愚慫空論

【理不尽】


“理不尽”という言葉は、一般的には悪い意味で使われます。


道理をつくさないこと。道理に合わないこと。また、そのさま。
  「―な要求」「―な扱い」

goo辞書より




“理不尽”とは、「理」が不尽であること

では、“不尽”とは?
 “尽くさない”なら、故意か、あるいは過失です
“理不尽”での意味は、こちらでしょう
  だから、悪い意味になります。

「尽」には、最初から行為者の意思が組み込まれているようです。


でも、どうなんでしょう?
 行為者が万全に意を尽くすことを意図していたとして
 「理」とは、万全を尽くすことができるものなのでしょうか。

できません。「理」は万全を尽くすこと能わず。
 〈世界〉は、残念ながら、そのように出来ています。


先日、ネットでニュースをながめていますと
 東京の六本木で不幸な事故があって
  男性がひとり、死亡してしまったというのがありました。

マンションを改修工事がなされていて、足場が組まれていた。
 その足場の鉄パイプが落下。
ニュース映像でみると、落下したのは、足場の強度を確保するための
 “筋交い”のようですが。

筋交いならば、ロックが外るということはありそうなことだと思いますが
 本当のところはどうなのでしょうか。

筋交いは直径2センチほどのパイプ2本の組みあわせ。
  従ってジョイントは4カ所あります。
ロックと言っても、ロックピンを差し込むだけ。
 衝撃が重なると外れるという可能性はなきにしもあらず。

だとすれば、“理不尽”というより「意不尽」だったということでしょう。
 非常に稀な確率ではあるにせよ
  ピンが4つとも外れてしまうことがないとは言えない。
「万全な注意」をしていれば、可能性を予期できなくはない。

しかしながら、
 人間というものが、意を万全に尽くすこと不能なのも事実です。

  

が。

不幸な事故しかいいようがない――
 で済ませてしまうならば、無責任です。

工事を請け負った者には
 工事を事故なく完成させる社会的責任があります。
社会的責任を全うできなかったわけですから
 誰かが責任を負わなければなりません。

その誰かとは
 件のクランプを「意不尽」で取り扱った者ではない。
  それが社会というものの構造です。
意不尽だった作業者が悪意を持っていたなら話は別ですが
 そうでないかぎり
  責任は作業者の使用者にあるとされるのが普通です。
【社会】の仕組み


この【仕組み】こそ、【理不尽】なんだと思います。
 確かにこれはこれで「理」に敵ってはいる。
だけど、あくまで【社会】の都合の範囲内だという気がする。
 このような【仕組み】をそのままにしている限りは
  
 戦争はなくなりません



僕自身の体験談をふたつ、記します。
 ひとつは、ある人を殺しそうになってしまった出来事。

 それは、樵をやっていたときのこと。

ある現場で、僕はトンガケという役をやっていました。

伐り倒した樹木は、集材されなければなりません。
 文字通り、材を集める、です。
散らばっている木を一カ所に集めて
 枝を落とし
  樹種や幹の部位、太さ、曲がりなどを見極めながら
   適切な長さに切り落として原木とし
    搬出する。
この一連の作業が林業でいう「伐採」です。

トンガケという役は、「採」の方の最前線。
どんな感じかは、百聞は一見に如かず、画像を見ていただいた方が速いでしょう。


これはかなり危ない役回りです。
死亡率はかなり高いです。
正直なところ、僕も何度か死にかけています。

牽きだした木が見えないところで絡まっていて
          退避したところへ飛んできたとか。
ワイヤが摩耗してブチ切れて、その端が飛んできたとか。

そのような危険性があることは百も承知で作業をします。
 だから、自身の身を守るために
  できる限り意を尽くそうとするのはごく自然なこと。
が、そうであっても、意不能尽。

〈世界〉とは、そんな残酷な場所です。

そのときの怪我が元で
 僕の下半身にはほんの少しだけ
  不具合が残っています。
正座が出来ないという程度ですから、日常、ほとんど支障はありませんが。

この程度で済んでいるのは、幸運なことだと思っています。
今から考えれば、当時はかなり無茶な仕事の仕方をしていた。

この役割は、危険性と効率性の交換比率が非常に高い。
  それは構造的なものでしたから、作業者の熟練度などとはあまり関係がない。
仕事の成果は、いのちと引き替え。
 そういう実感を味わうにはもってこいの仕事で
  その実感を味わうための仕事をしていたのが、当時の僕でした。

そんなわけですから、死にそうになったことも
 今にしてみれば、自慢話、笑い話――

いえ、そうではありません。
 これはバカな話なんです。
   

前置きが長くなりました。

そのとき、僕がトンガケの作業をしている斜面の下の方で
      「伐」を担当している人が作業をしていました。

仮にSさんとします。

この状態は芳しいものではありません。
 上下作業といって、林業ではやってはいけないことの、イロハのイです。

距離は相当、ありました。
 数百メートルはあったと思います。
  僕の記憶に残っている映像では、その人が親指くらいの大きさに見えています。

下に入ったのは、Sさんのほうです。
 僕は継続作業でしたから、もとからその場所にいました。
が、Sさんも、Sさんなりに組み立てた作業の段取りに従って動いたいただけ。
 それが運悪く、バッティングしてしまいました。

危険なことはSさんも解っていました。
 だけど、距離は相当あったので、大丈夫だろうと高をくくった。
  意不尽です。

嫌な予感はしていました。
 前日は雨が降って、仕事は休み。
  斜面は濡れていて、滑りやすくなっている。
   樹種もスギで、これまた滑りやすい。
でも、まあ、大丈夫か。
 Sさんは僕よりもずっとベテランだし、僕がここに前からいるのは知っているし...

が、やはり嫌な予感というものは当たるものです。
 牽き出した木につられて、となりの木が数本、すべり落ちていきました。
あっ、と思って見てみると
 ちょうど木が滑り落ちていくところで、Sさんは作業をしていた。

大声で叫んだけれど、声は届くはずもありません。
 Sさんもチェーンソーの爆音のなかで作業をしてます。

殺した――
 と思った瞬間、Sさんはチェーンソーを放り出して、飛ぶように逃げていきました。
本当に、、、間一髪。

そのときの映像は今でも脳裏に焼き付いています。
 今でも思い出すと、背筋が泡立つような感じに襲われる。

もちろん、すぐさまSさんのところへ跳んでいきました。
 無事を確認して、謝罪する僕をSさんは軽く受け流してくれました。
それどころか、Sさんに謝られてしまった。

「スマンな。肝を冷やしたか? オレも冷やしたけどな。」



その日は、それで作業は中断したと記憶しています。

帰りの車の車中で、現場のリーダーで集材機運転の役のYさんから言われたこと。

「オレらはこんな仕事やから
  自分が死ぬことはどこかで覚悟してる。
    死んだ人もいっぱい、見てきたしな」

「だから、自分が死ぬのはしゃあないと思うけど
   それでも、殺すのはイヤや」

「オマエは、今、いちばん危ないところで仕事をしてる。
  頑張ってくれてるのも、わかってる。
 けど、ほどほどにしてくれよ」

「死ぬのはオマエやろうけど、殺すのはオレや。
  オレはオマエが合図を送ったら、ワイヤを巻くンや。
 その先がどうなってるか、オレには見えん。
  だから、オマエの合図を信用して、オレは巻く」

「見えんところでどうなってるのか、オレにはわからん。
  わからんけど、オレが巻いたワイヤでオマエが死んだら
   オレがオマエを殺したことになるンや」

「オレはいつも、そんな不安を背負ってるンやで。
 それがわかったンやったら、気をつけてくれよ」



続きはのちほど。
  

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