愚慫空論

『なぜわれわれは福島の教訓を活かせないのか』

前回前々回に続いて「フクシマ」が話題です
原発事故について

前回、前々回は「NHKスペシャル」がネタもとでした
原発事故を扱ったNHKスペシャルも放映されましたし 観てみました
新しい切り口から事故に迫った作りではありましたが 
特に感じるところはなかったところに ビデオニュースドットコムの番組です



この番組が提供した情報はとても重要で深刻だと思いました

しかし、ここに来て、新たに重要な指摘がなされている。それは、そもそも事故直後の対応に大きな問題があったのではないか、というものだ。

日本原子力研究所(原研)などで原発の安全を長年研究してきた田辺文也・社会技術システム安全研究所所長は、日本の原発には炉心が損傷するシビアアクシデントという最悪の事態までを想定して3段階の事故時運転操作手順書が用意されており、ステーション・ブラックアウトの段階からその手順書に沿った対応が取られていれば、あそこまで大事故になることは避けられた可能性が高いと指摘する。少なくとも2号機、3号機についてはメルトダウン自体を回避できたのではないかと田辺氏は言うのだ。




ぼくはもとより原発には反対の立場です
それは「フクシマ」以前から変わりません

「フクシマ」以前 ぼくは原発には反対だけど 現状は認めるという立場でした
段階的に それもなるべく速やかに原発から撤退すべきだろうけれども
ただちに全廃せよ という立場は採らない

そうした自身の立場を振り返って
ぼくも「安全神話」に毒されていたんだと反省しています
日本では過酷事故は ないとは言えないけれど まずないだろうと思ていました

しかし「フクシマ」は起きてしまいました


原発事故直後 主にネットで 発進される情報の渦にぼくも身を晒しました
そうせずにはいられなかった
安心するにしても 批判をするにしても 某かの拠り所が欲しかった

けれど 漠とした疑問がありました
さまざまな専門家たちが 原子炉内の状況を科学的知見に立って予測を述べていました
そうした予測を受けながら

 「そういうことは事前にわかっていたはずでしょ?」

という思いがどこかにあったような気がします

想定外の地震の揺れの大きさだとか そういう大きな話ではなくて
もっと細かいところ
どこどこの設備がどうとか 時間経過がどうとか


人類の知識と技術は月面に人間を送り込むところにまで達しています
大まかなことは 大まかな物理の知識があれば想像はつきます
でも 大まかな想像が実現に至るには
素人には想像を絶するほどの微細な知識の集積があるはず
素人には「あるはず」としか言えないけれど
だから信頼を寄せるしかないんだけれど
でも 信頼を寄せるに足るものはあるはずだと思っていました

原発に関して 「フクシマ」以前は


その信頼が「安全神話」に過ぎなかった
これは衝撃でしたが この番組が指摘したことは
その衝撃を再度 覆すものです

実は「信頼に足るもの」はあった

いえ 今となっては それが本当に「信頼に足るもの」だったかどうかは疑わしい
こうした「疑い」は 別所で書いた「腐臭」に似ていて
一旦 発してしまうと容易に脱することができない類いのものです

だとしても「信頼に足るもの」だったかもしれないものは あった
具体的には
 ・事象ベース手順書
 ・徴候ベース手順書
 ・シビアアクシデント手順書
の3つのマニュアルです


マニュアルの内容については触れません
触れることができないし その必要もないと思うから
それは そういう立場の人が 熟知していればいいことだと思うから

「そういう立場の人が熟知している」だろうと推測
これが「信頼」というものです


話をすすめるには 「信頼」の中身を整理しておく必要があります

「信頼」には2種類あります
 技術への信頼
 人間への信頼

上で「信頼に足るもの」といった時の「信頼」は技術的な意味です
〔世界〕には科学という言語体系で記述できる法則がある

科学は〔世界〕のすべてを記述し尽くしたわけではありません
それでも 原子力発電所で起こりうるであろう現象については
相当程度には記述が為されているだろう

「安全神話」が喧伝されるにしても根拠はあるはずで
それは「相当程度の記述(メルトスルーは防ぐことができる技術)」に違いない
それがなければいくらなんでも「安全神話」は唱えられないだろう
・・・・・・

今回提供された情報から判明したのは 根拠のほうはあったということです
同時に判明したのは 
根拠はあったにもかかわらず
「信頼されるべき人たち」が それを我が物としていなかった という事実です

 技術はあった(らしい)
 にもかかわらず 技術者たちが技術を蔑ろにした

そして

 技術への信頼は(ある程度)回復した
 技術者たちへの不信は さらに増大した


原発のような巨大で危険な技術体系には
 技術への信頼
 人間への信頼
どちらも欠かせません
これは原発に限った話ではなくて高度に技術化した現代社会全体に欠かせないものです

日本社会というスケールでこれらの信頼を眺めてみた場合
「技術への信頼」もさることなら「人間への信頼」も厚いものがあります

たとえば鉄道の運行の厳格さ
緻密な運行ダイヤが破綻なく守られているのは
それを可能にする技術もさることながら
運営に当たる人たちの誠実さあってのこと
この誠実さを疑う人は少ないでしょう
すなわち「人間への信頼」です

他にも 崩壊の危機が懸念されている宅配の現場 だとか
苛酷な状況が それでも崩壊せずにいるのは
「人間への信頼」があって
その「信頼」に応えようとしている人たちが尽力しているからでしょう

運輸業界の値上げが話題になって
許容する空気が強いように感じますが
それも「人間への信頼」がベースにあるように感じます


その一方で 「人間への信頼」がまるでダメになってところもある
昨今 頻繁に取り上げられるところでは 
東京の豊洲市場への移転問題
「安心」と「安全」とがごちゃ混ぜになった議論が続いているようですが
言葉を置き換えてみれば
 安全=技術への信頼
 安心=人間への信頼
でしょう

「人間への信頼」が喪失したところは立ちゆかなくなっている
それはなにも日本だけの話ではなくて
 アメリカのトランプ現象も
 イギリスのBREXIY現象も
同様の兆候のように感じられてしまいます


なぜ こんなことになるのか

参考になる記事があります

 『グーグルが突きとめた!社員の「生産性」を高める唯一の方法はこうだ』

求めるところが「生産性」になってしまうのが現代的ですが
しかし この記事が指摘しているのは
その“現代的”な生産性を高めるもっとも合理的な方法は

 “古典的”な方法

だったということです

今回、プロジェクト・アリストテレスの結果から浮かび上がってきた新たな問題は、個々の人間が仕事とプライベートの顔を使い分けることの是非であったという。

もちろん公私混同はよくないが、ここで言っているのは、そういう意味ではなく、同じ一人の人間が会社では「本来の自分」を押し殺して、「仕事用の別の人格」を作り出すことの是非である。

多くの人にとって、仕事は人生の時間の大半を占める。そこで仮面を被って生きねばならないとすれば、それはあまり幸せな人生とは言えないだろう。

社員一人ひとりが会社で本来の自分を曝け出すことができること、そして、それを受け入れるための「心理的安全性」、つまり他者への心遣いや共感、理解力を醸成することが、間接的にではあるが、チームの生産性を高めることにつながる。



チームにおける「心理的安全性」
人間同士の 〔ヒト〕同士の相互理解が チームの生産性を高める

このようなことは 多少でもチームで働いたことがある者なら
実感として識っている“古典的”なことです
それが改めて 最新の答えとして提示されている


ビデオニュースドットコムの番組の中では 以下のような指摘がなされていました

 チームを統括した吉田所長は設備メンテナンスの専門家で運転の専門家ではなかった
 なので上掲の3つの手順書については熟知していなかっただろう
 手順書に基づいたシミュレーションなどは「安全神話」ゆえか行われておらず
 チーム全体として手順書への理解は不十分だったと言わざるを得ないが
 それでも吉田所長よりも
 事故対応方法についての知識を持っている人間は現場にいたはず

 なのになぜ その知識が活かされることがなかったのか
 それが出来ていれば 2号機3号機はメルトスルーしなくて済んだ可能性が高い


ここに「生産性」という言葉を持ち込むなら
最悪の事態において 被害を最小に留めることが「生産性」に相当する
最高の生産性を求められた局面において それを阻害したものは何か

「仕事用の別の人格」ではないか

「所長」という人格
「総理大臣」という人格が現場に大きな混乱をもたらしたことも報道されました

吉田所長という〔ヒト〕は自身の限界を超えるところまで尽力しました
そのことは認めないわけにはいきません
しかしながら 「所長」という〔人間〕の枠を超えることはできなかったのではないか
緊急事態だからこそ なおのこと 超えることができなかった
チームが信頼していたのは〔ヒト〕ではなく〔人間〕の方だったから

 チームを構成している〔ヒト〕
 チームをチームたらしめている〔人間〕

グーグルの「プロジェクト・アリストテレス」が出した答えは
前者への信頼がチーム全体の生産性を高めるということでした
フクイチの事故対策チームが後者だっただろうというのは結果から逆算した推測です

逆算ではありますが そうした視点で見てみると

 『メルトダウンFile.6 原子炉冷却 12日間の深層 ~見過ごされた“危機”~』

も興味深いものに思えてきます


〔ヒト〕を〔人間〕たらしめるのが虚構です
〔ヒト〕たるサピエンスは虚構を操る能力を獲得したことで〔人間〕となった

〔人間〕は〔ヒト〕よりも大きなチーム すなわち〔社会〕を作ることができます
〔社会〕を〔社会〕たらしめるのは虚構です
同時に〔社会〕のパフォーマンスを阻害するのも虚構です

虚構は〔ヒト〕のパフォーマンスを阻害します
虚構に沿って〔社会〕が最高のパフォーマンスを発揮しようとすれば
要求されるのは〔ヒト〕そのもの
「人命」です


〔社会〕が虚構に沿った最高のパフォーマンスが必要とする場面
筆頭は戦争です
原発事故も そういう場面でしょう

チェルノブイリ原発事故のとき 当時のソ連政府が取った対応は
〔社会〕としての最高のパフォーマンスを求める方法でした
危険性を危険性を知らされない兵士たちが多数作業に携った
そうした方法をもってしも 結果はあの体たらくです

太平洋戦争末期
大日本帝国は〔社会〕として最高のパフォーマンスを求められていました
その結果 生まれてきたもののひとつが特攻隊です

これは「生み出された」のではなく「生まれてきた」というところが重要です
〔社会〕の中から自発的に「生まれてきた」
〔社会〕の要求に応えて 手を挙げる〔ヒト〕たちがいた

同じ構造は現代の長時間労働問題にも作用しています
最高のパフォーマンスを求めると 「人命」が捧げられることになる


こんな記事を目にしました

 『経団連=労働者に残業させないと利益を出せない、無能すぎる経営者の集まり』

この記事の指摘は部分的に正しい
だけど 全体としては外れだと思います

このような部分的に正しく感情を煽るような文章は
一時的な快感を得られる効果はありますが
全体の理解を妨げるという芳しくない効果もある


経営者たちは優秀に決まっています
優秀でなければ経営者になれるはずがない
中には親族の意向といった事情で経営者になった者もいるかもしれないが
経営者全体としては 一般より優秀であることに疑いはありません

それを「無能」と罵るのには読む方も快感を覚えますが それだけです
きちんと「有能」だと把握しないと 全体が見えなくなる

経営者たちは〔社会〕の要請に応えることに関して 極めて有能です
そうでなければ〔社会〕の重要なパーツである会社のトップに立てるわけがない
〔社会〕に対して最高のパフォーマンスを提供することにおいて有能
それはとりもなおさず
〔社会〕そのもののパフォーマンスを高めることにおいて有能です

この意味の有能さでは ぼくはもちろん 上掲批判記事の筆者も敵わない
そして〔社会〕の中には ぼくも筆者も含まれています

もちろん〔社会〕が求めているのは長時間労働ではないかもしれません
とはいえ〔社会〕のポジションによっては
パフォーマンスと労働時間とが密接に関連しているところもある
労働集約型の産業などは 特にそう
そういう場所では 個々人が求めるのは「適切な労働」であっても
それが集約的になって結果 長時間になるということも構造上ある

その構造をどうにかする責任は 誰にあるのか
現代社会の中の重要なパーツであるとはいえ パーツでしか過ぎません
トップとはいえ たかだかパーツに過ぎないものに対して
全体の責任を転嫁して断罪するのは ルサンチマンだと思ってしまいます



日本で安倍政権の支持率が高い
イギリスがEUから離脱することを選択した
アメリカでトランプ政権が誕生した

これらの現象は ルサンチマンの発露です
「大衆の反逆」と言っていいかもしれません



だとして 大衆は何に対して反逆しているのか

技術者を技術者たらしめる技術に対して 反逆しようとは思っていない
これはビデオニュースドットコムの番組で得た収穫です
少なくともぼくにとっては ですけれど

これからも原子力発電所には反対です
だけど 原子力発電という技術そのものを抹消すべきだとは思わない

技術そのものは まだまだ発展の余地がある
発展させることが出来るということには 「信」を置くことができる
信頼できないものは 技術ではなく 〔人間〕どうしの関係です

技術者たちは 〔ヒト〕よろも〔人間〕に
〔ヒト〕を〔人間〕たらしめる虚構の方に信頼を置いていた
危急の事態においてさえも です

そういう〔人間〕には信頼がおけない
反逆の対象は
技術者たちを技術者であるよりも 組織人たることを優先せしめた虚構――

 虚構のはずです


「虚構のはず」と言わなければならないのは そのことがまだ見定まっていないから
反逆を起こしているのに 反逆の対象がまだ見定められいない
反逆のエネルギーが溜まっているのに その出口が見つかっていない

これは大変危険なことです
戦争といったような エネルギー解消法へ容易に向かいかねませんから
今 人類社会は そのような兆候に溢れています
が そうした兆候に対処する手順を定めた「徴候ベース手順書」は まだありません

それどころか 収束状態がどういった状態なのかがわからない
いえ わからないのではない
見失ったのだとぼくは思います

では いつどこで どのようにして見失ったのか?
『サピエンス全史』シリーズへと続きます

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