愚慫空論

「東北でよかった」発言の身体性

書きかけのまま放置してあった文章でした。
機を逸したので削除しようかと思ったのですが、いえ、やっぱり、書き上げてみることにしました。

書き始めたのはGWの前です。


  ***


今般 話題になっていた「東北でよかった」発言について書いてみようと
今 Googleさんに問い合わせを立ててみると、上位にランキングするのは

 「東北の魅力」

になっているんですね

もともとの発言は不愉快で不機嫌な気分を誘発するものでしたけど、
「東北でよかった」という言葉自体は、文脈から切り離せば中立なもの。

そこを逆手にとって上機嫌なものへと切り返す柔軟性。
素晴らしいと思います。
それがあっという間に拡散する現象もいい。
救われたような気分になります。


そう。
言葉は使い方ひとつで、不機嫌になったり上機嫌になったりします。
言葉には身体性があるということです。

今回は、そこのところを語ってみたいと思います。



ヒトには、好ましいこと/好ましくないこと、があります
ヒトも生物で生存本能を持っていますから。
 
 生存本能にかなうことを好ましい
 生存本能にかなわないことを好ましくない

とするのは、ごく自然なことです。

人間は自己欺瞞を為す生き物でもあるので
この「自然」がそのまま素直に発露するわけではないのですが
そこは今回スルーしましょう。


生存本能にかなわない出来事については 

 好ましく感じない
 不機嫌になる
 身体が強張る

といった心身の現象が起こる。
震災などというものは、そうした心身現象を引き起こす典型です。

その恐怖と困難を身をもって体験したヒトは、その記憶が身体に残っています。
なので、その記憶を惹起させられるような言葉を耳にすると、身体の強張りが復活してしまいます。


一方で、ヒトは社会的な動物です。
社会を維持するための機能として、他人の心情が理解できるということがあります。

なので、被災者の被害を「我が事」として感じることはできないにしても、その被害を慮ることはできる。
その「慮り」は、被害が我が事ではないことに安堵する感情も呼び起こす。
この感情は擬似的に身体の強張りをもたらしますが、それでもやはり擬似的なので、身体には緩む余裕があります。
身体が緩めば安堵の感情が芽生える。

緩めば緩んだで身体は再び緊張しようとします。
このときに生まれるのが(形而上学的な)罪悪感。

身体はそうした緊張-弛緩を繰り返す特性を持っていて、その動きに合わせて情動が生じ、感情が生起する。


ところが、そうした自然な身体の動きに頭の働きが水を差すことがあります。

たとえば、こんなのです。

 「東北で良かった」…東京の皆さんの本音ではありませんか? (産経新聞)

この記事に対しては多くの良心的批判がすでに寄せられているようです。
当然だと思うし、そうした当然が生まれていることに安堵します。

 「東京でなくて良かった」
 「東北で良かった」

論理的には繋がらないわけではないけど、この2つの間には深い深淵があります。
ただし、その幅は狭い。

論理ばかりを追いかけていると幅の狭い深淵を跨いで行きすぎてしまうことになりかねませんが、
自身の身体の反応をモニターしていれば、そんなことにはなりません。

「本音」といった身体反応を言葉で抑圧するようなことは、ぼくにとっては【悪】です。


言葉には身体性がある。
当事者の言葉が自身の過去の経験とリンクして、身体反応が引き出されることがある。
ぼくは、これは言葉の〈善き〉使い方だと思います。

一方で、言葉は身体反応を抑圧することもできる。
こちらは【悪しき】使い方。
暴力です。

言葉の良し悪しの境界は明確ではありません。
というのも、言葉の身体性は、その言葉を受け取る者の個別性(経験、感受性)に拠るから。
だから言葉は難しい。

言葉で普遍性を追及するということはそもそも無理だと思います。
身体性がなければ言葉は無意味だし、
言葉の身体性が身体の個別性に拠るならば、原理的に無理に決まっています。

だけど、これは裏返すことができて、
すなわち、「原理的に無理」という明言が普遍的だということになります。


では、言葉は絶望に行き着くしかないのか?

言葉をスタティックなものとして捉えるならば、そうなります。
ダイナミックなものとして捉えることができるなら、絶望以外の所に行き着くことができるかもしれない。


「東北で良かった」という言葉を、文脈から切り離して中立なものとした扱ったこと。
こうした使い方が、ダイナミックなんだろうと思います。

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