は静的で ゆえに外部的であり 確固として基盤と為すことができる
「信頼」は動的で ゆえに内発的であり 確固として基盤になすことはできない
できないしようとすることはできる」のが「信頼」です


「信頼」とは 自身の内発性を基盤にして外部へと発展させていこうとする営みです

「〈自然〉の成長」とは 「信頼」を発展させていくことにほかなりませんが
そもそも「信頼」には型がない
「信用」は型がないと成立しませんが
「信頼」は型にはまった時点で「信頼」ではなくなります
なにをどのように信頼するのかは、その人の個性によります


付け加えます
 
 「信用」に拠ってアイデンティティを調達しようとする営みを自己愛
 「信頼」を発展させていくとによって
  アイデンティティを逓減させていく営みが自愛

というふうにいうこともできるかと思います


では 過去記事を再読してみてください


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『鋼と羊の森』

最近のぼくは 小説熱が高くなっています。



『鋼と羊の森』

前から気になっていました
小説熱が高まる前から

タイトルがいい
「鋼」「羊」「森」
どれもそそられる言葉
ピアノ調律師の話だなんて 知りませんでしたけど

このタイトルにそそられた頃は小説熱は高くなかったので
自前で購入してみようと思いませんでした

で 最寄りの図書館へ貸し出し予約
相当の予約件数が入っていたみたいで 忘れた頃に連絡が来ました


読んでみて よかったです

「ふつう」の物語
ありきたりという意味の「ふつう」ではなくて 
いのちあるものそれぞれがみな ふつうに違うような意味での「ふつう」

いえ いのちあるものだけではない
ピアノにはいのちはありませんが でも 個性はある
モノにも個性があって それを活かすことが自らが〈生きる〉こと
そして それは「ふつう」のこと

そういうお話しです

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『サピエンス全史』その13~自己愛の起源

『その12』はこちら (^o^)っ リンク

 


遅々として進まない『サピエンス全史』シリーズですが
進行をさらに遅らせてしまうことになりそうです (^_^;)

今回は 本の流れを遡ってしまいます....



愛とは 何か?
難しい問いです

なぜ難しいかというと 愛はそもそも言葉にならないものだからです

言葉には 言葉にならないものさえも言い表すことができるという特性がある
言葉はデタラメだから そういうことができてしまいます


愛そのものを言い表すことは 不可能です
とはいえ
「愛」と言葉(記号)で指し示される「なにものか(内容」)はあるように思える


言葉の特性のひとつとして

 言葉で指し示された「なにものか」は 実在するように思えてしまう

ということがあります


そもそもの言葉は 実在物に対する「名づけ」でした
そして そうした意味における言葉は サピエンスだけの所有物ではありません

それはこの世界で初の言語ではなかった。どんな動物も、何かしらの言語を持っている。ミツバチやアリのような昆虫でさえ、複雑なやり方で意思を疎通させる方法を知っており、食物のありかを互いに伝え合う。また、それはこの世で最初の口語言語でもなかった。類人猿やサルの全種を含め、多くの動物が口語言語を持っている。たとえば、サバンナモンキーはさまざまな鳴き声を使って意思を疎通させる。動物学者は、ある鳴き声が、「気をつけろ! ワシだ!」という意味であることを突き止めた。それとはわずかに違う鳴き声は、「気をつけろ! ライオンだ!」という警告になる。研究者たちが最初の鳴き声の録音を一群のサルに聞かせたところ、サルたちはしていることをやめて、恐ろしげに上を向いた。サピエンスはサバンナモンキーよりもずっと多くの異なる音声を発せられるが、クジラやゾウもそれに引けを取らないほどみごとな能力を持っている。



言葉がデタラメになったのは認知革命以降です

認知革命以降のサピエンスがあやつる言葉は 
非実在の「なにものか」にすら 「名づけ」ができるようになりました
そして 「名づけ」によって 
非実在の「なにものか」があたかも実在してるように感じるようになった

この

 非実在の「なにものか」があたかも実在してるような感じ

のことを ぼくは

 実感

と呼ぶことにしています
「実感」は 実在するものへの感覚を意味するのではありません
ですから ほんとうは「虚感」と呼ぶのが正確なのかもしれません

実在するものへの感覚のことは 「身体感覚」と呼ぶようにしています

では 愛は実感(虚感)なのか?

ここが難しいところです

愛には 

 身体感覚としてのものと 
 実感(虚感)としてのものの

の2種類があります

 前者が 自愛
 後者が 自己愛


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虚構の使い方

毒多さんのところで紹介されていた動画



思ったところを表現してみます


目隠しをして 次のようなメッセージを掲げています



挨拶と名乗りの次に アラブ系のアメリカ人だと自己紹介
そして

I Lile many People
  Black  (黒人)
  Brown (有色人種)
  Women (女性)
  LGBTQIA (セクシャルマイノリティ)
  LATINX (ラテン系アメリカ人)
  MUSLIM (イスラム教徒)
  JEWISH (ユダヤ教徒)
  Immigrants (移民)
   and Other

場所はニューヨークのセントラルパークのそばのようです
場所から考えて 容易に想像が付くのは
上に上がられた人たちは 差別されている人たち
そのことは White(白人)が入っていないことからもわかります

彼らが差別を受けるのは 虚構の作用によって です

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Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

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