愚慫空論

『CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ』


またしてもライブドアニュースから拾った話題をネタに。

 「電通の先輩『CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ』」 
  ブロガー・はあちゅうさんのツイートに反響




なんというか...


この本を思い起こさせる、興味深いツイートです。

ツイートと一冊の本を同列に語るのは乱暴ですけど、
『言ってはいけない』が言わんとしていること
 「残酷すぎる真実」とやらと、
このツイートが言わんとしているところはほぼ同じという印象を持ちます。

もっとも、僕は、これらが真実とするものは間違っていると思っていますけど。

 ひとは幸福になるために生きているけれど、
 幸福になるようにデザインされているわけではない


否。
僕に言わせれば

 ひとは幸福になるために生きていて、
 幸福になるようにでざいんされているけれど、
 人間が作り上げた社会は幸福になるようにデザインされてこなかった


です。

これは結論です。
言い換えれば直観です。
そして、結論を先に立てれば、

 いかなる理由と経過で私たちの社会は不幸になるようにデザインされてきたのか

という問いが生まれます。
この問いに対する回答が納得いくものであるならば、
直観で立てた結論も納得できるものになるはず、、、です。

だけど、僕の直観では、納得は得られない。
回答がどれほど合理的でも、なかなか納得は得られないでしょう。

納得を拒否する理由が納得をしない者のなかにあるから、です。
そして、その理由となるものが僕のなかにもある。

その理由となるものを、僕は【怨】と表現しています。
ニーチェの言葉でいうなら、ルサンチマンが相当するでしょうか。


【怨】は、僕の中にある。
僕の中に実存することで、それがそのままレセプターとなっています。
すなわち、実存が「同感」する。

上掲のツイートは、そのレセプターに引っかかるわけです。


ツイートの内容を、僕なりに分析してみます。

テレビという機械がある。
テレビ放送というシステムもある。
そのシステムを支えているのがCMという仕掛けです。
CMにスポンサーが資金を提供し
その資金で「番組」が制作される。
視聴者は「番組」を視聴するつもりでCMを視る。
ある種の詐欺ですが、それで誰もが幸せになっていたわけだから、罪はなかった。
CMは優れた仕掛けでありシステムでした。

近代社会という大きなシステムがあって、
そのサブシステムに学校というものがある。
偏差値というのは、学校というサブシステムを効率よく運営するための仕掛けです。

偏差値概念を支える正規分布やら何やらは面倒なので説明は省きますが、
偏差値40という数値は、全体を1から100へと序列づけたとき、
下から16番目を位置するということを意味します。
すなわち偏差値さ40とは全体の84%に相当しますから、
 「偏差値40の人に理解できるようにする」と教えは、
非常に合理的です。

84%を指して「普通」というのも、合理的です。

社会というシステム(電通はそのシステム上位)にいるということが意味するのは、
「偏差値」という数値が、
単なる客観的数値ではなく、
学校というサブシステムを通過したという体験を持つ者にとって、
非常に主観的でもあるということです。
いいかえば「身をもって理解」できる。

凄い教えです。
役に立ったというのも頷けます。

さらに凄いのは次。

 「この会社にいる時点で普通ではないと自覚しろ」

偏差値という指標を用いて客観的にいえば、
 普通ではないのは事実です。
電通に入社するのに必要な偏差値は70程度だと推測されるとすると、
 70以上は全体の2%強です。
「普通ではない」のは、そのとおりです。

ですが、ここで語られている「普通ではない」は、客観的以上の意味を持つ。
主観的にも普通ではない。

ツイート主が「役に立った」と言っているということは、
 「普通ではない」を主観的に捉えているということです。
そして、主観的に捉えているのはツイート主だけではない。
このツイートが反響を呼んだという事実が意味しているのは、
 多くの人もまた「普通ではない」を主観的に捉えたということです。


では、その「普通ではない」電通という会社の実態はどうなのか?
ソースは持ち出しませんが、「普通ではない」。


ここで気がつくことがあります。

客観的な「普通ではない」には、解釈はひとつしかありません。
客観的だという以外にない。
ところが主観的解釈になると、解釈はいくつも出てきます。
話を単純にするために、〈善〉/【悪】に二分することにします。

「普通ではない」ことが役に立ったと言っているツイート主にとっては、
 その言葉を額面どうりにかいしゃくするならば、
  「普通ではない」ことは〈善〉です。
そして、そのことから推測されるのは、
 電通の実態もまた善だと解釈しているかもしれない可能性です。

過労自殺が出るような実態だとしても、〈善〉。


驚くべきこと?
いえ、まったく「普通のこと」です。

「普通ではないこと」は、いろいろなことに置き換えることが出来ます。
たとえば「靖国神社で顕彰されること」。

歴史は示しています。
靖国神社で顕彰されるという「普通ではない」ことのために、
 多くの人間が自らの生命を賭し、失っていったこと。

これは、ある時代においては「普通のこと」だったし、
 現代でも「普通のこと」として捉える向きが多いのも事実です。

主観的な記号(〈 〉/【 】)を用いて書き直しましょう。

 靖国神社で顕彰されるという〈普通ではない〉ことのために、
  多くの人間が自らの生命を賭し、失っていったこと。

 これは、ある時代においては〈普通のこと〉だったし、
  現代でも〈普通のこと〉として捉える向きが多いのも事実
です。


現代は幸いなことに、かつての時代とは違います。
電通の「普通ではない」は【普通ではない】と一般的には捉えられ、
 批判を浴びているし、国も【普通ではない】という解釈をしているようです。

ですが、安心はできない。
【普通ではない】ことが
 〈普通ではない〉ことになって
  〈普通のこと〉になってしまう危うさがなくなったわけではない。
危うさがなくなっていなことの証左が
 このツイートへの反響のありようだと僕は捉えています。


件のツイート文章も、〈善〉【悪】を用いて書き換えてみましょう。

 CMは偏差値40の人にも理解できるものじゃなきゃダメ。
 この会社にいる時点で〈普通ではない〉と自覚しろ。
 世間にはおそるべき量のおそるべき【普通ではない】人がいる。
 そしてそれが日本の【普通の】人だ」


問題は、ツイート主の

 「役に立った」



 〈役に立った〉

なのか

 【役に立った】

なのかです。

額面どおりだと〈役に立った〉でしょうが
 反面教師として【役に立った】としている可能性は排除できません。

そして、その曖昧さが、ツイートを読む読者の主観的判断を招いています。
ツイート主にとって〈役に立った〉と読者は読むならこの文書全体は【悪】になる。
【役に立った】と読むなら現実の醜さを指摘する教訓、すなわち〈善〉になる。

〈善〉と読むか【悪】と読むか。
僕を含めた読者のなかにある【怨】へのレセプターのありように左右されます。


【怨】へのレセプターが広く行き渡ってしまっている社会は危うい。
プロパガンダしだいで、容易に【悪】が〈善〉へと転ぶからです。

その危うさの根っこはシステムにあると僕は考えています。
システムの中で生きざるをえない人間、
 学校というサブシステムを経由してヒトから人間になることを強制される現代人。
正常な現代人にとって、 偏差値70以上に位置するということは

 〈普通ではない〉

ことです。
この根幹は揺るいでいません――
――僕には揺るぎつつあるように見えますけども。

システムを作動させているのは、
 認知革命を経てヒトが獲得した虚構生成能力です。
システムへの【過適応】、
 すなわち【普通ではない】こと
そうした人たちがリードしないと保たれていかない【システム】
現に保たれている【システム】
そして、制度疲労によって崩壊しつつある【システム】


【怨】への機序は、また改めて語ることにします。


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