愚慫空論

『いのちのはじまり 子育てが未来をつくる』





観てきました。
場所は、東京・渋谷のアップリンク


余談から入りましょう。

上映会場はアップリンクのスクリーン3。座席数40の小さなホールでした。
ぼくが観た上映回では、埋まっていたのは半分くらかな?

タイトルがタイトルだけに覚悟はしていたけれど、観客は女性がメイン。
男はぼくひとり。
これは果たして、喜んでいいのか....?

余談の余談ですが、スクリーン3は椅子がとても良かったです。
設えた椅子ではなく、既製品であろうリラックスチェアが並べられていました。
この椅子がなかなか快適でした。
最新の映画館でも、椅子が快適なところはあまりなんですよねぇ...


本作は、作りは典型的な啓蒙作品です。
なにそれはかくあるべきだ、というメッセージが込められた映画。
特に、後半はそうしたメッセージ性が強くなります。

そうした作品の性格として、観衆を選ぶということがある。
そのことはすでにタイトルにも表れていて、なので、男性はぼくひとりという次第となる。
でも、これはもったいないことだと思う。

これはぜひ、男性に観てもらいたい作品です。
そのメッセージを真摯に受け止めてもらいたい。
それは〈大人〉の責務だと思う。

特に後半のメッセージ。
まあ、ここはぼくが個人的に関心を持っている問題だから、バイアスがかかっているんだろうけれども。


公式HPよりから文言を拝借。

人格の土台が形成される乳幼児期(生後~就学前)の脳では、毎秒700個から1000個もの神経細胞が新たに活性化しています。この神経細胞同士の接続によって脳は発達し、後の健康や精神的な幸福、学習能力が決定づけられます。

この成長でもっとも大切なのは、大人との触れあい。血のつながった“親”に限らずとも、周囲の大人が乳幼児に安全で愛情に満ちた環境を与えることができれば、より良い社会を創造する未来が開かれます。



公式の文言らしく、適切というか、当たり障りのない文章です。
でも、ぼくの趣味は過激なので、いささか物足りない(^_^;)
なので、言葉を足してみます。

子どもこそは最大の学習者です。
毎秒700個から1000個もの神経細胞が新たに活性化するなんて、子どもでないと有り得ない。

そうした学習者の振るまいが「適切」であるわけがないんです。
必然的に過剰な振る舞いになる。

たとえば、手に持っている食器を落とす。
最初に落としたのは握力の足りなさだったかもしれないけれど、落ちた食器が地面に衝突すると音が発することが気がついてしまうと、学習者である子どもは、そのことを確認せずにはいれません。

社会的な平穏を適切とするなら、子どものこうした振る舞いは過剰です。
『論語』の言葉で言うならば、「乱」でしょう。
子どもは「乱」を引き起こし、そのなかから自らの力で「和」を発見する。
「和」を発見するまで、何度も「乱」を繰り返す。

そうした「過剰」こそが子どもの〈生きる力〉です。
この映画が発するメッセージの最大の部分は、ここだと思います。

大人は、彼らの都合の良い平穏に沿うように子どもたちを【教育】してはならない。
子どもが安心して「乱」を引き起こすことができる環境こそが必要。
そうした環境作りに投資することが、より良い社会を創造することにつながっていく。

これもまた「マーケティングとイノベーション」の原理に沿っているものだと思います。
いえ、逆ですね。
子どもが発露する純然たる〈いのちの法則〉にマーケティングとイノベーションの原理は準拠している。
だからこそ、マーケティングとイノベーションによって、より良い社会(組織)を作ることができる。
実にシンプルです。


当作から受けたイメージを反芻していると、こんな著作が思い浮かんできました。



アマゾンから内容紹介を拝借。

経済と自然の仕組みには同じ法則が働いている! 都市論で知られる著者が、経済学、経済史、都市論などの社会科学と生物学、生態学、進化論などの自然科学の知見をもとに、人間の営みである経済と自然に共通するメカニズムを追究する。経済と自然を見る目に新鮮な刺激を与えてくれる、知的興奮を呼び起こす書。



経済の源泉は自然です。
ごく当然のことですけれど。
そうした説明がこの映画に出てくるわけではないけれど、次のような事実は披露される。

 赤ちゃんに1ドル投資すると、7ドルのリターンになって戻ってくる。

出典は示されませんでしたが、そのような統計的データがあるのでしょう。
そしてなにより、このリターンにはプライムレスの価値も付属してくる。
しあわせという価値に価格を付けることは不可能です。


満ち足りた子どもと子どもを満たすことで満たされている大人たちの姿を映し出しながら〈大人〉の責務の重要さと大切さを訴えていく。それは子どもにとって大切なだけではなく、〔人間〕が〈大人〉になるためにも大切なこと。

映画は〈大人〉の責務の大切さを訴えながら、責務を果たすことができていない〈大人〉の姿、満たされていない子どもたちの姿へと切り替わっていきます。
落差を感じさせない自然な流れで。
作品構成の巧みさです。

映像が発するオーラ(?)も変化していきます。
満ち足りたものから、欠乏したものへ。
出演者たちの雰囲気が変わっていく。

責務を果たすことができていないのに〈大人〉としたのは、果たそうとする〈こころ〉はあっても【社会】が許さないから。
〈大人〉であろうとする〈こころ〉。
【社会】に適応してしてしまう〈からだ〉。
〔ヒト〕はそうした〈からだ〉を持つからこそ〔社会〕の状態が重要になる。
ことに子どもにとっては決定的。

だから、子どもを養うには子どもにとって大切な〔社会〕を作る〈大人〉を支援しなければならない。
それは自己責任の問題ではない。
そうすることが勝者の子どもの未来を明るくしていく――
必然の正論が展開されて行く流れなります。

残念だと思いました。
必然の展開なのかもしれないけれど、どうしても「啓蒙作品」の嫌な臭いが出てきてしまっています。

前半は実に自然でした。
語っているものと語られている対象の間には落差がなかったから。
満ち足りた子どもと満ち足りた大人。

後半、正論を語る者は満ち足りている。
語られる者は不安に怯えている。
落差があるからこそ正論になる。
正論が落差を際立たせる。
落差を埋めるべく論を展開されるが、だったらなぜ、その論を語る者が落差に安住しているのか?
言葉と実際の言葉が食い違う。

映像は残酷です。
そうした食い違いを鮮明に写しだしてしまう。

さらに罪なのは、映像が映し出す落差が、観る者の〈からだ〉に安心感を与えてしまうことです。
正論が展開されているにも関わらず、視聴者は最後まで満足をもって作品を鑑賞できます。
正論を我が事としなくて済む。
作品は、言葉では我が事とするようにメッセージを発しながら、全体としてはそうしなくていいよというメッセージになっている。
〔アタマ〕に届くメッセージと〔からだ〕に届くメッセージが食い違う。

正論を実現しようとするならば、不安を感じなければいけないはずです。
子どもに投資をすると7倍のリターンがある。
その投資の利得は社会全体に波及する。
他人に子どもに投資することもわが子の利得となる。

正論です。

社会の現実は投資可能な者とそうでない者とがいる。
投資可能な満ち足りた者が、投資不能な者を支援することが子どもの未来を拓くのだと言う。
落差に安住しながら言う。

ぼくはここに違和感を感じずにはいられません。
その正体について語るには、もう少し言葉の準備が必要なようです。


コメント

かなり久しぶりに愚樵様のブログを訪問しました。

私は今幼稚園で事務の仕事をしていることもあり、今回の記事はとても興味深く読ませて頂きました。

> だから、子どもを養うには子どもにとって大切な〔社会〕を作る〈大人〉を支援しなければならない。
 これは紹介されている映画の主張するところのようですが、これはやり方を誤ると子どもを犠牲にする面をもっていると思います。
 大人の支援は大切ですが、それ故に子どもが犠牲になるような支援になってはいけない。
 そうなってしまっているのが、私の住む町の現状です。 私の住む小さな町の町長は「子育て日本一」を目指していて、母親が働きやすくなるようにと、朝は7時半から夜は6時半まで親が希望すれば子どもを預かるようになりました。
 幼稚園が子どもを長時間預かってくれるということで、働く母親も増えました。夏休みも安い利用料ですむからと、普段以上に仕事を増やし、子どもを夏休み中毎日預ける人も多いです。

大人の支援をすることで、子どもも満ち足りる、幸せを感じられるものとなってほしいです。

愛希穂さん、ご無沙汰しています。
ご訪問、感謝です。(^o^)

>母親が働きやすくなるように

それが「子育て」なんですか?
就労支援、ですよね? (^_^;)

行きすぎというか、方向が違っている感じがします。

大人を支援するということは、ずぱり、所得を支援するということです。
今の世の中はタイム・イズ・マネーですから、所得を支援すれば時間が生まれる。
その時間を子どものために費やしてもらう。
それがこの映画が主張する支援です。

その心は単純明快で、子どもには大人と触れあう時間がたっぷり必要だということです。

子育てと称しての就労支援は発想が真逆だと思います。
子どもがいては働けない、ということなんでしょう。
子どもは邪魔者扱いです。


でも、町長の方針は支持されているだろうと推測します。
町民のニーズに合っているだろうと思うから。

誰もが子どもは可愛いはずなのに...
邪魔者扱いを支援する政策が歓迎される矛盾。

変ですよね?

ご指摘の通りで、我が町の政策は変ですし、間違っています。教育関係者はこれでは子どもが犠牲になるだけだと懸念しています。

> 所得を支援すれば時間が生まれる。
 その時間を子どものために費やしてもらう。

 私もこういうのが支援だと思います。
 親が忙しくしていても、私は僕は大切にされている、と確かに子どもが思えるように。
 でも、現状は勤務証明書の時間を勝手に書き換えて、長時間子どもを預けようとする人もいるほどです。
 そんな空気が作られてきていて、当然のことと考える風潮が強くなってきているのを思うと悲しいです。

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