愚慫空論

三度、『ピダハン』



はじめに言葉があり,言葉は神と共にあり,言葉は神であった。
この言葉ははじめに神と共にあった。
すべての物は彼を通して造られた。造られた物で,彼によらずに造られた物はなかった。
・・・



三度『ピダハン』を語るにあたって、ヨハネの福音書から始めようと思ったのですけど、

 やめます。(^_^;)


久々に、『ビデオニュースドットコム』を見ました。
ダイジェスト版がアップされているので、貼り付けておきます。



『ピダハン』を語るにあたってはちょっと遠いのですが、



『サピエンス全史』

 


の前振りとしはありかな、と。

(ビデオニュースドットコムの番組の全編視聴は有料です、スミマセン...)


ご出演の水野さんの主張。
金利の時代的推移をもとにしての考察。
説得力があると思いました。

世界が中世に戻るかどうかは、別として。


15,16世紀が中世の危機の時代で、まだ「近代」は見えていなかった。

利子率≒利潤率≒未来への期待値

宮台さんは、「未来を買ったときの割引率」という表現をしています。
いい表現だと思います。


近代以前はほとんど成長のない時代だった。
では、なぜ、近代は成長のある時代になったのか?

この疑問は『サピエンス全史』の回答は、サピエンス全史に出てきます。
出てきているというのが、僕の解釈です。

ここではそれがさておき、近代ももはや成長が難しくなった。
ダイジェスト版には出てこないのが残念ですが、
番組後半冒頭の、コンビニの例え話がわかりやすくて秀逸でした。


『ピダハン』につながるのは、
水野さんの主張の展開を受けての宮台さんのコメントです。

現代は、社会から「成長」がなくなった時代。
その状況をを反映しているのが、金利。


金利が限りなくゼロに近づき、「未来を買う」メリットがなくなる。
構造的にメリットが消失したのに、メリットを探し回らずにはいられない。

宮台さんは、それを

 「歴史は終わっている」のに、それを認められずにのたうちまわる

と言いました。

 
では、次の「歴史」は?

宮台さんが、「未来を買わなくなった」と言ったとき、
僕は反射的に、

 じゃあ、「今」を買えばいい

と思いました。
「全生」です。

 未来を売り買いするのではないコミュニケーションに、今、ならざるをえないから、
  いち早く適応して、新しい「実存」にならないと。


宮台さんの言葉です。
その通りだと思います。

では、新しい「実存」とは?
「全生」でしょう? と僕は思う。


議論はアメリカのトランプ政権への危機感に行きます。
近代の理念と価値観をトランプ政権は、蔑ろにしそうに感じられる。
同感です。

だが、一方で、

 仲間内では今まで以上に大事にするかもしれない、フェアネスとか(いった近代的価値観を)
 仲間たち以外の人たちには逆に差別的になりそう


という神保さんの所感を述べます。
それを受けて、

 そこがコミューナルなコスモポリタニズムになるかかどうかのポイントで、
 テクノロジー、あるいはある種の情報ネットワーク、
 いろいろなやり方はあると思うけど、
 どうやって、想像力や感情のあり方を支えていくのかだと思うんですけどね...


と、宮台さん。
いや、まさにその通り。

どうやって?
これは、テクノロジーの問題だと僕は思います。
テクノロジーをいかに使うかという問題。

コスモポリタニズムを可能にするテクノロジーは、すでに出現していると僕は考えます。問題は使い方です。

「未来を買う」ような使い方しか想像できない。
確かに現状の【システム】はそのように出来ているし、
そのように使わなければシステムそのものが崩壊します。

けど、そうはいっても、もはや「未来は買えない」のだから、
どっちにしたって崩壊するんです。

じゃあ、「未来を買う」のではないテクノロジーの使い方を考えるしかない。

「今を買う」には、どうしたら?

現状でも「今を買う」ことができる人はいます。
でも、ハードルが高い。
一部の人しかできない。
だから、「次の歴史」にはなれないんです。

大半の人が「今を買う」ことができるようになれば、
そういう〈システム〉を構築していくことが「次の歴史」。
そして、「次の歴史」が始まれば、「買う」という行為そのものが無意味になる。

ごく単純な話だと僕には思えます。


番組の最後に、宮台さんが

 言葉は危険だね...

と感想を漏らします。


おお、それを言うか!
そうです、私たちの言葉は危険です。

その「危険な言葉」の典型的な例が、当記事冒頭に掲げた「言葉」です。

 言葉は神であった


「危険な言葉」を語ることが出来るようになった進化(?)した人類の、
そのどん詰まりで生きているのが、私たち現代人です。

だからこそ、「危険な言葉」を持たないピダハンたちが、生き方の参考になる。


『ピダハン』の著者ダニエル・L・エヴェレットさんは、
どのように言葉を弄しても、ピダハンを不機嫌にすることはできなかったといいます。

言葉で不機嫌にできない。
言葉で不機嫌にできるからこそ、言葉で救うこともできる。
「言葉で不機嫌にする」という前段がなければ、
「言葉で救う」ということもない。


わたしはピダハンに、継母が自殺したこと、それがイエスの信仰へと自分を導き、飲酒やクスリをやめてイエスを受け入れたとき、人生が格段にいい方向へ向かったことを、いたって真面日に語って聞かせた。

わたしが話し終えると、ピダハンたちは一斉に爆笑した。ごく控えめに言えば、思いもよらない反応だった。この話をすれば、わたしが味わってきた苦難の連続に感極まり、そこから救いだしてくれた神に心打たれた聴衆から「ああ、神様はありがたい!」と、嘆息されることに慣れっこになっていたのだ。



ピダハンたちは、自殺の話を聴かされても不機嫌にならなかった。
だから、「イエスを受け容れる」ということもわからなかった。
言葉で不機嫌になることへの「レセプター」に欠けていた。

その「レセプター」が生じるという出来事が、人類の生じます。
それを“認知革命”と『サピエンス全史』では紹介しています。



余談ですが、
久々に見た宮台さんは様子が少し変わっていました。

不機嫌さが後退してました。

以前は、端々に不機嫌さがにじみでていて、
不機嫌さに敏感な僕は、どうしても不機嫌にさせられたんですけど、
今回を感じることがなかったんです。

なにか、内的な転換があったんだろうと推測します。

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