愚慫空論

『サピエンス全史』その5~農業革命の罠

『その4』はコチラ

 


人類は250万年にわたって、植物を採集し、動物を狩って食料としてきた。そして、これらの動植物は、人間の介在なしに暮らし、繁殖していた。ホモ・エレクトスやホモ・エルガステル、ネアンデルタール人は、野生のイチジクを摘み、野生のヒツジを狩り、どこでイチジクの木が根付くかや、どの草原でヒツジの群れが草を食むべきか、どのオスヤギがどのメスヤギを孕ませるかなどを決めることはなかった。ホモ・サピエンスは、東アフリカから中東へ、ヨーロッパ大陸とアジア大陸へ、そして最後にオーストラリア大陸とアメリカ大陸へと拡がったが、サピエンスもどこへ行こうが、野生の植物を収集し、野生の動物を狩ることで暮らし続けた。他のことなどする理由があるだろうか? なにしろ、従来の生活様式でたっぷり腹が満たされ、社会構造と宗教的信仰と政治的ダイナミクスを持つ豊かな世界が支えられているのだから。

だが、一万年ほど前にすべてが一変した。それは、幾つかの動植物の生命を操作することに、サピエンスがほぼすべての時間と労力を傾け始めたときだった。人間は日の出から日の入りまで、種を蒔き、作物に水をやり、雑草を抜き、青々として草地にヒツジを連れて行った。こうして働けば、より多くの貨物や穀物、肉が手に入るだろうと考えてのことだ。これは人間の暮らし方における革命、すなわち農業革命だった。



認知革命によってサピエンスは〔虚構〕を操ることが可能になりました。

〔虚構〕を操ることで生物学的限界を超えた協力が可能となり
食物連鎖ピラミッドのなかほどに位置していたであろう
取るに足らない種でしかなかったサピエンスが
一気に食物連鎖ピラミッドの頂点に躍り出ることになった。

その過程でサピエンスは
かつては自分たちより上位にいたであろう種をいくつも駆逐しました。

『サピエンス全史』の第4章は 「告発の通り有罪」というタイトルですが
この章については割愛します。


サピエンスは生物学的ピラミッドの頂点に立ち
豊かな原初の暮らしを送っていました。
その物質的生活水準は ピダハンやヤノマミに見られるように
現代の文明人が享受している豊かさの水準からからすれば厳しいものでしょうが
精神的なものも含めた全体的水準で見れば 果たしてどうか?

かつて学者たちは、農耕社会は人類にとって大躍進だったと宣言していた。彼らは、人類の頭脳の力を原動力とする、次のような進歩の物語を語った。進化により、次第に知能の高い人々が生み出された。人々はとても利口になり、事前に秘密を解読できたので、ヒツジを飼い慣らし、小麦を栽培することができた。そして、そうできるようになるとたちまち、彼らは身にこたえ、危険で、簡素なことの多い狩猟採集民の生活をいそいそと捨てて腰を落ち着け、農耕民の愉快で満ち足りた暮らしを楽しんだ。

だが、この物語は夢想にすぎない。人々が時間とともに知能を高めたという証拠は皆無だ。狩猟採集民は農業革命のはるか以前に、自然の秘密を知っていた。なぜなら、自分たちが狩る動物や採取する植物についての深い知識に生存がかかっていたからだ。農業革命は、安楽に暮らせる新しい時代の到来を告げるにはほど遠く、農耕民は狩猟採集民よりも一般に困難で、満足度の低い生活を余儀なくされた。狩猟採集民は、もっと刺激的で多様な時間を送り、飢えや病気の危険が小さかった。人類は農業革命によって、手に入る食料の総量を確かに増やすことはできたが、食料の増加は、より良い食生活やより長い余暇には結びつかなかった。むしろ、人口爆発と飽食のエリート層の誕生につながった。平均的な農耕民は、平均的な狩猟採集民よりも苦労して働いたのに、見返りに得られる食べ物は劣っていた。農業革命は、史上最大の詐欺だったのだ。



農業革命が史上最大の詐欺とは。
文明人の常識とは真逆です。

ですが、豊かさがかえって貧困を真似ている現代社会の状況を鑑みれば
この「真逆」が誤りだとは言い切れません。

真に真逆なのは、次の記述。

では、それは誰の責任だったのか? 王のせいでもなければ、聖職者や商人のせいでもない。犯人は、小麦、稲、ジャガイモなどの、一握りの植物群だった。ホモ・サピエンスがそれらを栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに家畜化されたのだ。


ぼくがいうところの【システム】の誕生です。

先のここのところを引用しておきましょう。

歴史の数少ない鉄則のひとつに、贅沢品は必需品となり、新たな義務を生じさせる、というものがある。人々は、ある贅沢品についていったん慣れてしまうと、それを当たり前と思うようになる。そのうち、それに頼り始める。そしてついには、それなしでは生きられなくなる。私たちの時代から、別のなじみ深い例を引こう。私たちは過去数十年間に、洗濯機、電気掃除機、食器洗い機、電話、携帯電話、コンピュータ、電子メールなど、時間を節約して生活にゆとりをもたらしてくれるはずの、無数の機械や手段を発明した。以前は、手紙を書き、封筒に宛先を書いて切手を貼り、ポストにまで持っていくのはけっこうな手間だった。そして、返事が来るまで何日も、何週間も、ことによると何ヶ月もかかることがあった。それが今では、電子メールを地球の裏側までさっと送り、(相手がオンラインならば)二分後には返事が受け取れる。私は以前の手間と暇をすべて省けたわけだが、前よりもゆとりある生活を送っているだろうか?


サピエンスは希望を抱く生き物です。
希望は〔虚構〕にすぎませんが
〔虚構〕と現実の区別が付かないのが認知革命以後の「人間」。

その希望が【システム】を生み出す。
【システム】の種になる希望は、【希望】です。

ぼくはかつて、こんな文章を書いています。

 『【良心】ほど始末に負えないものはない』
 『魔法少女まどか☆マギカ』
 『メフィストーフェレスは合理性の中に棲む』

今読み返すと、なんとも読みづらい文章ですが (^_^;)
それはともかく、
ぼくがこれらの文章で書き表わしたかったことの出発点が、農業革命でした。

農耕技術が確立されて行くにつれ、狩猟採集民は徐々に定住生活を始める。
永続的な村落に移り、食料の供給が増えると
 女性は毎年子どもを産むことができるようになる。
赤ん坊にお粥や家畜たちの乳を与えることができるようになる。
定住生活は放浪生活よりも乳幼児死亡率は高かったが
 それでも出生率が上回るようになって、人口が増える。
農耕の導入で村落の人口が100人から110人へと増えたなら、
 もはや放浪生活には戻れない。
人口の増加はゆっくりと何世代もかかって起こっただろうが、
 その期間に狩猟採集で生き延びる技術も失われていった。

サピエンスは、より楽な暮らしを求めたわけではないでしょう。
ただ「孤独な決断」から逃れたかった。
それが〔システム〕によって可能になるなら、それに頼らない法はありません。
たとえ〔システム〕によって〔希望〕が【希望】へと変質し
 自分たちを苦しめることになろうとも。
いや、そもそも、そんな先のことを予見できるほどサピエンスは賢くはなかった。


農業革命以後の歴史は、【システム】の分化と複雑化・強大化の歴史です。
というより、それこそが歴史そのものです。

サピエンスの集合的な力の劇的な増加と、表向きの成功が、個人の多大な苦しみと密接につながっていることを、私たちは今後の章で繰り返し目にすることになるだろう。



『その6』へと続きます。

少し大きい文字

コメント

おはようございます。

ついに買って目の前に在る「サピエンス全史」の読む番が回ってきたというのに「COCORA2」の読了で、ぼんやりと佇んでしまっています、笑。ふんわりして心地よい感じです。辛い内容だというのに!!
それにしても、

>・・・栽培化したのではなく、逆にホモ・サピエンスがそれらに「家畜化」されたのだ。

ワンセンテンスだけで、じっと見入ってしまいました。凄いですね。圧巻です。
未読なのでなんとなくですが、COCORAを紐解く鍵もまたサピエンス全史に書かれているような予感がしてたまりません。

・毒多さん

おはようございます

劇場版『ヤノマミ』を見ながら記事を書いています。

>COCORAを紐解く鍵もまたサピエンス全史に

う~ん、そこまではどうかな(^_^;)

『COCORA2』読了ですか。
エントリーを期待しています。

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