愚慫空論

〔世界〕と〔システム〕



当記事の内容は

 『サピエンス全史』 その0

からの続きになります

『サピエンス全史』シリーズは『その5』まで進んできましたが
このあたりで 体系的なことを記してみたいと思います

 〔世界〕
 〔社会〕
 〔システム〕
 〔人間〕
 〔ヒト〕

『その0』では 5つのキーワードを提示しました

〔人間〕と〔ヒト〕は存在としては同一です
〔人間〕であると同時に〔ヒト〕でもある存在を「サピエンス」と呼びましょう

サピエンスにおいて 〔人間〕と〔ヒト〕の分離が起きました
その出来事が認知革命です

認知革命には確たる証拠はありません
蓋然性は高いが推測です
仮説です

認知革命以前のサピエンスがまだ地球上に生息しているか?
いるとすれば それはピダハンだろうというのが ぼくの仮説です



ピダハンは「直接体験」で生きているサピエンスです
すなわち「一重の現実」しかない

認知革命以降のサピエンスは
ピダハン以外は「二重の現実」の中で暮らしています

「二重の現実」をもたらしたのは言語です
私たちの言葉にあって ピダハンの言葉にないもの
それは リカージョン(再帰) です

人間の脳が限られたものであるのに、ほぼ無限と言えるほどの文章を生みだすことができるのはなぜなのかを最初に命題としてたてたひとりがチョムスキーであるのは論をまたない。言語学者がよく言うように、「有限の方法を無限に使う(――科学的な観点から厳密にこの表現が何を意味するのか、満足のいく解説をすることのできる言語学者はいないと思うのだが)」ことを可能にする道具であるに違いない。チョムスキーは人間の言語に無限の創造性を与えている基本的な道具がリカージョンであると主張した。

リカージョンは従来、文のある構成要素を同種の構成要素に入れ込む力と定義されている(もっと数学よりの言い方をすると、実行すると自分自身を参照するような手順ないし命令系である)。鏡と鏡を向かい合わせて持つと、互いの鏡像がどこまでも果てしなく見えるというのが、目で見るリカージョンの例だ。耳で聴くリカージョンの例としては、フィードバックがある。アンプが自分自身の出力した音を拾い、増幅してさらに出力し、それをまた拾って増幅し、延々と出力しつづけるような場合である。

これが一般的なリカージョンの例だ。統語的にはある語句の塊を、同じ種類の塊に入れ込むことと解釈できる。たとえば「ジョンの弟の息子」という名詞句だ。これは「ジョン」「彼の弟」「彼の息子」という名詞句を含む。あるいは「わたしはおまえが醜いと言った」という文には、「おまえは醜い」という文が含まれる。

(『ピダハン』p.318より)



人間の言語に無限の創造性
言い換えれば「デタラメ」です

ただし 「デタラメ」は無秩序を意味しません
デタラメのなかにも秩序は自生的に生成いきます
自然現象もそうだし 言語現象もそう

秩序の自然発生のことを「オートポイエーシス」といいます
言語現象にもオートポイエーシスは働く――これはぼくの仮説です


リカージョンによって言語の複雑性が増す
複雑性は増すほどに
オートポイエーシスの作用で自己組織化されていく秩序は独自のものになる
言語現象秩序は独自のものになるにしたがって
自然現象秩序から乖離していく

そうして 「二重の現実」 が誕生します

はじめに言葉があり,言葉は神と共にあり,言葉は神であった。
この言葉ははじめに神と共にあった。
すべての物は彼を通して造られた。造られた物で,彼によらずに造られた物はなかった。
・・・



コチラでも引用した 『ヨハネの福音書』の冒頭です

「言葉は神であった」の言が示すのは

  言語現象秩序の独自性

と言っても 的外れではないと思います

言語現象秩序が自然現象秩序から分離した独自性をもつとき
「二重の現実」がサピエンスの中に生成され
〔ヒト〕と〔人間〕に分離します

自然現象秩序に従う〔ヒト〕
言語現象秩序の従う〔人間〕

同時に〔世界〕と〔システム〕も誕生します

「一重の現実」においては

 〔世界〕=〔社会〕

認知革命以前のサピエンス 
 および
認知革命以後のサピエンスを除く生命種
 にとっては
「コミュニケーション可能なものの全体」が全世界
自然現象秩序の法則が働く世界だけが〔世界〕


認知革命以後のサピエンスの「二重の現実」には

 自然現象世界
 言語現象世界

のふたつの世界(現実)があります

言語現象世界が生まれたことで〔世界〕は拡張されます
〔世界〕は拡張されることで それまでは同一だった〔社会〕から分離する

〔システム〕とは 言語現象世界秩序 のことです

コミュニケーション可能なものの全体である〔社会〕は
そもそもは自然現象世界秩序に従うものでした

認知革命以降のサピエンスは
自然現象世界秩序と
言語現象世界秩序の
デュアル・スタンダードでコミュニケートします
このデュアル・スタンダードでコミュニケーション世界が
認知革命以降のサピエンスにとっての〔社会〕です

が その〔社会〕の中に言語現象世界秩序だけは入れ込むことができません

なぜか?
言語現象世界秩序はデタラメだからです

自然現象世界秩序は すべての生命にとって同一です
生物種によって感覚装置は異なるので
「秩序の見え方」は異なるでしょうが ベースは同じ

ところが言語現象世界秩序はデタラメです
それぞれの風土において 独自にオートポイエーシスなされたもの
全生命は ひとつのオートポイエーシス(大きな円環)において
それぞれに 発生したもの

サピエンスも その「それぞれ」のひとつです
「それぞれ」とは言い方を変えると「個的」です

サピエンスという〔それぞれ〕の中に
サピエンスが生息する環境(風土)によって
重ねて「それぞれ」に言語現象世界秩序が自生的に生成されます

棲息環境を共有する〔ヒト〕たちにとっては 
生成される言語現象世界秩序のベースは共有だから
〔システム〕もまた共有されます
〔システム〕共有によって 〔ヒト〕は〔人間〕になります

棲息環境が共有されなければ  〔システム〕は共有されない
〔システム〕が異なれば 同じ〔人間〕でも 「仲間」ではない

この分離は ピダハンにすでにあるものです

棲息環境(風土)が異なるがゆえに
同じサピエンスであっても「それぞれ」が生じ
「それぞれ」に〔システム〕が生成して
「仲間」と「仲間でない者」が生成する

「仲間」と「仲間でない者」は言語現象世界での現象です
自然現象世界は共有されています
その証拠に 仲間でない者同士でも 「交配」は可能です

言語現象世界のなかに「仲間」と「仲間でない者」が生まれ
それぞれが個別の〔システム〕を持っているという認識が生まれる

異なる〔システム〕どうしは コミュニケーション不可能なものです
ここにおいて〔世界〕が〔社会〕から分離することになります


こうして見てみると 〔世界〕と〔システム〕が兄弟 だという言は誤りのようです
〔システム〕と〔社会〕の交配によって〔世界〕は生まれた

では〔システム〕は?
サピエンスと「何か」の間の子どもでしょう

その「何か」の正体はよく分かりません
進化だと言っておくのが 科学的でしょうけれども




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