愚慫空論

『サピエンス全史』その9~認知的不協和

『その8』はこちら (^o^)っ リンク

 


ながながと続いている『サピエンス全史』シリーズですが
そろそろ折り返し地点かな?
これからのほうが長そうな気がするんだけど...(^_^;)

「その9」をもって『サピエンス全史』第3部に突入します。
全4部の3つ目なので「折り返し」と言えますが 
上下2巻で言えば まだ上巻です...


第3部の内容を紹介します

 第3部 人類の統一

  第9章 統一へ向かう世界
    歴史は統一に向かって進み続ける
    グローバルなビジョン

  第10章 最強の征服者、貨幣
    物々交換の限界
    貝殻とタバコ
    貨幣はどのように機能するのか?
    貨幣の代償

  第11章 グローバル化を進める帝国のビジョン
    帝国とは何か?
    悪の帝国?
    これはお前たちのためなのだ
    「彼ら」が「私たち」になるとき
    歴史の中の善人と悪人
    新しいグローバル帝国

  第12章 宗教という超人間的秩序
    神々の台頭と人類の地位
    偶像崇拝の恩恵
    神は一つ
    善と悪との闘い
    自然の法則
    人間の崇拝

  第13章 歴史の必然と謎めいた選択
    後知恵の誤謬
    盲目のクレイシオ


中世の文化が騎士道とキリスト教徒の折り合いをつけられなかったのとちょうど同じように、現代の世界は、自由と平等の折り合いをつけられずにいる。だが、これは欠陥ではない。このような矛盾はあらゆる人間文化につきものの、不可分の要素なのだ。それどころか、それは文化の原動力であり、私たちの種の創造性と活力の根源でもある。対立する2つの音が同時に演奏されたとき楽曲がイヤでも進展する場合があるのと同じで、思考や概念や価値観の不協和音が聞こえると、私たちは考え、再評価し、批判することを余儀なくされる。調和ばかりでは、はっとさせられることがない。

緊張や対立、解決不能のジレンマがどの文化にとってもスパイスの役割を果たすとしたら、どの文化に属する人間も必ず、矛盾する信念を抱き、相容れない価値観に引き裂かれることになる。これはどの文化にとっても本質的な特徴なので、「認知的不協和」という呼び名さえついている。認知的不協和は人間の心の欠陥と考えられることが多い。だが、じつは必須の長所なのだ。矛盾する信念や価値観を持てなかったとしたら、人類の文化を打ち立てて維持することはおそらく不可能だったろう。



認知的不協和が必須の長所だなんて
のけぞってしまいます

のけぞったあと 態勢を立て直してみれば 「そのとおり」と言いたくなります
言いたくはなるけれども 後ろめたさは残ります
所詮は他人事だから 立て直せるのかもしれない...


第9章の最初で例としてあげられているのは ヨーロッパ中世の騎士たちです
彼らはカトリック信徒という「聖」と 
戦士という「俗」の間の不協和のなかで生きていました

その不協和を解決する方法は2つありました
ひとつは空想的解決法
もうひとつは現実的解決法

空想的解決法から生まれたのが たとえば



現実的解決法から生まれたのが

 十字軍

でした

のけぞってしまうのは 現実的解決法がもたらした惨禍を知っているからです


現実的解決法と空想的解決法は違います
というより 現実的解決法を前にすると
空想的解決法は解決法ですらない と考えるのが一般的でしょう

 空想はなんらの解決ももたらさない

いえ 空想が空想なのは テクノロジーが足りないからです
空想の中には自然現象世界秩序からすると
 実現不可能なものと
 実現可能なものとがあります

このあたりの詳細は また別に機会を設けて語ることにしましょう


空想的解決法も立派なひとつの解決法です
現実的解決法との差異は 「認知コストの差」 です

認知的不協和が存在するときに
その不況を解決する方向性は 2つ

 【単純化】
 〈複雑化〉

【単純化】が現実的になる
〈複雑化〉は空想的になる

このあたりの詳細も 別の機会に譲りましょう


話を現実の歴史に戻します

ヨーロッパの騎士たちの認知的不協和は
現実的(歴史的)には十字軍という行動をもたらしました

十字軍の結果 騎士たちは没落します
騎士階層というのは中間層 「中流階級」です

現代社会を見ればわかりますが
中流階級の没落は 
 旧来の上流階級のさらなる繁栄(腐敗)
 新たな新興階級の出現
をもたらします

この時代、旧来の上流階級とはカトリック教会です
ここがさらに繁栄し腐敗する

カトリック教会の繁栄と腐敗もまた 認知的不協和です
そこから生まれるのが プロテスタントの出現

ルターが始めたプロテストは〈複雑化〉の方向性をもつ営みです
〈複雑化〉は特別な要因がなければ空想化します
それが このタイミングでは現実化した

印刷技術の発展という特別要因があったからです
キリスト教の基盤である聖書が 技術によって
信徒の手に直接届けられたました

人類の文化はたえず変化している。この変化は、完全にランダムなのか、それとも、何かしら全体的なパターンを伴うのか? 言い換えると、歴史には方向性があるのか?

答えは、ある、だ。何千年もの間に、小さく単純な文化が、より大きく複雑な文明に少しずつまとまっていったので、世界に存在する巨大文化の数はしだいに減り、そうした巨大文化のそれぞれが、ますます大きく複雑になった。これはもちろん、非常に大雑把な一般論であり、巨視的な次元でしか正しくない。微視的な次元では、文化の集団が巨大文化にまとまるたびに、別の巨大文化が分裂しているように見える。モンゴル帝国はアジアの広い範囲とヨーロッパの一部まで支配を拡げたが、やがてばらばらになった。キリスト教は何億人もの人を改宗させたが同時に無数の宗派に分裂した。ラテン語はヨーロッパ西部と中部に広まったが、やがて地域ごとに方言に分かれ、それが最終的に各国語になった。だがこれらの分裂は、統一へと向かう止めのようのない趨勢に反する一時的な逆転にすぎない



歴史がこれまでのところ統一に向かっているのはあきらかです
現実化の傾向が統一というわけです

カトリックとプロテスタントの分派は
統一への趨勢に反する一時的逆転現象だと言えます
〈複雑化〉は大抵の場合 現実化せず
【単純化】のほうが圧倒的に現実化していきます
つまり

 虚構(言語現象世界秩序)は【単純化】の方向へ進んできた

と言えます
が 過去をそう言えることが 未来もまたそう言えることにはなりません
自然現象世界秩序ならそう言えますが
言語現象世界秩序はそうは言い切れません

『サピエンス全史』著者のユヴァル・ノア・ハラリさんは 
 【単純化】〈複雑化〉の概念を提示してはいませんから
このように言うのは言い過ぎですが
他人の言を新たに解釈し直すことは
「表現の自由」の正解では許されていることのはずなので 言ってみます

 〈複雑化〉の現実化は一時的な逆転現象にすぎない

ぼくはそう考えません

 〈複雑化〉の現実化は一時的な逆転現象にすぎなかった
 今後は〈複雑化〉の現実化が歴史の趨勢になる

この考え方の違いは本書結尾に端的に表れますが そこに触れるのはまだ先です
この続きは 歴史を統一へと向かわせることになった「征服者」について です




「のけぞった」といえば ぼくにとってはこの音楽です
カール・リヒター指揮ミュンヘン・バッハ合唱団・管弦楽団による

 J・S・バッハの『ロ短調ミサ曲』


冒頭の「Kyrie (神よ憐れみたまえ)」の“叫び”には 
大げさではなく 震撼させられました
これほどの〔人間〕的熱量のある響きを ぼくは他に知りません

プロテスタントの出現は ドイツにおいて「三十年戦争」という結末に至ります
一時的な〈複雑化〉がより大きな【単純化】に呑みこまれる過程で起こった現象です

当時の神聖ローマ帝国を舞台に1618年から1648年にかけて展開された宗教戦争は
住民の半数を死に至らしめたといわれるほど悲惨なものだったそうです

J・S・バッハは1685年の生まれです
彼が活躍したのは三十年戦争から半世紀以上経過した時代ですが
その程度の年月が 先の宗教戦争の災禍のダメージを洗い流すはずがありません
時代の経過が当時よりもずっと速いはずの現代日本でさえも
第二次大戦の災禍のダメージはまだまだ深い
そのことを考えると
バッハの生きた時代に残っていたダメージの深さは想像以上だろうと察することができます

このような芸術作品は〔複雑化〕の結実です
空想的というのはよしましょう
虚構に基づく〔複雑化〕ですが 虚構は空想とは違います

 【単純化】のダメージの深さが〔複雑化〕の深化を生んだ

そんなふうに考えてしまうのは 単純すぎるかもしれません


もうひとつ興味深いのは「実際の音」です
ここに顕現している「熱量」です

糞の山に「切り返し」をしたときに生まれる発酵熱のような

1961年 ドイツ ミュンヘン
この場所とこのタイミング
1945年に終結した戦争となんの関係もないとは考えられません
もし なんの関係もないとしたら ぼくは人間に絶望するしかない

カール・リヒターの「熱量」が時代を経過するにしたがって低下してしまうことは
上の「関係」の逆接的証明になっているような気がします


『その10』へ続きます


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