愚慫空論

コミュニケーションとイノベーション



JBpressさんの記事です

 『AI時代の大問題、労働のない社会は成立するのか?』


JBpressの記事「人工知能に奪われない最後の2つの仕事とは」にショックを受けた人は多いのではないか。なにせ「人間に残される仕事はイノベーションとコミュニケーションの2つしかない」というのだから。もしその仕事に就けなかったとしたら、失業者になってしまうということになる。



人工知能の発達は想像を凡人の想像を絶するものになりつつあるようですね

何ごとにせよ 発達するのは良いことです
だけど 何ごとにせよ 良いことの半面は悪いことも生まれてきてしまう
「良いことだけ」なんて 都合の良いことはないわけです

大きな話でいくと
サピエンスが繁栄したのはサピエンスにとっては もちろん「良いこと」だけど
サピエンスの繁栄は環境負荷を増大させて
サピエンスの生存を脅かしかねない状態にまでなっています

「良いこと」が「悪いこと」を生み出してしまっているんですね
これは「環境」が有限だから生じる問題
ゆえに「環境」が拡大すれば一時的に解決します

現在の環境問題を解決する抜本的な方策は
人類の生存場所を地球環境外へと拡大することです
あまたのSFに描かれているように

ちなみにぼくは
人類が地球外で暮らし始める未来があると信じる者です (^o^)/






いきなり話がズレましたが
人工知能問題も 「良いこと」が「悪いこと」を生む構図は同じ
人工知能の発達そのものが「良いこと」であるのは否定できないけれど
「悪いこと」も生まれてしまう

で その「悪いこと」の内容が具体的に見えてきた
〔人間〕が仕事を奪われてしまうという大問題


 サピエンスが機械に仕事を奪われてしまうなんて
 そんなことがあるわけないだろう!

――と ぼくは強く思いますが
「仕事が奪われる」というイメージが具体性を
帯びて多くの〔人間〕の共有するところになってしまうと恐ろしい
多くの〔人間〕が共有し 現実的に思える秩序性を持ち出すと
それはもはや立派な虚構です

虚構を現実化させるのが〔人間〕が〔人間〕たる所以ですから
そうした虚構が組み上がってしまうと 本当に現実化するかもしれません

もし そうなると 恐ろしいことだと思います
環境の限界に突き当たるより以前に サピエンスは滅んでしまうかもしれない
〔人間〕が〔ヒト〕を食い尽くしてしまうかもしれません


記事では カギは「分配」にあるとしています

それはそうです
文明社会は「分配」と「分業」によって成立しているのですから

〔ヒト〕は極めて適応力に優れた動物です
なので 「分業」に対応することができる
後天的に訓練を受けることで 多種多様な専門家になることができる

その「専門」が人工知能によって
 イノベーション
 コミュニケーション
のふたつに限定されてしまうという

だから それに合わせて「分配」を新たにデザインするべき
記事はそういった主旨です


自動化社会では労働が大幅になくなってしまうから、誰かの役に立つという「貢献感」を得にくい。誰かの役に立っている、だから私は生きていて構わないんだ、私の居場所はここなんだ、という「居場所感」も持ちにくい。それらがないと、たとえベーシックインカムで生きていくことができるとしても、なんだか生きる甲斐がない。人間というのは「パンのみに生くるにあらず」という、実に面倒くさい生き物なのだ。



面倒くさい記述なってしまっていますが これもまたその通りでしょう

核心を突いているのに面倒くさい言い回しになる
整理ができていないからです

そうなるのは

 整理をするための区分けが適切はない

あるいは

 整理を為すための区分けを見落としている


思うに まず

 イノベーション/コミュニケーション

という区分けが適切ではありません

「コミュニケーション」を「仕事」に分類してしまうカテゴライズも適切ではない
こうなってしまうのは 根っこ を見落としているからです

 〔ヒト〕はそもそもがコミュニケーション・アニマル

ここが根っこ
コミュニケーションを生存戦略の中核に据えたのがサイエンス
サピエンスにとって コミュニケーションは生き残るための本能です

本能を一部の者の「仕事」に限定するのは間違いだし
その間違いがまかり通ってしまったら
〈生きる〉ことそのものが危うくなってしまいます


次に 「コミュニケーション」の適用範囲も不適切

サピエンスがコミュニケーションする相手はサピエンスだけではありません
他の動物ともコミュニケーションするし
植物 無機物 果ては 虚構 妄想 ともコミュニケーションします


「分配」と「分業」も コミュニケーションの分化だと考えることができる

「分配」は 〔人間〕同士のコミュニケーション
コミュニケーションは通常 言葉などの情報を解して行うものだと考えられますが
モノやサービスのやりとりだって 立派なコミュニケーションです

「分業」は 〔人間〕とサピエンスを含む
コミュニケーション可能なあらゆる存在とのコミュニケーションが分化したもの

農業は特定の植物とのコミュニケーション
酪農は特定の動物と
工業は特定の物質や機械など
サービス業は 〔人間〕あるいはサピエンスとのコミュニケーション
医療などは〔人間〕というよろサピエンスでしょう

「分業」によっておこる「専門化」は コミュニケーション対象の分化と深化です


〔ヒト〕にとってコミュニケーションは生存本能の発露であり
その発現形態はさまざまに分化しうる
どのように分化しても本能の発露には変わりはありませんから
そこに「生き甲斐」を感じることができます



イノベーションも適用範囲が適切ではありません
イノベーションはコミュニケーションの結果であって
コミュニケーションと並行するカテゴリーではありません


コミュニケーションには失敗が伴います
他の〔人間〕との対話でも 〔ヒト〕とのやりとりでも
動物や植物 モノ 虚構との対話であっても 失敗はつきもの
失敗がないのは妄想とのコミュニケーションくらいのものです

コミュニケーションには失敗が伴いますが
失敗しようと思ってコミュニケーションする者はいません
コミュニケーションは失敗を伴うものではあるが
つねに成功させようという意志が働いているものでもある

成功への意志は 成功の法則を見出そうとします
見出された成功の法則がイノベーションです
通常のイノベーションは 成功の法則が虚構と化したものを指しますが
コミュニケーションに成功するたびにイノベーションを成し遂げていると言えなくもない

私たちはつねにイノベーションを求めてコミュニケーションをしているわけです


そのような存在であるサピエンスから
コミュニケーションやイノベーションを奪えるわけがない
もし 本当に奪えてしまったなら 「死に至る病」に罹ってしまうことは必至です


記事で示されている「コミュニケーション」「イノベーション」は
ぼくが定義したコミュニケーション・イノベーションのうち
虚構と化すのに成功したコミュニケーション・イノベーションに過ぎません

もっとも 記事の定義のほうが一般的だし
一般的ではぼくの定義は
妄想が相手の失敗のないコミュニケーションと言えなくもないのですが (^_^;)



サピエンスからコミュニケーションとイノベーションを奪うのは不可能です
ただし「分配」のありかたによっては
イノベーションを生まない失敗のない妄想とのコミュニケーションへと
大勢が傾いて行ってしまう可能性はあります

これは大いにあり得ること
虚構への自縛から逃れられないまま
ベーシックインカムといった「分配」をやると そうなるだろうと思います

これは緩やかな人類自死への道です
まあ これはこれで幸せな道なのかもしれませんが....




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