愚慫空論

【マル激20170107】内山節氏:座席争いからの離脱のすすめ



2017年最初のマル激は内山節さんでした。



内山さんはぼくの大好きな哲学者で、このブログでも、何度も何度も取り上げました。
ここのところは取り上げなくなったけど...



この本が出たのは、もう10年も前のことになるんですね...

マル激でもこの本は紹介されています。
議論がこの本にまで及ぶことはなかったけれど。

それにしても、宮台さんと内山さんが議論を交わすようになるとは。
ぼくにとっては、ちょっと感慨深いものがあります。
正反対の印象を持っていたので。

以前にビデオニュースドットコムを視聴していた頃に、
リクエストのメールを送ったことがあるんですよ。
ぜひ内山さんを呼んでくれ、と。

どんなリクエスト文を送ったかは忘れましたけど、
『日本人はなぜキツネに』のことにも触れたと記憶しています。

宮台さんの趣味(?)では実現しないだろうなぁと思っていたんですが。
よかった。


議論の内容もよかったです。
ダイジェスト版ではなく、フルバージョンで見てほしいところです。
有料ですけども。
考えさせられることが、いっぱい。


もっとも、ぼくにとっては正直のところ、特に目新しい話はなかったのですが。
 内山さんの話も。
 宮台さんの話も。

目新しい話がなく、おふたりの話が接近していることに、ぼくは安心しました。
ぼくがずっと感じ考えていたことは、大筋、間違いはなさそうだ、と。

まあ、間違いだったとしても、いいんだけど。


もっとも、ちょっと物足りない部分もある。
おふたりの議論は、やっぱりニューロティピカルな議論だな、と。

ダイジェスト版の、ちょうど10分あたりのところに出てきます。
宮台さんの発言。

 「強い個人はありえない。
  関係性が個人を支えて、
  強いたたずまいとして現象することがあるんですよね。」


エイティピカルはこれに当てはまらないケースが多い。
関係性が個の尊厳を毀損していくケースが多いので、
「個人の強さ」が切実な問題になってくる。

もちろんエイティピカルとても、周囲との関係性なしに生存はできません。
それがたとえ逆接であったとしても。
エイティピカルだから逆接になるとは限らないけれど、
逆接になってしまう可能性は高い。
逆接になってしまうと、問われるのは個人としての強さになってしまう。

この構造は、ぼくは思うに、生物進化の構造と相似形です。
逆接というのは、進化の構造でいうと、淘汰圧。
淘汰圧に耐えることができる「強い個」が、「次」を作る。

その意味で、エイティピカルとは、
進化――というのはやめておきましょう、
変化のための「消耗品」です。


誤解してほしくないのは、ここでいう「強い個」とは、
たとえば
 ドナルド・トランプや
 ウラジーミル・プーチンや
 習近平
ではない、ということです。
彼らのように「システムに呼ばれた」者のことではない。
現代は【システム】そのものの淘汰圧も凄いですから、
そのトップに立つには運や才能に恵まれるのはもちろん、
圧に耐えきるだけの「強い個」でないといけない。

【システム】から呼ばれるような人ではなく。
もっと別なものから呼ばれる人。
「神」とか。「天」とか。

文明史の転換点というおふたりの予測、
おふたりだけではなく少なからぬ者がなんとなく予感していること、
そうした雰囲気のようなものが当たっているとするなら、
呼ばれるのは「ひと」ではないかもしれません。

ここいらの話は、サピエンス全史シリーズの締めのあたりで語りたいと思っています。

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