愚慫空論

ヴィヴァルディ『四季』





ヴィヴァルディの『四季』です

誰もが聞いたことのあるメロディ
誰からも受け容れられる音楽
すこぶる〈上機嫌〉な音楽

前回 『けものフレンズ』を取り上げたときに 

 〈上機嫌〉 

という言葉を(ぼくの)キーワードとして登録する なんてことを書きました
そのとき 湧き上がってきたのは mozart の K.136 だったのですけれど
一晩経って 脳裏で響いていたのが『四季』でした

ああ これもまた〈上機嫌〉だなぁ と

加えて 芋づる式に浮かんできたのが
くらっしく音楽の名曲を取り上げた本で
誰の文章だったかは忘れてしまいましたけど

 『四季』こそ古今随一の名曲だ

といった内容の文章です

難解なところがまったくなくて 親しみやすく
ポピュラリティに溢れる曲だ と
一般大衆には 正直 縁の遠いクラシック音楽だけれど
そんな中で『四季』は 大衆に広く受け容れられている
この事実は 名曲の基準として評価すべきだ――

ぼくは なるほど一理あるとは思ったものの
持って回った理屈だな と感じたものでした


そんでもって もうひとつ芋づるなのが 吉田秀和さんの文章
どこで書かれていたいたものなのかは失念しましたが
 モーツァルトの『アイネ・クライネ・ナハトムジーク』やら
 ドヴォルザークの『新世界より』やら
 『四季』も名指しされていたかどうかは忘れましたけど
そうしたポピュラリティの高い音楽は 
良いには良いんだけど 私はどうも好きになれない
俗受けするような音楽には 何か掛けているものがあるような気がする――

そんな内容の文章でした


当時のぼくは 吉田秀和に軍配をあげていました
最近まで そうでした

けれど ここのところ 気がついてみれば
『アイネ・クライネ』をよく聴くようになっています
『新世界から』は ちょっと引っかかるところがあって好みから外れるんだけど
同じドヴォルザークの音楽は 聴いていることが多くなりました

これなんて 最近 大のお気に入り (^o^)




実は始めて聴いたのは アニメ『のだめカンタービレ』でだったりするんですけど
そこでは マニアックなんて言われていたりしたんですけど
これもまた とても〈上機嫌〉なんです
「場」に埋め込まれている感じがする

このドヴォルザーク第5交響曲に比べると
有名な第9番『新世界から』は 寂しいと感じるんです
つまり【不機嫌】なんです

第4楽章の有名なテーマは勇ましくて良いんですが
最近のぼくには 痛々しく響く
無理してるなぁ って思ってしまいます
「場」から浮いてしまっていているオノレを鼓舞する感じ

その点 第5交響曲は ずっと素直な構えで通っている

いわゆるクラシック音楽の名曲基準でいえば
軍配はやはり『新世界から』なんだろうと思います
そっちのほうが深刻だから
【不機嫌】だから

名曲と評価されるのは
 【不機嫌】だけど そこから 立ち直らなければならない
 【不機嫌】から救済されていなければならない
その振幅が大きいことが 名曲といわれるものの基準

その基準でいけば ドボルザークの第5交響曲や『四季』は外れています
「振幅」がありませんから
ずっと〈上機嫌〉

でも それでいいんじゃないの?




そもそも〔ヒト〕は
 いえ
そもそも〔生命〕は
 〈上機嫌〉なものだと思います
 〈生き生き〉したもののはずなんです

それがいつの間にか【不機嫌】がベースになってしまって
【不機嫌】からの脱出を目指すことが生きる目的になっている

その方法論によって
 解脱(自力の場合)
 救済(他力の場合)
と言ったりしますが 出発点は同じです 

よく「生きることには目的なんかないんだ」と言います
それはその通りなんですが
それが言えるのは〈上機嫌〉だからです
〈生き生き〉と生きるのに 目標なんて必要はありません


だけど【不機嫌】がベースだとすると
そこから脱出することは 立派に目的たり得ます

というより 本来の〈上機嫌〉に復帰するというのは
ごく自然な欲求のはずです
その ごく自然な欲求が言語的に「目的」として認識されるだけ

お腹が空いたら「お腹が空いた」
喉が渇いたら「喉が渇いた」

「お腹が空いた」「喉が渇いた」を「目的」とは言いません
 同様に
【不機嫌】からの脱出も「目的」ではない
どれも自然な欲求でしかない

自然な欲求が満たされないなら
 誰だって
 ヒトではなくても
【不機嫌】になるでしょう
【死に物狂い】になります

ごく単純なことです
その単純なことがわからなくなっている


今のぼくの関心は歴史への傾きが増していますが
その理由を当記事の文脈に沿って言えば

 単純なはずのことがわからなくなっている

からです
見失ったのには 理由があり原因があるはずです


締めに 最高の名曲として評価の高い
つまり もっとも【不機嫌】だとされている音楽を



う~ん これにはどうしても「持って行かれて」しまいます...
イエスを処刑してしまった後
「このお方は本当に神の子だったんだ」と気がついてしまうところの驚愕と畏怖



【不機嫌】を快感として受け取ってしまう救いのなさ。
けど それでいいじゃないかな?

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