愚慫空論

『サピエンス全史』その7~書記

『その6』はこちら (^o^)っ リンク

 



〔人間〕は自身を知性的な生き物だと自負しています
いますが 本当にそうなのかと改めて問われると どうでしょう?
確信を持って 「そうだ」と答えられる者はどれほどいるでしょう?
また 確信を持って答える者を 他の者が知的と判断するかどうかも疑問です
〔人間〕は知的確信者を むしろ知的な人間だと感じないのが普通でしょう

なぜか?

〔ヒト〕は知的な存在ではないからです
〔ヒト〕を〔人間〕たらしめるのは大脳の機能に拠るところが大きいのですが
その大脳とても 〔人間〕が知的と考える作業を得意としているありません

そしてこれが最も重要なのだが、第三に、人間の脳は特定の種類の情報だけを保存し、処理するように適応してきた。古代の狩猟採集民は、生き延びるためには、何千もの動植物の形状や特性、振る舞いを覚えなければならなかった。秋の楡の木の下に生える黄色いしわしわのキノコはほぼ確実に有毒なのに対して、冬にオークの木の下に生える、似たようなキノコは腹痛に効くことも覚えなければならなかった。また、狩猟採集民は集団の数十人の成員の意見や関係も記憶にとどめておかなければならなかった。もしルーシーがジョンに悩まされていて、集団のある成員の助けを借りてそれをやめさせようと思っていたら、先週ジョンがメアリーと別れたのを覚えていることは重要だ。おそらくメアリーは熱心に味方してくれるだろうから。というわけで、人間の脳は進化圧のせいで動植物や地勢にまつわる情報や社会的な情報を大量に保存するように適応してきた。


だが農業革命の後、著しく複雑な社会が出現し始めると、従来とはまったく異なる種類の情報が不可欠になった。数だ。狩猟採集民は、大量の数理的データを扱う必要に迫られることはついぞなかった。たとえば、森のそれぞれの果樹になっている実の数を覚えておく必要はなかった。だから人類の脳は数を保存して処理するようには適応したなかった。ところが、大規模な王国を維持するためには、数理的データは不可欠だった。法律を制定し守護神についての物語を語るだけではけっして十分ではなかった。税を徴収する必要もある。・・・・・・



下の記述には断絶があります
「王国」です
「王国」という言葉の出現は唐突です

農業革命が複雑な社会を出現可能にしたことはいいでしょう
ですが 「可能になった」 ことと 「実際に出現した」 ことは同一ではありません
前者は後者の必要条件ではあっても十分条件ではない
ここに断絶があります

税の徴収を必要とするほど 大きな集団を作る必要がなぜあったのか?

これこそサピエンスの成功の鍵だった。一対一で喧嘩したら、ネアンデルタール人はおそらくサピエンスを打ち負かしただろう。だが、何百人という規模の争いになったら、ネアンデルタール人にはまったく勝ち目がなかったはずだ。彼らはライオンの居場所についての情報は共有できたが、部族の精霊についての物語を語ったり、改訂したりすることは、おそらくできなかった。彼らは虚構を創造する能力を持たなかったので、大人数が効果的に協力できず、急速に変化していく問題に社会的行動を適応させることができなかった。



以前にも引用した記述です

サピエンスはネアンデルターレンシスを「協力」で打ち負かした
では サピエンスはその後 
用済みになったはずの「協力」を ゴミ箱へとうち捨てたか?

答えは言うまでもなく 「否」 です
うち捨てるどころか 「協力」をますます発展させていった
「王国」が「協力」発展の過程で出現した〔虚構〕であることは確実です

では サピエンスは「協力」よって得られる効用を 誰に対して用いたのか?
もちろん 同じサピエンス にです
ネアンデルターレンシスがいなくなってうち捨てられなかった「協力」は
個別の「協力」どうしの競争へと「発展」した――

抽象的過ぎる言い回しですね
要するにサピエンスのなかで「味方(仲間)」と「敵」とに分離したというわけです
たとえば 農耕民と狩猟採集民
たとえば 農耕民同士

「協力」どうしの競争という知的行為 すなわち「戦争」です
「戦争」にはリーダーが必要で
リーダーを支えるには 〔システム〕が必要で
〔システム〕を支えるには 〔システム〕を支える〔人間〕が必要です

この「必要」への要請に応えて発明されたのが「書記」でしょう


いえ ここにも断絶があります
「協力」は戦争なしに 平和裡に大きくなることもありえます
だとしても 人類は リーダーなしの大規模協力〔システム〕は発明し得なかった
民主主義が発展した現代社会ですら リーダーなしの「協力」は想像できません
「リーダーシステム」ができあがれば
「リーダーシステム」同士の「協力」もしくは「非協力」は
リーダーの意思によって導かれるようになるのは自然なことでしょう

そうでなくても 〔人間〕には社会的ジレンマがあります
ナッシュ均衡は必ずしもパレート最適をもたらしません
リーダーがおのが集団のための利益を追求した結果
「非協力」になってしまうのは 自然な社会現象です

「非協力」になってしまった集団同士の非協力解決法には
 1.「協力」に立ち戻る
 2.「非協力」を押し通す
の2つがあります

どこかの集団が2.をたまたま成功させて規模を集団の規模を大きくすると
その集団はより2.の戦略を採用しやすくなるのは道理です
そうした「たまたま」が時間の経過とともに とある状態へと収斂していく

 淘汰

社会的淘汰の末 誕生するのが「王国」であり「帝国」です

「王国」や「帝国」といった〔システム〕を支えるのには
支える〔人間〕が必要であると同時に
「協力」を大規模にするためのテクノロジーが必要です
その必要を満たすことができた集団が 「王国」や「帝国」への道を拓くことができる

この問題を最初に克服したのは、古代シュメール人だった。彼らが住んでいたメソポタミア南部では、焼け付くような日差しが肥沃な泥だらけの平原に降り注ぎ、豊富な収穫が得られ、次々に町ができて栄えた。住民の数が増えるにつれ、彼らの営みを調整するために必要な情報の量も増えた。紀元前3500年と紀元前3000年の間に、名も知れぬシュメール人の天才が、脳の外で情報を保存して処理するシステムを発明した。もっぱら大量の数理的データを扱うようにできているシステムだ。これによってシュメール人は社会秩序を人間の脳の制約から解き放ち、都市や王国や帝国の出現への道を開いた。シュメール人が発明したこのデータ処理システムは「書記」と呼ばれる。



当時のメソポタミア南部には
〔システム〕を稼働させることができるだけの条件が揃っていた
 生態学的条件が整って人口が増え
 人口が増えたために 大規模な「協力」の条件が整い
 書記が発明されたために 大規模な「協力」が実現した




「生態学的条件を整のう」というのは 少し考えれば矛盾した記述です
生態学的条件を そもそもで考えるなら
それは
 「整っている」
 「整っていない」
の問題で
 「整えることが可能」
 「整えることが不可能」
の問題ではないからです

ですが 上の問題の次元を下の問題の次元へと変化させる出来事がサピエンスに起こります
農業革命です
農業革命によって 生態学的条件は 〔人間〕には「整えることが可能」なものへと変化した

ただし 農業革命は大きな代償を要求します
特定の植物への隷属です

サピエンスは特定の植物へ依存することで自らの自らの生存学的条件を整える
このことは 物理的客観的は「隷属」とイコールです
自ら生存のために 自ら以外の種の生存を優先させなければならないのですから
「隷属」という言葉は的を射ています

しかし 客観的事実は 必ずしも主観的事実とイコールではありません

植物には動物的意思はありません  
ここに〔人間〕の主観が入り込む余地がある
植物を育てることを 自らの「内発」とすることも可能です

サピエンスのみならず あらゆる生物にとって 生存への意志は〈内発〉です
裡なる欲求です
意思を持たない植物に許されて サピエンスは内発的に植物を育てることが可能
自らの内発として 生態学的条件整備を為す行為の結果として成立するのが

 〈里〉

です
〈里〉は その場その場の生態学的条件の在り方(風土)によって多種多様なものになります


ところが〈里〉の規模を超えるような大規模な「協力」は
〔人間〕の内発性を阻害してしまいます

言い方を変えれば 「王国」や「帝国」を出現たらしめる大規模協力は
これもまた大きな代償を要求する
それは 植物には「許されて」いた 〈内発〉 です

大規模協力はリーダーを必要とします
リーダーが植物ということはありえません
リーダーは動物的意思を備えた〔人間〕です

「書記」というテクノロジーが発明によって
 〔システム〕に支えられる〔人間〕と
 〔システム〕を支える〔人間〕の分離がおきます

「書記」を駆使する〔人間〕は ただ「書記」だけを駆使するわけではない
必ず 〔人間〕としての動物的意思も同時に発動させる

同時発動が避けられない動物的意思をどう制御するかが
理性であり 倫理ですが 
これらは原理上 十全に機能することはありえません

かくして〔システム〕を介した〔人間〕による〔人間〕の抑圧が生じます
個々の動物的意思は 原理上 バッティングするようにできています
個々のバッティング自体は 自然現象です
〔ヒト〕と〔ヒト〕同士のコミュニケーションの一形態にすぎない

が 自然現象に〔システム〕が介入すると 不自然現象になります
〔人間〕が〔ヒト〕である部分を〔システム〕が抑圧する
そうなると〔システム〕は【システム】へと質的転換を起こします
ぼくがいうところの

 逆接

の成立です

現代社会は そうした「質的転換空間」が全域化した【社会】に他なりませんが
全域化に至るには まだまだ歴史の旅を続けなければなりません


(画像はコチラからお借りしました (^o^)つリンク

『その8』へと続きます

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