愚慫空論

『サピエンス全史』その4~原初の豊かさ

『その3』はコチラ


 


私たちの性質や歴史、心理を理解するためには、狩猟採集民だった祖先の頭の中に入り込む必要がある。サピエンスは、種のほぼ全歴史を通じて狩猟採集民だった。過去200年間は、次第に多くのサピエンスが都市労働者やオフィスワーカーとして日々の糧を手に入れるようになったし、それ以前の1万年間は、ほとんどのサピエンスが農耕を行ったり動物を飼育したりして暮らしていた。だが、こうした年月は、私たち祖先が狩猟と採集をして過ごした厖大な時間と比べれば、ほんの一瞬にすぎない。

隆盛を極める進化心理学の分野では、私たちの現在の社会的特徴や心理的特徴の多くは、農耕以前のこの長い時代に形成されたといわれている。この分野の学者は、私たちの脳と心は今日でさえ狩猟採集生活に適応していると主張する。私たちの食生活や争い、性行動はすべて、私たちの狩猟採集民の心と、現在の脱工業化の環境、具体的には巨大都市や飛行機、電話、コンピュータなどとの相互作用の結果だ。この環境は、これまでのどの世代も享受できなかったほど豊富な物質的資源と長寿を私たちにもたらしたが、しばしば私たちに疎外感や憂鬱な気分を抱かせたり、プレッシャーを感じさせたりもする。その理由を理解するには、私たちを形作り、私たちが今なお潜在意識化で暮らしている狩猟採集民の生活を深く探求する必要がある、と進化心理学者たちはいう。



少し復習しておく必要がありそうです。

サピエンスが種のほぼ全歴史を通じて狩猟採集民だったのはその通りなのでしょうが、
狩猟採集期は、大きく2つに分割されます。

 ・サピエンスは、15万年前に東アフリカで誕生した。
 ・7万年前までは、他の人類種と同じく、取るに足らない種でしかなかった。
 ・なのに、なぜか、7万年前に突如変化をした。

以上が事実だとすれば、
そして、サピエンスが全歴史を通じてほぼ狩猟採集民だったとすれば、
狩猟採集という生活スタイルは変らないにせよ、
社会的特徴や心理的特徴は変っているはずです。

7万年前にあったこと――認知革命でした。

くどいですが、7万年前のサピエンスを想像するモデルは、僕が考えるところでは、



もうひとつ、面白そうだと思っているのが



いわゆる家畜と呼ばれる動物たちが「人類社会」に加わるようになったのは、農業革命以降です。
ただ、イヌだけは例外であったようです。

イヌは認知革命以前にも、「人類社会」に加わっていたのか?
もしかしたら、イヌの「人類社会」への参加が、
サピエンスの認知革命に関わっているのかもしれません。

興味深いところです。


7万年前以降は、ピダハンと同じくアマゾン奥地で暮らす



あたりが適当でしょうか。
認知革命以後は、他にもいろいろと「資料」はありそうです。

 『ヒトとイヌがネアンデルタール人を絶滅させた』
 『ヤノマミ』

両本は、いずれ紹介するつもりです。


原初の豊かな社会

・・・

たいていの場所でたいていのとき、狩猟採集で手に入る食物からは理想的な栄養が得られた。これは意外ではない。何十万年にもわたってそれが人類の常食であり、人類の身体はそれに十分適応していたからだ。化石化した骨格を調べると、古代の狩猟採集民は子孫の農耕民よりも、飢えたり栄養不良になったりすることが少なく、一般に背が高くて健康だったことがわかる。平均寿命はどうやら30~40歳だったようだが、それは子供の死亡率が高かったのが主な原因だ。危険に満ちた最初の数年を生き延びた子供たちは、60歳まで生きる可能性がたっぷりあり、80代まで生きるものさえいた。現代の狩猟採集社会では、45歳の女性の平均余命は20年で、人口の5~8パーセントが60歳を超えている。

・・・

健康に良く多様な食物、比較的短い労働時間、感染症の少なさを考え合わせた多くの専門家は、農耕以前の狩猟採集社会を「原初の豊かな社会」と定義するに至った。とはいえ、これらの古代人の生活を理想化したら、それは誤りになる。彼らは確かに農耕社会や工業社会の人の大半よりも良い生活を送っていたが、それでも彼らの世界は厳しく情け容赦のない場所になることもあった。欠乏と苦難の時期は珍しくなく、子供の死亡率は高く、今日ならどうということのない事故であっさり命を落とすこともありえた。ほとんどの人は、ともに歩き回る集団内部の親密な関係をおそらく享受できただろうが、その集団の仲間の敵意や嘲り招いた不幸な人間は、たぶん非常に苦しんだだろう。現代の狩猟採集民は、歳を取ったり障害を負ったりして集団について行けなくなった人を置き去りにしたり、殺したりしさえすることがある。望まない赤ん坊や子供は殺すかもしれないし、宗教心から人間を生贄にする場合すらある。



原初の狩猟採集民は身体的には健康な生活を送っていた。

 多様な食物。
 短い労働時間。

ただし、危険に満ちた世界ではあった。

世界は危険に満ちているという事実。
俗な言葉で言い換えると、弱肉強食。

弱肉強食の世界に抗って生きていくのがサピエンスを含む生命のあり方です。

ただ、全生命のなかで、認知革命を経たサピエンスだけは
 他の生物種とは異なったやり方で抗うようになった。

サピエンス以外の生物種の生き方は“身体的”です。
サピエンスとても基本は身体的であることに変わりはない。
ただ、サピエンスは加えて“精神的”な生き方も可能になった。

ゲノムを迂回する

言葉を使って想像上の現実を生み出す能力のおかげで、大勢の見知らぬものとどうしが効果的に協力できるようになった。だが、その恩恵はそれにとどまらなかった。・・・・・・ これにより、文化の進化に追い越し車線ができ、遺伝進化の交通渋滞を迂回する道が開けた。ホモ・サピエンスは、この追い越し車線をひた走り、他のあらゆる人類種や動物種を大きく引き離した。

他の社会的動物の行動は、遺伝によっておおむね決まっている。DNAは専制君主ではない。・・・・・・ 行動におけるそのような劇的変化は、チンパンジーのDNAに変化があったときしか起こらない。

・・・・・・

それとは対照的に、サピエンスは認知革命以降、自らの振る舞いを素早く変えられるようになり、遺伝子や環境の変化をまったく必要とせずに、新しい行動を後の世代へと伝えていった。その最もたる例として、カトリックの聖職者や仏教の僧侶、中国の宦官といった、子供を持たないエリート層が繰り返し現れたことを考えてほしい。そのようなエリート層の存在は、自然選択の最も根本的な原理に反する。チンパンジーのアルファオスが権力を利用してできる限り多くのメスと交尾する(そして、その結果、群れに誕生する子供の多くの父親となる)のに対して、カトリックのアルファオスは、性交や子育てをいっさい控える。この自制は、極度の食糧不足あるいは配偶者候補の不足といった、特殊な環境条件の結果ではない。一風変わった遺伝子の突然変異の結果でもない。カトリック教会は、「独身主義遺伝子」を歴代の教皇が継承することによってではなく、新約聖書とカトリック教会法という物語を継承することによって、何世紀にもわたって存続してきたのだ。



生き方が身体的でしかありえない場合、生き方の変化はDNAの変異に依存します。
つまり、生物学的です。
生き方に精神的要素が加わると、その変化は文化的になる。
文化的変化の集大成が歴史です。

では、身体的なことと精神的なこととは、分離できるのか。
可能ならばそれはそれで幸いなのでしょうが、 残念ながらそうではない。

認知革命以降のサピエンスは「二重の現実」の中で生きることになった。
二重のうち、
 ひとつめは身体的現実。
 ふたつめが精神的現実です。
2つの現実が人間という一個の身体のなかで接合している。

歴史の大きな流れが示すのは
 ふたつめの現実が
 ひとつめの現実を
徐々に圧倒してきているという事実です。
そういうことになってしまったのには、理由がある。
その理由が見えれば対処法も見える。
対処法が見えれば、絶望から抜けだす道が見えるはず。

「見えるはず」というだけでなく、
 具体的に理由を提示し、
 具体的に道を示すことが
僕の目指すところ。

それが説得力のあるものになるかどうかは、また別問題――


『その5』へと続きます。

コメント

疑問を解決するには根本まで戻らなければ納得できない、ですね
業だなぁ〜^^
戻ることはできない、全てが破滅するまえに新たな道を探したい、のは身体の要求ですね。

やっぱりサピエンス全史は買うことにします。
きっと、ページを折ったり落書きしたくなるから、、、笑
COCORAの2部とあわせて6000円強かぁ、、、
でもまぁ、著者への応援もふくめて、笑

・毒多さん

業を主体的に捉え直すと天命です。

業にせよ、天命にせよ、
そこに沿って生きていくことがその者の〈生〉であるならば、
障壁は高い方がむしろ良い。

高すぎるのは困りものですがね...(^_^;)

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