愚慫空論

『太陽の蓋』

映画です
力作です
もう一度言いましょう 力作 です



ネットから拾った情報によれば 
本作は隠密行動で製作されたそうです
映画関係者も試写会が執り行なわれるまで その存在を知らなかった


なにゆえ 隠密に制作されなければならなかったのか?
その答えは情報収集先にはありませんでしたが
察するのは容易です

ある一部の人たちには触れられたくないテーマであろうから です


おっと 本作が取り上げるテーマを紹介していませんでした

3.11 危うい真実をあなたは目撃する

「史上最悪の危機」を迎えた日、官邸内で何が起きていたのか。
当時の閣僚たちが実名で登場する究極のジャーナリスティック・エンターテインメント

福島原発事故から5年。関係者による著書、様々な報道番組やドキュメンタリー、調書の公開など…当時の状況が 解明されたかのように見えつつ、人々の記憶は早くも風化され真相が明らかにされることなく原発事故問題の幕が引かれようとしている。 本作品では数多くの報告書や資料を分析し、事故対応当事者であった政治家や閣僚、被災地である福島での直接取材を敢行。5年という年月が経った今だからこそ伝えられる、「あの日」をセンセーショナルにあぶり出す!

★真実に肉薄するポリティカルドラマ!
東日本大震災~福島原発事故が起きた3月11日からの5日間。原発事故の真相を追う新聞記者をキーパーソンとし、当時菅直人政権であった官邸内、さらに東京や福島で暮らす市井の人の姿を対比させて描く。菅内閣の政治家は全て実名で登場させ、原発事故の経過や対応を事実に沿って丹念に追う。情報が錯そうする中、極度の緊張感にあった人間ドラマを描き、官邸内部のリアルな様子を浮かび上がらせる。原発と共に生きて来た福島の人々の葛藤、事故発生によって翻弄されるマスコミや東京に暮らす人々を切り取ることで原発と日本人の姿を俯瞰的に捉えている。 



動画を見て頂ければ 説明の必要はありませんが (^_^;)


情報収集先の筆者も記しておられますが
映画を観ながら感じたのは
いえ 思い出したのは 怒り
事故当時 感じていた「怒りの感情」が まざまざと思い出されきました


そう たとえば

全交流電源喪失に陥ったF1の冷却装置を作動させるために 
電源車が急行するということがありました

周辺の道路は大渋滞だった
そういうニュースが流れていたことも覚えています

そんななか 警察など行政の尽力も当たったでしょう
なんとか電源車が到着した

到着したという速報も覚えています
そのときの安堵感も覚えています

それなのに 電源車とF1の設備をつなぐケーブルのプラグが合わなくて
せっかくの電源車が役に立たないという報道が後追いした

このときの落胆とやり場のない怒り

傍観者(厳密には遠い当事者)であるぼくですら
そのときの感情は いまだにリアルなのに
尽力した関係者のそれは いかばかりのものだったか
今もって いかばかりのものか

本作はそうしたことを感じ 考えさせてくれます



怒りを忘れないことは非常に大切です

というのも 怒りにせよ喜びにせよ 
身を震わせるほどの感情は
身体にまで至った感情は 忘れることはないからです

当人のアタマは忘れたつもりであっても
からだは覚えています
からだが覚えているにもかからず
日々の暮らしに忙しいアタマは
からだが覚えている感情を無視して行動する

そうしたからだの抑圧は アタマが想像できない形で吹き出します
怒りの感情の場合 必要以上の攻撃性となって噴出してしまいます


怒りを覚えるのは 健全な身体反応です
不健全なのは 怒りを抑圧することのほうです

といって ずっと怒りを保ち続けるというのも不健全なこと
なので 一時的に忘れるのは必要なこと
が 何に怒ったのか 怒りの対象は何処なのか
ここを忘れてしまってはいけません

怒りの感情そのものを不健全なものと見なして抑圧し
アタマが怒りの対象を忘れてしまうから からだが暴発してしまう

「フクシマ」についても そうした抑圧と暴発は各所で起きていると想像します


本作は 当時の怒りをからだから掘り起こすだけではなく 
怒りを向けるべき対象をアタマに教えてくれます

このことはとても重要です


ただし 注意は必要です
ここに描かれているのは どこまで真実なのか

からだから湧き上がる怒りに押し流されて
「本当の事実」を見極めるアタマの作用を抑圧してはいけない
その冷静さを失うと 不毛な攻撃に加担してしまうことになります



とはいえ ぼくは この映画の描写を信頼できるものだと感じます
それは この映画の製作陣への信頼でもある

この映画を製作した人たちは 「怒り」を忘れず
怒りから湧き上がってくるエネルギーを 表現に結実させようとしたに違いないから

それは映画から読み取れることです

その「結実」を不毛な攻撃に貶めたいとは 製作者は思わないはず
できるかぎり事実に近づけようとする意志を持っていたはずです

もちろん 「はず」はぼくの想像に過ぎません
ここばかりは 映画を鑑賞する者が自身の感性で判断するしかないことです



この映画は 6年前の「あのとき」に「怒り」を感じた記憶がある大人には
是非とも見てもらいたい映画です
それも できるなら できる限りの対価を支払って

ぼくがこの映画をネットでレンタルしたDVDで観ました
だけど その「対価」で済ますには ぼくの中にある「怒り」に釣り合わないと感じています
なので 改めてDVDを購入することにしました

対価を支払うのは ぼく自身のためです

なお ネットで有料視聴することも可能なようです




最後に苦言を2つ

上で「大人」としてのには 理由があります
ネット上では中高生に見せるべき 学校で上映して欲しいといった意見が見られますが
ぼくはそれには同意できない

彼らにはたぶん「怒り」はないから
事故が起きた時には まだ「フクシマ」に怒りを覚えることができるほどには育っていなかったはず

そういう者たちに この映画が抱えている「怒り」をぶつけるのは
他者の虚構を子どもたちに植えつけることになる
大人として それは褒められた行為でないとぼくは思います

自らの感覚で「怒り」を覚えた人が その感情を確認するのに本作はいい映画ですが
それゆえに 他者に「生きた虚構」を伝えることもできてしまいます

これはとても危ういことです
少なくとも中高生では早すぎる

中高生には こちらがオススメ (^o^)



冗談ではなく 真面目に まず『シン・ゴジラ』の方から


もうひとつ

本作は 映画の紹介にもあるとおり 当時の政治家たちが実名で登場します
実名で登場するということは いくらなんでも前もっての了承があっただろうと推測される

実名の政治家や政治団体のHP等では 今現在 『太陽の蓋』を推薦する文言が並んでいます
推薦したい気持ちはわかります
だけど それは控えて欲しかったと思う

ぼくはたまたま この映画の存在をそうした政治的な所とは関係のない経路で知りました
政治家たちが推薦していると知ったのは 映画を観た後です

だけど もし 先に一部政治家たちの推薦を知っていたら どうだったか?
良くも悪くも 「色が付いた」「特定の臭いのある」 ところ経由なら 観なかったと思います

人間はどうしても先入観を持ちます
その先入観が事実であるかどうかに関わらず 先入観はもってしまう
そして そうした政治家たちの印象は どうしても芳しくないのです

この事実は 映画そのものの流布の阻害要因になってしまいます
映画を観れば 彼らにまとわりついている先入観を考え直そういう気持ちは生まれる
だけど 映画そのものが先に先入観で臭い付けされてしまうと
その効果は弱まってしまうことでしょう

政治家たちも 自らの「体臭」に気がついてほしいものです...










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