愚慫空論

ところで、天皇の仕事って?


天皇陛下の「お気持ち」とやらの放映を見ました。
ごく、ふつうに。

ごくふつうに接してみれば、天皇陛下の「お気持ち」とやらも、とある一人の爺さんの(当事者としての)意見というだけのことで、もちろん、その「ひとり」は(政治的に)特別なひとりではあるんだけど、特別であっても生身の人間であることに変わりはありません。

そして、生身の人間として見てみると、特別なだけでなく(人間として)格別でもあるなぁ、と思う。日本国民統合の象徴としての務めを誠心誠意勤めてこられたんただな、という感慨を持ちます。

天皇陛下の「お言葉」とやらに接する機会は、ふつうに日本人をやっていれば年に数回あるわけですけど、そのたび、語り口の誠実さを感じずにはいられない。語っておられることの内容は抽象的で親近感がないのだけど、語り口には親近感が持てる。それが象徴としての「在り方」――というより、天皇という役割を背負った一人の人間の「生き様」だろうと思ったりします。

そういう人が、象徴でよかったと思います。そう思うから、当事者としての「お気持ち」を汲んで差し上げたい――と思わなくはないのですが、ちょっと待てよ、と思うところがなくはない。


象徴としての国事行為や国の祭主としての務めは、天皇という「生身の個人の都合」に合わせて左右してはならないものだと、陛下は意見を述べられた。それは当事者の言葉だから重いというだけのことではなく、「象徴」というのは、ただ単に言葉だけのことではなくて、内実が伴っているんだよ、ということを述べられたわけです。生身の人間に大きな負担をかけるような内実が。

ところが、この内実というものの中身がわからない。
これは、公表されているものも多いだろうけれど、いわゆる「菊のカーテン」とものの向こう側にあるのも多かろうと思うんですね。

この問題、当事者が内実を伴っていると言ったのだから、それでいいではないか――というわけにはいかないと思うんです。陛下が嘘を言っているとはさらさら思わないし、皇室は税金で暮らしているのだから国民には知る権利がなるなどと、野暮なことを言うつもりもない。儀式の詳細などアカデミズムの贄に捧げるべしとも思わない。

だけど、内実があると言い、その内実を全うさせるために生前退位するのが望ましいというのであれば、その内実とは「これこれこういうことだ」ということは、公表するのがスジなのではないかい? と思うのです。

いや、そこは、やはりそのまま神秘のベールで覆っておくべき、という意見もあると思います。だとしたら、それは当事者がどう言い募ろうが、大部分の国民から見た「内実」とやらは、言葉の上での「象徴」というのに留まるし、だったら、気の毒だけど、死ぬまで天皇でいてください、ダメなら摂政という既定があるのだから、それを活用してください、ということになるのがスジだろうと僕は考えます。


陛下ご自身の「お言葉」に、こういう下りがありました。

天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。


いや、それはないでしょ。もしそんなことがあったとしたら、それはもはや「象徴」の域に留まっていないわけで。国民の生活は、皇室の事情とはほとんど関係のないところで営まれているというのが事実でしょう。だから、天皇陛下のお言葉は、いつも、内容としては空疎。たとえば、現総理大臣がそのまま同じ言葉を口にしたらどのように響くかを想像してみれば、言葉の内容としての中身の無さはすぐわかります。

ただ、言葉には「言霊」というべきものがあって、同じ言葉でも誰が発するかで伝わり方がまったく違う。その意味で、今上陛下は、特別というだけではなく「格別」だと感じはするし、そう感じられることは好ましいと思います。

今上陛下個人の「格別」を重視するのであるなら、当人の希望には反するけれども、死ぬまで天皇を務めてもらっていても、その「格別」は何ら減ずることはない、いや、死ぬまで勤めてもらって方が「格別」は増すだろうから、むしろその方が好ましいでしょう。

だけど、当事者が「象徴としての勤め」を、そんなものではないと言っている。そのように、今回、言ったのだと思う。「格別」は、「象徴としての勤め」を誠実に果たしたことによる副産物のようなもので、大切なのはそちらではない、と、だけど、その「大切なもの」が菊のカーテンで遮られて見えないのであれば、国民は副産物の方を見るしかない。

――まあ、その方が、本音では天皇機関説を支持しているであろう権力者たちには都合がいいだろうけれど。

念のために言っておきますけど、僕は、皇室を国民の身近なものにするために、内実を詳らかにせよといいたいのではありません。身近なものになることは悪いことではないけれど、一丁目一番地ではない。そうではなく、国民の生活と天皇の務めがどのように繋がっているのか。そこを明らかにして欲しい。

そうでないと、内実のための退位といわれてもピンとこない。なんだか雲の上の話をしているなぁ、で終わりです。それが政治というのであれば、それは為政者のための政治でしかないということだし、為政者のための天皇だということになる。けど、そんなこと、陛下自身、夢にも思っていないはず(と思いたい)。


偶然だろうと思いますけど、この「お気持ち」が発表される前夜、何度目かの『もののけ姫』のテレビ放映があったらしいです。宮崎監督は、映画のなかで庶民に「帝なんて知らな~い」と言わしめています。現代に生きる僕たちは知らないではいられないけど、内実は、映画の中の庶民と大差ないのでは、と思わないではないですね。

コメント

・鍵コメ主様

コメントありがとうございます。

鍵コメなので返答しなくてもよいのかもしれませんが、ご指摘は僕にとって返答したい部分なので、敢えて返答させてもらいますね。

ご指摘のように、昭和天皇崩御のおり、さまざまな“自粛”があったことは記憶にあります。そうした自粛が経済指標のデータとして残っていることも承知しています。

ですけど、そのことで僕自身の「暮らし」に何か影響が及んだという記憶はまったくないんです。天皇がどうなろうが、日常はまったく変わらずいつもと同じように流れていた、という憶えしかないんですね。元号が昭和から平成に変わったということを実感するような具体的な暮らしの変化は思い当たりませんし、身の回りにいた人たちにもあったようには見受けなかった。皇族がお見舞いに訪れるような震災の時に生じるような。

「国民の暮らし」と「経済状況を示す指標の変化」は必ずしも一致しないと思っています。しかも、陛下が気にかけておられるのは「国民の暮らし」の方のはずです。そうでないと「お気持ち」とやらもスジが通らない。そうした差違は、菊のカーテンの向こう側では感じられないのだなぁ、と思っているんです。

内外から機会をとらえて様々な良からぬことを仕掛けられることが想定され、それらをなるべく回避したいということでしょう。もちろん、国や国民を案じてです。
最近は、日本も世界も激動の時代に入っているので、なおさらご心配なさっていることと思います。

よいタイミングで、お気持ちを公表してくださって、さすがだと私は思っています。たぶん、このほうが世の中が安定するのです。

中国が東シナ海で漁業などをするからといって、安倍政権が憲法を改正して天皇を元首に戻したり、軍国化していったら大変です。『もののけ姫』において、宮崎監督は、映画のなかで庶民に「帝なんて知らな~い」と言わしめているとのことですが、そういう世の中であったほうがよいということです。

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