愚慫空論

『マチネの終わりに』




図書館で借りて読みました

作者の平野啓一郎さんには ぼくはまず 小説家としてより評論家として接しました



リンクを貼るためにamazonへアクセスすると 
 「前に買いましたよ」
と出てくれるので(←親切!) この本はお金を出したんでしょう

共感したことは覚えていますが 具体的な内容は忘れたなぁ...(^_^;)


『マチネの終わりに』は note を始めた頃に 
そこで盛んに「連載始まるぞ」と宣伝していたので 存在は知っていました

知っていて 平野さんにも興味はあったんだけど スルー

宣伝が好きじゃないんですよ
本も人間と同じで「出逢い」だから

信頼している人から紹介された会ってみたくなるけど
コマーシャルベースで知ってしまうと
 出逢いの機会を奪われたみたいで、どうも...(^_^;)


そんなわけで しばらく忘れていた本ですが
偶然 図書館で目に入ったときに 呼ばれた気がして 読んでみました



読んでみて よかった
お金を出す価値 あります


人は、変えられるのは未来だけだと信じている。だけど、実際は、未来はつねに過去を変えているんです。変えられるとも言えるし、変わってしまうとも言える。過去は、それくらい繊細で、感じやすいものじゃないですか?



というようなセリフではじまってしまう恋愛小説
もちろん 「大人の」 です

主人公たちが展開する恋愛は ぼくには「どうでもいい」とは言いませんが
まあ 二の次です

 「過去は変わるし 変えられる」

僕は人間内面のこうした現象を〔再編集〕と呼んでいるわけですが
そこに強く関心を持つぼくが 
こんなセリフを浴びせられて 惹きつけられないわけがありません

あいや もちろん 恋愛の展開も面白かったです
効果的に「喪失」も配置されていて

先のセリフでいとも簡単に楽しませてもらったぼくは
作者が弄する魔術にいとも簡単に乗っけられてしまいました(^o^)

...「二の次」は 落としすぎですね(^_^;)
申し訳ありません


この小説は 上質の娯楽として楽しむのもよし
楽しめるだけでも 十分に「収穫」はありますが
求めるなら プラスアルファも手にすることができます


ぼくが手にしたのは ヒトの〔再編集〕能力の再確認 です

主人公たちの心理展開には真実味が感じられます
読者であるぼくの方は 作者の「魔術」に乗っけられていますから 
「デタラメ」でも受け容れることができる状態にはなっています

だけど ここで展開されるのは「デタラメ」ではありません
「虚構」には間違いないけれど「妄想」ではない
条件が成立すれば 誰にも起こりえる可能性があります


以下は 相当にネタバレなので 追記へ



ストーリー上の最大の「転(←起承転結の)」は
 第三者の嫉妬が主人公ふたりの行動を狂わせてしまう場面です

主人公(男)は クラシックギターの奏者
主人公(女)は ジャーナリスト
嫉妬から行動を起こすのは 主人公(男)の女性マネージャー
いわゆる横恋慕というやつです


(男)は 国際的な演奏家だけれど 活躍の場は主に日本国内
(女)は 本拠地パリで 戦火のイラクに滞在していたりする

そんなふたりが 上掲の「セリフ」のようなやりとりがあって すぐ惹かれ合います
そうなっても 生活の場が違うから 最初から距離があります

物語の中の客観条件(設定)はそうであっても
ぼく(読者)にとっては ふたりの出逢いが「最初」ですから
「距離」は「喪失」になります

ふたりは「距離」を縮めるべく行動し
ふたりの行動を眺めるぼくは ふたりにそれを望んでいる
ごく単純な「魔術」です

「距離」は順調に縮まり ふたりの願いは成就しようとする
そのときに「嫉妬」が「成就」を妨げる

このときの「嫉妬」による妨害行動は 実に単純なものです
双方共にその気があれば 簡単に撥ね除けることができる類いのもの
なのに なぜか 主人公(女)の方は 妨害を受け容れてしまう

ここが最大の「転」であり「喪失」です


なぜ主人公(女)は 単純な妨害で簡単に心折れたのか
作者が 事前に伏線を張りつつ用意している答えは

 PTSD

です

恋愛の成就に向かって精力的に行動しながら
戦火のイラクで負ったダメージが残っている
恋愛には そのダメージを隠蔽する効果があった
だけど 隠蔽はあくまで隠蔽です
目一杯に張り切った心は ほんの少しのダメージで折れる状態になっていた
そして そのダメージは与えられた...

こう書いてしまうと 何も特別な話ではありません
上質な恋愛の衣装を着せられているけれど
どこにでもある 普通の人間の「ふつうの話」です

「ふつうの話」だと認識したなら それはプラスアルファの収穫になる



人間には過去は〔再編集〕することができる能力がある

この能力が発揮されるのが 「結」に向かって物語進行です

主人公ふたりは それぞれに家庭を持ちます
それぞれに不安定で苦難の生活ではあります
そうであっても それぞれに その人なりに生きていく姿が描かれています

ここのところの展開は 正直 地味なものです
でも とても大切な部分だと ぼくは 思います

「運勢」という 神秘的な言葉で表現するのがここは適切でしょう
この時期 ふたりの運勢は悪い
悪い運勢に流されながらも 抗わず  「その人」として生きます


そうして運勢が上向きかけたふたりに 〔再編集〕能力が試される事態が起こります
ふたりが知らなかった「嫉妬」が暴かれます


ふたりが別れることになった原因を知ってしまうことは
これもある意味で「再編集」と言えるかもしれません
この場合 ぼくとしては 【再編集】と表記すべきかもしれません

「真実」は 
 人間の記憶の積み重ねを
 記憶の積み重ねによって築いた価値体系を
強制的に書き換えてしまうことがある

このときふたりに降りかかったのが まさにこれです
ふたりは その【再編集】を受け容れつつ さらに〔再編集〕を試みようとします

(女)は自身のPTSDを自覚し
(男)は「嫉妬」の反動として生まれた贖罪的行動を理解する
そうして「嫉妬」に赦しを与えます

いえ 「赦し」ではありません
そんな余分なものではない
これも 単に「受け容れる」です
「嫉妬」もまた わが身のこととして 肯定的に〈再編集〉が為されます


タイトルのなかの「マチネ」という言葉は 興行関係の用語です
昼間の公演を「マチネ」というらしい

小説『マチネの終わりに』の「マチネ」は もちろん二重の意味を持っています
ひとつは 昼間の公演という意味
もうひとつは 「〈再編集〉の物語」という意味でしょう

ふたりの〈再編集〉の後に 始まるものがある
それが何かは描かれません
始まりで 物語は終わるからです

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