愚慫空論

『仮想通貨革命』


なんとも迂闊なことです。



こんな本が、もう、2年も前に出ていたんですね。

まだ未読なのにエントリーにあげるのは、いつも以上にフライングですけれど。

技術革新で貨幣そのものにイノベーションが起きて、社会の在り方そのものが大きく変化する――

歴史の大きな流れからすれば
 ごく自然なことであるはずなのに
  なぜか、そうした「大問題」を正面から取り上げる著作に出会わない。

僕が迂闊なだけだったんですけど。

著者の野口悠紀雄さんは、超絶スペックな頭脳で有名な人。
そうした人が予想する社会の未来図は
 僕なんかが夢想する図とはかなり食い違っているだろうと思います。

思うけれど、でも、読んでみたいです。
 


※ 10/21 追記。

ザッと目を通してみました。大変、興味深い本です。

ビットコインに代表される仮想通貨の仕組みの解説については
 特に目新しい知見はありませんでした。

本書はすでに2年前のものですし
 この程度の解説なら、現在ではネット上で十分得ることが可能です。


僕にとって興味深かったのは、 結局、人間は、

 「観たいものを観る」「聴きたいことを聴く」

ということが本書からも見て取れるということです。


言い換えれば、僕の「観たいもの」とは、

 人間の「観たいものを観る」有り様

だということになりますね。


たとえば、第一章第二節「マウントゴックス破綻の教訓」の記述。

要約すると
  一取引所の破綻はピットコインという「システム」の信頼性に何の関係もない。
 それどころか
  マウントゴックスというピットコイン“両替”企業が攻撃を受けたということは
   ビットコインという貨幣に価値が認識されていることを示している。
 
 価値のないものを誰もが欲しいとは思いません。
  価値が在ると認識されたから、攻撃された。
   が、ビットコインのシステムそのものは攻撃されない。
 なぜなら、システムを破壊すると、価値が失われるから。

とても合理的です。

にもかかわらず、マスコミなどは、
 一取引所の破綻を持って、ピットコインそのものが脆弱かのように報道した。
  マスコミに限らず、当時の財務大臣なども。

こうした事実から見て取れるのは
 実は仮想通貨というIT技術によって支えられたシステムは
  従来の貨幣システムの「価値」を脅かすだけの潜在能力があるということ。
 そうした潜在能力が発揮されてしまうと
  従来のシステムによって利益や立場を得ている人たちは困ってしまう。
   だから、攻撃する――

とまでは著者は言いませんが
 いくら攻撃したところで、合理性において従来の貨幣より勝っているのだから
  足掻いたところで、仮想通貨の浸透は避けて通れない――

と、いうのが著者の主張です。
 もっともだと思います。


詳細は本書を見ていただくことにして
 仮想通貨システムの現行システムに対する
  合理性における優越性をキモを記しておきます。

それは端的に言って
 
  正直者が得をするシステム

だということです。

現行のあらゆるシステムは、残念ながらそのようにはなっていません。
 理由は簡単で、現実世界は“不完全情報ゲーム”だからです。

ゲームの勝敗を決する要因は2つ。
 ・プレイヤーのスペック
 ・情報量

高スペックなプレイヤーであっても、情報量が少ないか
 あるいは誤った情報に基づいてしまうと勝利はおぼつかない。
  情報の正誤を判定するのですら、情報量。
 これはゲームにおける冷厳な事実です。
  情報が勝敗を左右してしまうという要素が
   プレイヤーの悪意を育むことになります。 

勝利するには、正しくない情報を流せばよい。
 完全情報なら、正誤の判定は正確に行なうことができます。
  が、不完全情報だと、正誤の判定すらも
   多くの情報量を集められる者である“情強”に握られてしまう。

“情強”が善意の者であるとは、だれも保証できません。
 むしろ、不完全情報での勝利というインセンティブからすれば、
  悪意の者になる可能性が高い。

現行システムとは、残念ながら「そういうもの」でしかありません。

ところが仮想通貨は、完全情報ゲームです。
 なぜ完全情報ゲームになり得るかというと
  仮想空間でのシステムだからです。

貨幣はそもそもが仮想です。
 ただ、私たち人類には仮想を仮想のまま取り扱う技術がなかった。
だから仕方なく、金のような希少価値と見なされる「モノ」を
 貨幣として取り扱った。
  これは便宜上であって、別の表現でいえば“方便”です。

方便のはずが方便でなくなった。
 すなわち、貨幣価値説です。
  現行経済学は貨幣価値説は言わず
   限界効用理論を全面に立てます。

限界効用説は嘘ではないものの
 それもまた、「そういうもの」のシステム上でプレーするなら
  その理論に従った方が合理的だという程度の【そういうもの】でしかない。

ですから、マルクス経済学のように
 価値の源泉を貨幣そのものとは別のところにおく理論体系とは整合しない。

あたりまえの話です。

さて、話はズレましたが
 貨幣がそもそも下層である以上
  IT技術の進展によって出現した仮想空間との相性は抜群です。

そして、仮想空間においては、完全情報ゲームを設計できる。
 実装できる。

ビットコインとい完全情報システムにおいては 
 悪意あるプレイヤーとしてプレーして得られる利得より
  善意のプレイヤーとして得られる利得の方が大きい。
〈そういうもの〉が出現した、ということです。

(〈そういうもの〉がどんなものかの詳細は
    本書を読むか、ネットで記事を漁ってください。)

だとすれば、後は簡単な問いです。

不完全ゲームシステムと完全ゲームシステムがあって、
 あなたはどちらを選びますか?

プレイヤーとしての合理性を考慮に入れて問いを建てなおすなら

不完全ゲームシステムと完全ゲームシステムとがあって、
 あなたはどちらのシステムがより多くの人に支持されると思いますか?

この問いの答えが「完全システム」であるならば
  は完全システムを選択することが合理的。

これがゲームということです。
 そして本書には、そのゲームシステムを選択するのなら

どのようなことが起るか?
どのように仮想通貨システム周辺のシステムを整備するのが合理的か?

という問いを立て、解答してくれています。



というわけで、本書は、大変スペックの高い本です。
 その意味で予想通りの本でした。
   よって、予想通り、僕には不満です。

なぜなら僕が観たいのは、「合理性」ではないからです。
  僕が観たいのは、人間の「性善性」です。

僕が観たいのは、完全情報ゲームシステムではないからです。
  僕が観たいのは、完全情報システムであって、ゲームではないもの。
     優勝劣敗が無意味であるような〈システム〉。
        優勝劣敗が無価値であるようにデザインされた〈システム〉。


優勝劣敗に価値があるシステムと、優勝劣敗が無価値なシステムがあったとして
  あなたはどちらを選びますか?


この問いは、合理性をベースに問いを建て直すということが不可能です。
  は、自身の〈魂〉に従って行動することが求められます。

僕はもちろん、無価値なシステムの方を選択します。


本記事の続きは、改めてエントリーを立てることにします。

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