愚慫空論

再度、『仏教思想のゼロポイント』


『サピエンス全史』について書きたかったのですが、
 書き始めたら前振りがどうしても長くなってしまいました。

というわけで、長くなり過ぎないように、まず前振りを区切ってアップしていくことにします。

  ***

去年の僕の体験のなかの、ナンバーワン。

 


思い返せば、去年は実り多い一年でした。
実生活のほうは相変わらずさっぱりですが
 (実はそうでもないんですが、そういうことにしておきます、笑)
  それを補ってあまりある読書体験が得られました。

体験した順番にも恵まれたように思います。

まずは、『仏教思想のゼロポイント』


この本が僕に与えてくれものは、「通眼」とでも呼ぶべきものでした。

(それにしても通眼は大げさ (^_^; 
 適切な言葉が思い浮かんだら、置き換えます。)

僕は普段からゴチャゴチャいろいろなことを考えています。
 考えることをどうしてもやめれらにない質(たち)なのですが、
その「ゴチャゴチャ」に、本書は“一撃”を与えてくれた。
おかげで通底する筋ができて、ゴチャゴチャが、すべてではないにせよ、整理できた。

ゴーダマ・ブッダは「一切皆苦」と考えました。
 どのような道筋を経てそのような考えに至ったのか。
 「一切」とは、どのような深さで言っているのか。
本書がブッダの考えとして提示しているのは、

 「感じること」がすでにして「苦」

ということです。
これには驚きました。


人間はまず、ヒトです。
ヒトは生物です。

人間は考える生物ですが、
生物は感じることで行動する存在です。
ブッダの考えに従うなら、あらゆる生命は「苦」の中で生きているということになる。

ブッダの世界“観”は、僕の世界“感”とは真逆です。

とはいえ、さすがにゴーダマ・ブッダの論理は筋は通っています。

筋が通っていて、「観」あるいは「感」が真逆になるということは、
 根底が真逆になるということです。
根底さえ入れ替えれてしまえば、「筋」はそのまま通る。


ものごとの把握には、必ず裏表があります。
とある現象は、見方によっては良いものだとも言えるし、悪いものだとも言える。
このことは、善悪の比率が半々だということを意味するわけではありません。
圧倒的に悪の側面が多い現象もあるし、
 現代の社会現象の多くは、悪の比率が高いものです。

ですが、そうであっても、100パーセント悪ということはない。
絶対にない。
現実的な善悪の比率はともあれ、
 そこの善を見るか、悪を見るかは、見る者の見方による。
善を見たい者は、いかに悪の比率が高い現象であっても、
 そこに善を見出すことができる。
逆もまた然り。

とどのつまりは、観察者の意志の問題です。
第一義は意志ですから主観です。
主観が出発点であっても、筋の通った理を組み立てることができる。

理を組み立てられるということは、実現可能だということです。
言葉でできた「理」によって、社会を組み上げるのが人間という存在なのですから。



そのように理解が成立すれば、
 「ゴチャゴチャ」とは、現実の善悪の配分比率に惑わされてしまっているだけ
  ――と整理がなされます。

と、同時に、
「ゴチャゴチャ」とは、仏教的な用語で言えば「煩悩」に相当するだろうという推測も成立する。


〈私〉は、善を見たいのか、悪を見たいのか。
 善を見たいのなら、その意志を貫徹しているのか。

善を見たいと思っているにもかかわらず、
 その意志が貫徹できないのならば、
  貫徹を阻害しているものは何か。


『仏教思想のゼロポイント』は考えを推し進めて
  阻害を〈生〉そのものにまで煮詰めました。
であるからこそ、反転も可能になった。
いったん反転が可能になれば、どの地点で善と悪とがゴッチャになったのかも把握できるようになります。

こうなれば、もはや善悪の発見/分離は技術的な課題です。
技術的課題を推し進めるあたって課題になるのは、精度の問題。
精度をあげるという課題を解決しようとすると、構造的な問題に行き着きます。
心身の構造的問題。

今、僕という存在が成立している構造。
過去の〈生〉の結果として、今の僕という「構造」が成立している。
その構造が善悪分離の精度を下げるということが認知できたなら、
 次の課題は構造改革ということになります。


同じことは、社会についても言えます。

歴史という過去の結果として、現在の社会が成立している。
その構造が、善悪をゴッチャにし、悪の比率が高い現象をシステマチックに生み出している。
だったら、構造改革が為されれば、善悪分離の精度があがり、
 善を選択できる可能性が高まる。

あくまで選択可能性です。
100パーセント善になることは、原理的にありえない。
100パーセントはなくても、20パーセントより80パーセントのほうが良いに決まっています。



次は『ピダハン』です。



――が、続きは記事を改めることにして、ここで一区切り。

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