愚慫空論

「アルバイトにはお金以上の価値がある」

Livedoorニュースから 話のネタを



  「アルバイトにはお金以上の価値がある」広告コピーが物議 
    「それは世の中に余裕があった頃の話」というツッコミも

アルバイトというか もっと一般化して

 「仕事にはお金以上の価値がある」というのは真実

でしょう?
いえ 真実でなければならないでしょう? そもそも?

 お金は社会を回すための必要条件(最低条件)

なんだから
仕事は社会を構成する最も重要な要素で
それが最低条件しか満たさないということは

 その社会は最低なものになってしまっている

ということに他なりません




「健康」ということを考えてみましょう

豊かな人生を送るにあたって 「健康」は 必要条件 と言えます
では 十分条件に相当するのは?



上の図において 「健康」は「お金」に置き換えても成立します



人生や社会において 
 健康
 お金
といった 必要条件は十分条件を満たすためのもの
ゆえに 

 必要条件 ≠ 十分条件

当たり前です
当たり前なんですが そうでないことが起こるのが【社会】です

 「健康」が必要十分条件になる
 「お金」が必要十分条件になる

ネタとして取り上げた記事から感じるのは

 昔は「お金」は必要条件だったが
 現代は「お金」は必要十分条件だ

です

僕の感触に違和感を抱く人は多いだろうと予想します


現代でも 「健康」が人生の必要十分条件だ という人は少ないと思います

 「健康」でありさえすれば幸福
 だから どんどん「健康」になるようにガンバル
 あらゆる労力を「健康」になるために費やす

こんなふうになってしまったら 

 それは逆に不幸じゃないの?

と感じます
そう感じるのが健全な感性だと思う

そこのところを踏まえるなら

 「健康」は「幸福」を支えさえすればいい

という考えに至ります
こうした余裕のある考え方から

 Quality Of Life

といった概念も生まれます

クオリティ・オブ・ライフ(英: quality of life、QOL)とは、一般に、ひとりひとりの人生の内容の質や社会的にみた生活の質のことを指し、つまりある人がどれだけ人間らしい生活や自分らしい生活を送り、人生に幸福を見出しているか、ということを尺度としてとらえる概念である。QOLの「幸福」とは、身心の健康、良好な人間関係、やりがいのある仕事、快適な住環境、十分な教育、レクリエーション活動、レジャーなど様々な観点から計られる。



同じことが「お金」についても考えられるはず
はずなのですが できない
できない社会になってしまっていると感じます


 上野千鶴子の「平等に貧しくなろう」について - Togetterまとめ



上野千鶴子さんへの批判殺到のようです
批判の論旨は

 オマエが言うな!

に集約されるようですが それは反論ではない...

じゃあ、だれが言えばいいの?

上野さんの意見への反論文章をいくつか読んでみましたけど
納得いくものはありませんでした

 「みんなで貧しくなろう」と言える立場の者はいない
 ゆえに 「みんなで貧しくなろう」は誤り

そんな論旨の文章ばかり
まったく論理的ではありません
「立場」なんて関係がない


元の記事に戻りましょう
「アルバイトにはお金以上の価値がある」
これも批判を浴びています

上野さんへの批判と異なるのは 批判の的となる「立場」の人がいないこと
それは たまたま アルバイト雑誌の広告だったからそうであっただけで
もし 仮に どこぞの社会学者の発言だったとしたら
その発言主が批判を浴びる「立場」に立たされたでしょう


QOLの考え方は「健康」に対して適用されます
医療や介護の世界ではスタンダートな思考法になっているはず

ところが「お金」に対して適用されない
貧しくなるのは不可能だという社会的な結論として提示されます
すなわち

 「お金」は必要十分条件だ

です

「健康」においてのQOLを否定する者は
 「健康」が強迫観念になっていると見なされます

だったら

「お金」においてのQOLを否定する者もまた
 「お金」が強迫観念になっていると見なされるはず

強迫観念から自由な者ならば

  「みんなで貧しく」

をなんらの感情的反発を覚えずに受け容れられるはずなんですがね?



自由になる方法にはふたつあります

 1.欲求を十分に満たす
 2.欲求を感じなくする

そもそもの〔自由〕というは1.です
1.の方向性で問題を解決していこうとする構えが〔自由〕です
ゆえに〔自由〕は「貧しくなる」という構えからは根本的に相容れない

1.の方向性でQOL的な考え方は成立しないのか?
成立します
それは 

 Life-Work Balance

ワーク・ライフ・バランス(英: work–life balance)とは、「仕事と生活の調和」と訳され、「国民一人ひとりがやりがいや充実感を持ちながら働き、仕事上の責任を果たすとともに、家庭や地域生活などにおいても、子育て期、中高年期といった人生の各段階に応じて多様な生き方が選択・実現できる」ことを指す



この文言だけをみれば QOLに近いのですが。


 日本人の働き方をホリエモン×ひろゆきが本音で指摘
  「やりがいや生きがいを求めず、稼ぐための手段と割り切るほうがいい」


この考え方においては 「お金」と「幸福」との関係性が切り離されています
ある意味 「お金は必要十分条件」に近いのですが
それは 真逆だから
「お金」は「幸福」にとって必要条件でも十分条件でもない

不思議なのは「お金」についてのQOLが高そうなふたりが
そのような主張をすること

 オマエが言うな!

という批判が聞こえてくるかどうか?
あっても不思議ではないはずなんですけどね


〔自由〕は現在 資源と環境の有限性という物理的現実的な問題に突き当たっています
そこを考慮に入れると 「お金」は「幸福」を切り離すのは 理に適っています
「みんなで貧しくなる」のと同様に
ただ 行き方
    生き方 の問題

1.の意味において「お金」に自由になることができる人は
「お金」と「幸福」との関係性が維持されるQOLの高い生き方を選択可能です
そうでない人はQOL的な考え方を捨てる以外に選択肢はない


締めの音楽に相応しいのは



これのような気がします
必要十分な あるいは 必要でも十分でもない 「天国」



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