愚慫空論

『逝きし世の面影』

今回、私も『逝きし世の面影』を取り上げようと思います。“私も”というのは、別の方が取り上げておられたからですが、そのお方は誰あろう、luxemburg卿。ここのところすっかりご無沙汰していたluxemburg卿(記事は拝見してました)ですが、そのluxemburg卿が『逝きし世の面影』を「2008年は」「私たちが明治軍事独裁政権で失ったもの」の2本の記事に渡って取り上げておられます。

私も、この『逝きし世の面影』という本についてはいつか取り上げたいと思っていました。思ってはいたがなかなか踏み切れずにいました。この本から受けた衝撃が大きすぎて、とてもじゃないが総括しきれずにいたから。現在でもまだまだ、です。ですので、この文章は『逝きし世の面影』について何かを書くのではなくて、『逝きし世の面影』を読んだ私自身について書く、それだけのものでしかありません。それ以上は、まだとてもとても。


とにかく『逝きし世の面影』を読んで受けた衝撃は大きなものでした。これまで私が書いてきた文章のかなりの部分が、この本から受けた衝撃の余波のようなもの、といっても良いかもしれません。

この本から受けた衝撃の余波は、実生活にも及びます。といって、この本を読んだから樵になったというわけではありません。この本を読んだときにはすでに樵になって田舎暮らしを始めていましたし、私の実生活の表層は変わらないのですが、田舎で暮らしていることへの目線、自分自身の実生活への目線は変わりました。それは『逝きし世の面影』の残り火がまだ微かに息づいている――その残り火も限界集落となって消滅しつつありますが――のを見出すようになったこと。そして自分もその残り火を点す薪になったのだという意識を持つようになりました。『晴耕雨読』の早雲さんの一連の記事、特にカテゴリー「開かれた地域共同体」「「近代」から一歩先を見据えて」あたりが腑に落ちるようになってきたのも、そうした意識が芽生えてからのことです。

また私にとって『逝きし世の面影』はほのかな希望を掲げてくれる灯火(ともしび)でもあります。可能性を提示してくれるものでもあります。その可能性とは、人間は条件さえ整えば高い文明・文化を持ちつつ自然と共生し、平穏(平和ではありません)に暮らしていけるということ。そして、そうした暮らしを美しいと感じられるということ。

この本は幕末・明治初期の日本を訪れた異邦人の文章が基になっています。多くの異邦人が当時の日本の文明・文化に魅せられ、賞賛している。私も日本人ですし、まして逝きし世の面影の残り火を点す薪なんだと思ってますから、そうした賞賛を自分に重ねて嬉しいということもないではないですが、希望とはそんなつまらないプライドを自己満足させることではありません。
日本および日本人という風土は、豊かな自然と外敵を阻む地政学的な条件に恵まれた稀有の空間であった。それはたまたまそうであっただけのことですが、そうした幸運に恵まれれば人間は心豊かになれる。そしてそのことは、恵まれなかった者たちにも理解できる。この本は、恵まれなかった者たちにも理解できたからこそ、今、この世に存在します。

そう考えれば、『逝きし世の面影』もたまたまの幸運に恵まれた書です。恵まれた者たちは、自分たちの幸運を当たり前だと思っているから記録しない。記録したのは恵まれていなかった者。恵まれなかった者は、恵まれた者たちを美しいと感じ記録した。それが『逝きし世の面影』の基になった。恵まれた者たちと恵まれない者たちの幸運な邂逅がなければこの本は存在しなかった。そして、この本の存在そのものが私の希望になっています。


現実を見渡せば、そうした希望は本当に儚いものにしか思えないかもしれません。力の強い者が勝利し、独占していく。今の現実はそんな世の中です。ですが、そうでない世の中もかつて間違いなく存在した。これも事実です。かつての人間と現在の人間とが別種族というのなら話は別ですが、同じというのなら、そうでない世の中をまた再び実現できないはずはない。それとまったく同じ世の中を再現するのは無理でしょうし、またそんなことを求めても意味はないでしょう。しかし、自然と共生しながら平穏に暮らしていける文化・文明は条件が整えば再現できるはずだし、再現しなければならない。もしできなければ人類に未来はないかもしれない。そんなところまで私たちは追い込まれています。

考えれば、その条件のひとつ、物質面における生産性の高さはかつてより高いレベルでクリアされているはず。それをハードだとすると、問題はソフトの方でしょう。豊かさに満足せずさらなる豊かさを求める、いわばコンピュータプログラムが暴走したような今の状況になんとか歯止めを掛けなければなりません。自然が強制終了させてしまう前に。


なお、『連山』にも『逝きし世の面影』について書かれた一連の記事があります。また他にも『忘れられた日本人』というお薦めの本もあります。こちらにも共生・平穏な文明のありさまが記述されています。

コメント

こんにちは(^^)

ここは敷居が高くてなかなか書き込めないんですが(笑) 今回は不思議な本を紹介していただきありがとうございます。
不思議と言うか、魔法のような本ですね。 江戸の身分制度には抵抗がありますが、裏の裏は表かも、なるほど、目から鱗かも、なんだかそんな気持ちです。 一家に一冊あるといいような本ですね、子どもにも将来読ませたいな、っつうか、まず自分が読まなきゃね。
探してみます。

TBありがとうございます

はじめまして。トラックバックいただき、ありがとうございました。
luxemburgさんのところで紹介記事を読んでたいへん興味惹かれたんですが、こちらの記事でますます読まなくては!という気になりました。
田中優子さんや杉浦日向子さんが書いた一連の「江戸関連本」に目を見開かされて以来、単なるノスタルジアとしての江戸ではなく、未来に向けての知恵としての江戸っていうことを、頭の片隅にずっと置いて生きてきたようなところがあります。
この本では、当時の外国人の視点がメインになっているとのことで、さらに大いなる気づきがありそうですね。

おはようございます

 結局4回ほど記事を書いてしまいました。
 レイランダーさんがおっしゃる、「単なるノスタルジアとしての江戸ではなく、未来に向けての知恵としての江戸」に賛成です。TBした記事も大体そういう視点のつもりです。
布引洋さんが書かれているように今の政治もまた外から操られた人たちが国民を犠牲にしている、と思うと暗澹たる気持ちになります。
終戦直後は色々仕方がなかった面もあるでしょうが、冷戦に対応するためアメリカを「番犬」(吉田茂)として使いつつ、日本人自身の民間憲法も参照した憲法を制定した外交はそれなりに評価できると思います。冷戦が終了した今、いっそうその憲法が実効性を増し、かつ米軍駐留も根拠がなくなる有力な根拠としていい話をしてくださいました。日本はいよいよ江戸時代の知恵を本格的に活かせる環境が整ったといえそうです。

>『逝きし世の面影』
って本。詰まらなさそうですから、何にか一言書こうかなと思っていましたが、コメント欄の面白さゆえ、書けずじまい。これからも、こういうの、どんどん読みたいですね。
売っている本よりヨッポド、芯に迫っています。どちらかというと、布引きさんの言っている方が分かり易くて好きですけど、WAKUWAKUさんの言わんとするところ、興味ありますよ。もっと展開して欲しいです。維新の方法論。安定化への飛躍。そこがいわゆる「ロドス」でしょうから。

三介さん

『逝きし世の面影』って本。詰まらなさそうですから

いえいえ、そんなことはございません(笑)。ま、でも、そこは人それぞれ。機会が巡ってきた折には、ぜひ。

>コメント欄の面白さゆえ、

はい。ただ残念ながら、なかなかお二人の建設的な議論には発展しないようで(苦笑)。

私も読んでみたいが

こんにちわ.ご無沙汰しています.
この本はずっと以前に,布引さんが私の記事のコメントで大推薦してくださった本なんです.
それで読みたいと思いながらも,『陰謀論の罠』を読んでしまったものだから,ずっと後回しになってしまいました(^o^)/.
ただ,読む前の危惧が少しあります.それは『東方見聞録』のように,やはりだいぶん,誇張が混じっているのではないかということですね.江戸時代を持て囃しすぎ,というか振り子が逆に触れすぎているような危惧です.(読まずにいていい度胸!(^o^)/)
大塩平八郎の乱とか,やはりいろんな面があったことを忘れてはいけない,という意味ですね.
ただし,明治以来抱いてきた印象はだいぶ修正されるべきであるのは確かなようですね.
それと,別の記事のコメントで,布引さんがいよいよご自分のブログを立ち上げる予定だそうですね.
布引さん,私も楽しみにしております.

ああ、そうそう。住吉サン。

こんばんは。愚樵さん。アルバイシンの丘さんのコメで思い出しました。現在、僕が文献調査中の住吉サン。
明治の神仏分離絡みです。元々、神宮寺が在ったとか。神主さんのお話では、徳島に移転されたとか。もう140年も前の話なんですから、戻って来ても好いんちゃうかな? 八百万の神々。それとも何を今さらって!いう感じやのかな?
明治の学校教育[その建設や思想内容]文部科学省や国交省に絡む、つまり耐震補強や憲法改正[大連立・政界再編]に絡む課題として・・。今後掘り下げていく予定です。
ああ、でも明治ってややこしいですね。古代が擡げて来るし・・。

papillonさん

>ただ,読む前の危惧が少しあります.それは『東方見聞録』のように,やはりだいぶん,誇張が混じっているのではないか

そう考えて警戒しつつ読むくらいでよいとちょうどよいと思います。当時日本を訪れた異邦人の様々な印象が紹介されていますが、それを著者がどのようにフィルタリングしたのかは読み手にはわからないことですから。けれど読後、私たちが知らされていなかったことがあまりにもたくさんあるなぁ、という印象はぬぐい切れないだろうと思います。

******

三介さん

いまさらなんて言わずに八百万の神さん、戻ってきてほしいですねぇ。でも、難しいだろうなぁ。

最近、スピリッチュアルとかで少し脚光を浴びてるんですか? 八百万の神さま。ふう~っ。こんなぐあいに一時脚光を浴びても、ブームが去った後は胡散臭さが残るだけだろうし...。あとはガチガチの国粋派か。

>ああ、でも明治ってややこしいですね。古代が擡げて来るし・・。

三介さん、楽しそう(笑)。

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