愚慫空論

『知られざる天皇明仁』



こんな本を読んでみようと思ったのは もちろん 昨年8月の「お言葉」があったから



ぼくはもともと 今上天皇には好感を持っています
先の昭和天皇にはなかった感情です

その姿を見るにつけ いつも思うのは

 「この人は ずっと畏まってきた人なんだな」

ということ その姿勢がその身体ににじみ出ているような気がしています

その人が自らに課せられている「役」についての気持ちを語った
当人にとっては素直な言葉だったのだろうと思うのだけれど
そのことは 身体が映し出しているんだけれども
とはいえ 言葉をそのまま素直に受け取ることができない環境がある
そうした環境の中に生きいてるぼく自身がいる


その佇まいから表出されているものと
その言葉を受け取る文脈のギャップ

そんなギャップを埋めるには 言葉を発した人の為人(ひととなり)を知るのがいい
本書は そのギャップをかなり小さなものにしてくれます

本書の著者は 今上天皇の いわゆる“ご学友”のひとり
それも 幼なじみといってもいいくらいの距離感
若気の至りで あるいは 成人してからの立場上の違いで
角を突き合わせたこともあるような間柄

親友――
そう呼んで差しつかえないでしょう


人間誰しも若い頃があって
若い頃は誰しも多少なりとも 「若気の至り」がある

若かりし頃の今上天皇は その多少が 相当に「多」の方へと傾いた人物
本書が描写する人物像は そのような人物像です

その傾きはしかし 当人の本来の性質ではない
当人は資質は実直

その実直さは後に ことに良き伴侶を得てからは 
誠実さとして真っ直ぐに出てくるようになったと思われます
が 若い頃は 実直が誠実へと真っ直ぐ伸びていく境遇には必ずしもなかった
身分が身分だけに 恵まれた環境にあったことは間違いないにしても


 時期的な記憶は不確かだが、某夜橋本が付属邸でお相手を務めていた際、彼の父である最高検検事橋本乾三から電話が入った。清水侍従が応対した。清水侍従は居間に来て「お父上が緊急の用があると言って来られたが、時間も遅いことなので明朝七時には家に戻るようにとの伝言です」と告げた。
 橋本は一日か二日も常磐松に泊り、その足で葉山に来ていた。家をあけていたのである。極めて悪い予感が働いた。叱責を受けるとすると・・・・・・と指折り数えて深刻に考えた。一つの可能性にぶつかった。問題はそれしかなさそうであった。『チャタレイ夫人の恋人』の回し読みがその一件である。
 最高検は同書を発禁処分とし、訳者伊藤整と出版元小山書店社長に対するいわゆるチャタレイ裁判が始まろうとしていた。

(中略)

 八つざきにしてやろうと思って帰宅したがお前はいない。もしかしたら東宮様のところに・・・・・・という母さんの話からお前の居場所を突き止めた。お前は大体、東宮様に狎れ親しみすぎている。これは決して良いこととはいえない。かくかくしかじかの理由で社会に害毒を流すと信じればこそ発禁書としたのに、それをひそかに回し読みし、あまつさえ東宮さまにまでお渡ししてしまったのがお前だ。私はどのように責任をとり、お詫びしたらよいのか・・・・・。検事は四時間にわたって理非を説いた。
 息子は親王から、必ず戻って何があったのか知らせて欲しい、と言われて付属邸を出ていた。父親にその旨を述べ、父上の意のあるところを殿下にもお伝えしたいから、もう一度葉山に向かわせてほしいと、と懇願した。父は許した。
 長時間にわたり戻ってこなかったため親王も心配もまた極度に昂じていた。訳をじっくりと話した。聞き終えて、東宮はなぜか、目をきらめかせてこう言われた。
「父子とは、そういうものなのか・・・・・」と。
 このような反応を、橋本はまったく予想していなかったのである。



発禁書 社会に害毒云々は虚構の上のこと
理非もまた 虚構

父が子に 虚構の効用を説いて聞かる
その様子を 東宮という虚構が身に張り付いて引き離すことがかなわない若者が聞いて
父と子の虚構を超えた実相を垣間見る――

なんとも皮肉な話で 実直の若者が反撥に走るのも無理からぬことだと想像します
反撥に走るのが健全です


若者は後に反撥を乗り越え 身の虚構を我がものとして纏い直すことになります

纏い直した虚構が改めて身について 「畏まる」 にまで至ったのが
上の「お言葉」を発するに至った現在の今上陛下の姿なんだろうと思います

しかし 若者が一人の力でそのような道を辿ることができたわけではなかった
実直ゆえに反撥に走る若者に身を投じた人の内助の功は大だったはず
本書では その功を幾ばくか垣間見ることができます



わが身に身を投じてくれた者の助力を得て 
わが身の虚構に身を投じようとしている人間がいます

一方で わが身に纏った虚構に乗っ取られてしまって
内実が空っぽになってしまった者もいる

虚構というのは因果なもので わが身を空っぽにしないと
虚構に乗っ取られないと 虚構を握ることができない
虚構を操る権力の座に座ることができない
そういう厄介な性質がある

虚構を握ることを「天命」と考えているような人間にとっては
虚構に身を投じようとしている人間ほど厄介な存在はありません

虚構を握りたい人間にとって 必要なのは「虚」だけ
「構え」の向こう側にある「実」は必要ない
虚構に乗っ取られて空っぽの人間にとって「実」は怖いものです

現代の日本国では 虚構を巡る根本的な対立が露わになっているようです


 皇太子(←今上陛下)が平和を愛し、文化国家二本の支柱たらんとする裏には、日本古来の天皇の在り方をねじまげた明治への激しい反発と内省があるとみてよい。
 気性のうえでは曾祖父明治大帝から受け継いだ近代日本の本流を踏まえながら、内省に内省を重ねて改善への一歩一歩を日々刻印する皇太子。重い十字架を背負うがゆえに、真剣勝負に臨む毎日であろう。そのことを考えないと、皇太子について何も語れない感じがする。



著者は主観とは断りながら 明治を悪の時代だと断じています
上の文章も著者の今上陛下への主観です

その主観は 明治時代への著者の主観に引きずられたものなのか
個人的に狎れ親しんだ人物への贔屓からくるものなのか
あるいはその両方か

いずれも否定しがたい要素でしょうけれど 果たしてそれだけかどうか?
主観としてしか語ることができない直観が真実を突いていることは よくあることです

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/977-c266b3b7

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード