愚慫空論

平和のために市民をやめる

眠り猫さんから頂いたTB『平和のために私たちに何ができるか』へコメントをしようとしたが、コメントにしては長くなりすぎると考えて新たなエントリーとすることにした。

幸い、日本は平和憲法のおかげと、前の大戦でひどい目にあった教訓から、軍事偏重路線は取ってこなかったので、戦争に巻き込まれずに済んだが、最近の軍拡、海外派兵の流れには、危険なものを感じる。

 では、日本を含めた、世界の平和のために、私たち市民に何ができるだろうか?

平和のために市民は何ができるのか? この問いに対して回答しようと思った私の答えは「市民をやめること」。

この答えに「何を訳のわからないことを言うんだ!」 と怒りを覚える方もおられるかもしれない。まあ、以前から愚樵空論を読んでいただいている極小数の方々にはいつものことと納得していただけると思うが(笑)。


そも市民とは何か? 批判が多いがお手軽ゆえにやめられないwikiから引用してみると

市民(しみん)は、政治的共同体の構成員で、主権(主に参政権)を持つ者。あるいは、構成員全員が主権者であることが前提となっている議論では、構成員を主権者として見たもの(現代社会について述べるときはこの意味合いのことが多い)。

なお、ここでいう政治的共同体とは、語源的には都市を指した(citizenとcityは同語源である)。現代では特に限定しないが、国家について言うことが多い。

この定義に従えば、市民とは民主主義国家の国家の構成員=主権者であり、その市民をやめるとは主権者であることをやめるということになるのだが、主権者であることを放棄するのは実に簡単なこと。一番手っ取り早い方法としては参政権を放棄して選挙になど行かなければよいわけで、また参政権を放棄しないまでも、自分で思考することを放棄してマスメディア等の煽動に乗って投票行動を行えば十分に市民であることをやめていることになる。

平和のために市民をやめる。そんなんじゃ、ちっとも平和にならないではないか! 

そうなんだが、もう少し話を聞いて頂きたい。たとえばこんなふうに考えてみる。
主権者をやめてもへいわにちっとも平和に近づいていかないのは、主権者であることを放棄したくらいでは市民であることをやめられないんだ、と。

ここまでの話は市民=政治的共同体構成員という定義のもとですすめてきたが、現実を見てみると私達が暮らしている社会(国家)は政治的共同体というだけではない。政治的共同体であることも間違いないが、それよりなにより経済的共同体でもある。私たちが暮らしているのは、政治的であることと経済的であることが不可分な共同体の中である。となれば、市民=政治的共同体構成員と定義するだけでは不十分で、なにより私たち市民は、政治的共同体から経済運営の基礎たる貨幣による納税という形で経済的共同体構成員たることを強制されている。つまり、参政権を自主的に放棄しても納税の義務として放棄させてはもらえない、ということだ。放棄しようものなら、政治的共同体である国家が暴力機関としての素顔を曝して市民に牙を剥く。市民であるということは一面では自主的であるが一面では強制的で、そうした両面があるからこそ自主的である一面――主権者であること――を放棄してはならない、という議論にもなるのである。


ところで、平和を破壊する戦争には金がかかる。同じく眠り猫さんの記述から引用させていただくと(『暴走する「日米同盟」の虚偽と違法性』

北朝鮮のミサイルをイージス艦で迎撃することができないことは、防衛省も認めている。また、アメリカは北朝鮮に宥和策で臨んでおり、それが実現すれば。北朝鮮の脅威なるものは激減する。そもそも、葛飾区の予算程度の軍事費しか持たない国が、日本やアメリカ相手に本当に戦争を仕掛けることなどありえない。海を渡って兵力を運ぶ能力もない国なのである。
 そんな「北朝鮮の脅威」を煽っているのも、「日米同盟」なるものを推進しているのも、同じ勢力、同じ人物であることを注視しなければならない。要はマッチポンプで、軍事利権をあさっている防衛族議員とその陣笠マスコミである。

カネがなければ戦争はできない、貧乏な北朝鮮と金持ち日米の間では戦争にならない、と言っている。もっとも、貧乏人には貧乏人のやりかた、ゲリラ戦とテロとか方法があり、9.11アメリカ同時多発テロはそうした貧乏人のやり方であったということもできよう。そう見ると、9.11以降のアメリカの侵略戦争は、貧乏人のオイタを奇禍に金持ちが徹底的に貧乏人から搾り尽くそうと企てたのだ、とも言える。言える、というよりそういう見方が常識だろう。さらにいうとその企ては、貧しい国・地方の人々から搾るだけではなく、豊かな日本やアメリカの国民のなかの貧しい人々からも搾ろうとするもの。もっと言うと、一部の持てる者たちは、まだ搾れるカネがあるところからはカネを、搾れるカネがないところからは資源を、搾れるカネも資源もないところは相手にしない、という戦略を立てて行動し、その行動が経済のグローバル化となって表れ、格差社会の出現となっているのである。


カネがなければ戦争はできない。平和のために市民をやめるというのは、経済的共同体構成員をやめるということ、つまり戦争にカネをまわさない、ということである。しかし、戦争にカネが要るにしても、カネが要るのは戦争だけではない、市民が暮らしていくのにだってカネは必要だ、日々の暮らしをどうしてくれるんだ、という意見もあるだろう。あるだろう、というよりその意見が大勢なのだろうと思う。だからこそ、自主的な市民の側面を放棄することなく、平和のための市民の声を結集して平和な市民社会を作らなければならないのだ、という意見。なるほど、それはそうだろうと思う。

だが、もし、カネがなくとも日々暮らしていける社会のあり方が考えられるとしたら? いや、考えられるだけでなく、近代以前の人間社会の大部分はそうした社会であった。現代でも、我々先進国の人間が無批判に未開社会と思い込んでしまっている人たちが暮らす社会は、そうした社会である。経済のグローバル化は貧しくても暮らしていける人々から搾り取り、もっと貧しい貧しい貧困な都市生活者に移行することを余儀なくさせている。一部の豊かな者たちからまだ搾り取られるカネの余裕がある私たち豊かな国の貧しい市民は、そのカネの余裕を実は貧しい国の豊かだった人たちから奪い取っただけのことである。私たちが所有していると考えているカネは、貨幣という形に変化する以前は、その多くが私たちの物ではなかった。貧しい国の豊かだった人たちの物だった。私たち市民が日々の暮らしにカネが要るというのは、日々、貧しい国から奪わなければ生活できないといっているのと等しい。現代社会に市民として暮らしているということは、そういうことでもある。それを意識しようとしまいと、そうした現実は厳として存在する。

戦争とは奪い取ることだとすると、私たち平和を望む市民も、暴力的ではないにせよ戦争をしてきたのだし、今も戦争をし戦死者を出している。日本には毎年3万人もの自殺者が出ているというが、この多くは戦死者だし、そうした戦死者は貧しい国に行けばどれほどたくさんいることか、想像するだけで暗澹たる気持ちになる。


平和のために市民として考え、行動することは大切だと思う。だが同時に、市民と何者なのか、足元をしっかり見つめていないとその行動は偽善に過ぎないものになってしまう可能性も大だ。自分の奪ったものは後生大事に抱えているくせに、他人には奪うななんて説教しても誰も耳を傾けはしないだろう。

「平和のために市民をやめる」という答えが本当に正解かどうか、私に断言できるだけの知識・見識はない。だが「平和のために市民運動をする」ことよりもずっと平和的であるような気はしている。「平和のための緩やかな連帯」の実現は、市民が市民をやめられるように、市民の自主的な側面を発揮していく方向の先にあるように思えてならない。

コメント

初めまして

 こんにちは。拙ブログのエントリーに対して、一つのエントリーを書いてくださるとは正直恐縮しています。
 市民をやめることは、私の選択肢の中にはありません。やはり、まずは投票行動という、権利で、自国を平和への方向へと変えることが重要だと考えています。
 個人としては、(その国の)市民をやめること>国外脱出という手もあると思いますし、老後はその予定ですが、全市民(国民)がそのようにすることは不可能でしょう。やはり愚直に、仲間を増やして、政治を変えていくしかないと思いますが。
 では、今後ともよろしく。

ほんとのこと

ほんとのことに気付くことは楽しいけれど、ほんとのことを実行するのはなかなか困難です。
ほんとのことしか考えたくなくなったら、政治がどんどん遠くに感じてきています。
愚樵空論も「政治ブログ」にはなれそうもないですね(笑)

昔,小田実さんが

市民の力による「和平から平和へ」ということを分厚い岩波新書で述べられていた記憶があります.

# 現物が台風直撃でゴミになってしまったので,情報を出せずにすみません.

皆さんもご承知の通り,私はクリスチャンとして YMCA の活動として「光市事件を考える会」の活動家もやっています.昨年は広島県内で主に活動してきましたが,今年からは広島高裁の判決まで,山口県内でゲリラ活動をしています.

事件が事件だけに,信頼できる人にしかビラを配っていないせいか,会場に来る人は九条の会のメンバーとかなり重なってしまいます(笑) それでも,どこで嗅ぎ付けたのか,光市での集会では右翼の街宣車が来て,カラーボールや卵を投げたり放水したりして,スピーカーやバッテリーをだめにしたり,何だか学生時代を思い出す光景でした(笑)

結局,光市事件に疑問を持ち,「被害者家族」のM氏が真犯人だったという医学的・化学的証拠を突きつけると,お前は市民でない,と言われてしまう社会に私たちはいる訳です.難だかなー.

戦争について

フリータである男性が、「一部の弱者だけが屈辱を味わうような平和なら、国民全員が苦しむことになる戦争のほうがいい」といい、彼は、論文を左翼のオピニオン誌である論座に発表しました。
この論文は左翼世界をにぎわせていますが、左翼の方々はまだ、彼の提出した問題にうまく答えることができていなようです。
社会最弱者であるフリータの男性が自ら戦争を望まなければならないということはどういうことなのか、よく考えねばなりません。重要なポイントは、カネではない点です。彼はカネを欲してはいないんです。日本であれば、単に生物として生きるのであれば、生活保護を受ければよいわけですが、彼が要求しているのは、彼が属する社会における価値、すなわち日本人としての、日本における存在価値なんです。左翼のまずい点は、現実に生じている社会問題に対するピントがずれている点です。

私の思想的立場は、保守であり、右ですが、最近の左翼は、まったくの情けない。日本の社会が右傾化してしまうのは当然なんです。なぜなら、左翼が完全に偽善的だからです。現在の日本では、左翼の思想が右翼思想の対抗できなくなりつつあることを意味しているんです。管理人さまも、それに気づき始めているようですが、まだ、国家は暴力装置である。だから、廃止すべきである。という古典的なマルクスから来る国家概念から抜け切れていません。
簡単に言うと、国家を廃止しても、平和な世界が訪れるわけではないということです。
国家は暴力を独占しているわけですが、これによって、他の暴力は抑制されているわけです。例えば、右翼の街宣車が左翼活動家に嫌がらせ程度で諦めているのは日本という国家の存在のためです。日本政府が消滅して、警察がなくなったら、カラーボールや、放水では済まなくなると思います。現実的には、左翼も武装して、絶えず右翼と対峙し、自らの生存を実力で防衛しないといけない社会になってしまうのです。左翼は、右翼の暴力によって物理的に抹殺されてしまうでしょう。これじゃ、国家を廃止ししたら、寧ろ現状より野蛮な世界になってしまいます。つまり、国家が暴力を独占していないと、私人間の暴力が抑制できなくなってしまうんです。
右翼は、国家を肯定的に捉えているので、左翼とは違う世界にいるわけですが、国家は暴力装置であるとみなすのは、間違っていないと私も思います。でも、だから、廃止すべきだという典型的な左翼展開は誤りだと思うんです。もし、私が左翼的立場を取るのであれば、迷わずこれを修正します。
眠り猫さんのサイトも見ましたが、眠り猫さんも、管理人さまに共通していることは、貴方が二人は、暴力が支配する世界はどこか別のところにあって、決して自分たちは他人に暴力を振るうことは無いと思い込んでいることです。でも、国家がなくなって、政治的共同体が消滅したとき、目の前に現れた盗賊集団から、警察に頼らず、どうやって自分の生命、財産を守るんですか?盗賊と戦うんですか?それなら、国家を廃止する意味がなくなってしまいます。ボディーガードを雇って防衛するなら、国家に税金を払って、警察なるものにパトロールしてもらうことと本質的な点と何にも変わりがありません。
管理人様は、国家が暴力を独占しているがために、みずから他人に暴力を振るわなければならないという極めて心理ストレスがある事態を避けることができているんです。
市民をやめることを考えたことをきっかけに、国家と暴力とは何なのか、もう一度再考してみることをお勧めします。そうすれば、現実と理念が乖離しぎる、左翼がいつも悩む問題はかなり小さくなると思います。多くの左翼が、国家概念と暴力という存在について、新しい認識を得ることができれば、このとき、初めて、左翼思想は洗練され、日本の右傾化に歯止めがかかると思います。

おおLENIN論

ZAKさんの
>国家がなくなって、政治的共同体が消滅したとき、目の前に現れた盗賊集団から、警察に頼らず、どうやって自分の生命、財産を守るんですか?盗賊と戦うんですか?それなら、国家を廃止する意味がなくなってしまいます。
といった問題提起こそ、藤田省三氏らが未完としたままの「LENIN論」や『異端&正統』や『文革論』ですからね。
ほとんど、そのまま『放置』された?んか、どこから手を付けたらいいのか、分からない類いなのか・・。難し過ぎて議論されてても、僕にはさっぱり理解できないので、気付けないだけなのか?
エリツイン時代のロシアで聞いた所によりますと、、こんな貧乏な家のせこ~い壁板を盗むかというほど、窃盗(もちろん強盗・殺人等も)が蔓延ってて、それが為に少々の強権やメヂア規制であろうと、強い秩序形成力をPUTINに求めたっていう部分も多かったと思います。それを演出すべくチェチェンの首都・グロズヌイを全くの廃墟にする空爆が為された。欧米は当初プーチンをチェチェン人に対する『首切り人』と非難してたはずなのに、『9・11』で風向きが変わってしまい・。諸国民の個々の国家リーダーへの秩序形成への期待と大国間の資源争奪戦に絡んだ巨大資本の思惑と、その争奪競争の規模の大きさは、まあ『山賊』の強盗からの市民レベルの防衛と同列には論じられませんが、そういった小市民レベルの不安を活用した『情報統制』が、逆に『強大な疑心』を産み、『無秩序』を加速させるといった可能性も含めて論じていかないと、ダメでしょうね。
だれもが手こず「離」続けてるのは、まあ当然でしょう。

ZAKさんとやらへ

私は、月収九万円そこそこの、フリーターです。この携帯も、同居人が仕事用(派遣呼び出し)に使ってるのを覗いてたら、辿り着きました。そしたら、ZAK さんとやらの、あまりにもな、身勝手な空論ぶりに 腹が立って来てコメしました。「希望は戦争」と言うフリーターは、金、カネじゃ無いって ZAKさんは勝手に決め付けてるけど、 ホントは、先ずは、 安心して生きて行けるだけの「金」なのです! 転落すると、人間らしく生きて行くだけの、金さえ稼げないのです今はね。「生活保護を受けたらよい」、なんて簡単に片付けてるけど、住所も ままならないフリーターは門前払い、ってか以前に何処も相手にしてもらえない。やっぱり 「右」 の人は体制側に着く強者なんですね。 最弱なフリーターの捨て鉢な「希望は戦争、などと言う世迷い言」 を勝手に都合よく理論づけして戦争肯定に持ち込もうとする。前提に強者からの暴力を是とする「右」の方に、 行き場無い、弱者の立場に寄り添う事は、しょせん無理なのでしょう。 私達が本当に求めているのは、明日を心配しなくても良い、いや、安心して自分の未来を考える事の出来る、「格差」の無い平和な社会なのです。
最弱フリーターの私から言わせると、煎じ詰めれば「暴力」が全てを解決するというZAKさんたちの方が、よっぽど世間、浮き世離れしてると思います。ま~ぁ、どうせ、すり替え論法で、都合よく、私のコメントなんか、切り捨てられるのは分かっているのですが、弱者なりに書いてみました。 やはり、眠り猫さんや愚樵さん達の方が弱者を理解されている、言い方は適当じゃないかもしれませんが、そんな風に感じました。
また、いつ覗けるか分かりませんが努力してみます。

最弱フリータさんとやらへ

一度、赤木氏の論文を読まれることをお勧めします。

読んでますよ。

赤木さんの論文、 読んでますよ。 読んで、敢えて 書いてます。 だって あの論文、途中迄は、確かに そうだ!そうだね~ ! って共感しながら 読んでたら(ただ彼は親の家があるから羨ましい)、何と、いきなり 「戦争が社会を流動化する」 って、こうだもの、(・_・)エッ......? なんで飛躍しちゃうの?それが言いたかったの? って感じなんですよね~(-.-;)。決め付けちゃったよ、オイ!!ツッコミ入れたくなりましたよ。 それは、あなた赤木さん個人の論理だろ~~ってね。んで、読み進むと、 出ました、伝家の宝刀すり替えであります。ここも、肝(きも)の ひとつ なんでしょうが 「国民全員が苦しむ平等を」 なんでなの? 平等が苦しみを生んでるんじゃなくて、 「格差」とゆう 「不平等」 が苦しみを生んでるんじゃないですか。そして、「平和」が 「格差」を生んだんじゃない、 格差を生んだのは、今、この国を支配する権力構造であり特に「小泉さん」以降の政権政治じゃないですか。しかもマスメディアをも牛耳る、プロパガンダやりたい放題の権力構造と与党政権でしょ! 相手が違うでしょっつー話ですよ!マッタク! こじつけ もいいところですよ。赤木さんの沈痛な文章はウマイです。 これに引き込まれ、納得させられそうになっちゃうけど、違う、全然違う! 本当の最弱フリーターからしたら、希望は全くの逆です、「格差」の無い、「平和」な未来を展望出来る社会、それを、実行してくれる政権政府です。「戦争」 なんかじゃない!! 戦争なんて、それこそ 格差 の極みでしょ、自分の祖父の兄弟も二人 ビルマで戦死してます。遺骨なんて有りません、消息不明が本当です。とにかく、赤木さんの論文読んで感じたのは、 故意なのか、最初から結論ありきなのか、批判の矛先が逆だろ、違うだろ~って事と、見当違いにも程があるって事です。
とにかく、赤木さんの論文は、弱者フリーターを代表した意見じゃ全然ないです。彼個人の意見です。私としては、彼の論文は、「平等」と「戦後平和」を、現体制が行なって来た悪政と、巧妙にすり替えてしまっている、とんでもない代物だと思っています。
すり替え論法は右の方は特にお上手なのでしょうね。
ところで、愚樵様 ご挨拶もなしに、突然のコメントの書き込みの非礼、 心よりお詫び申上げます。失礼致しました。

とむさんとZAKさんへ

おふたりの意見は興味深く拝見させてもらってます。

ここでは特におふたりの意見への私自身の見解はコメントしませんけれど、お許し下さい。その代わりと言ってはなんですが、ここでよろしければ遠慮なくご意見を書き込んでください。

絶対的法権力があるからこそ

愚樵さん、こんにちは。
このエントリーで述べておられる内容、
なんとなく、笠井潔氏が昔「国家民営化論」で、現代社会で政府が有害な存在になりつつある、との意見の論拠を述べていた部分と重なりあうところが多く、なつかしく思い出しました。

国民国家のシステムが出来た時点では、政府が一人ひとりの生き死ににまで影響することは無かった、だからこそ、絶対的ともいえる法権力(武力の独占などが最たる例)を与えてる正当性も保てた。しかし、全体戦争が一般化した20世紀以降には、「無政府状態が5年間続いたとしても、太平洋戦争で死傷した人々と同数程度の殺人・傷害事件が発生したとは到底想定できない」、というほどに、政府がリスキーな存在になってきているわけですね。

そういえば、ルソーだったかも、戦争を終わらせる究極の方法として、「国家を解散する」という手を提案していたと、何かの本で読んだ覚えもあります。

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