愚慫空論

『いなくなれ群青』

図書館でたまたま目に留まって、手に取ったライトノベル。



ライトノベルは、ほとんど読んだことがありません。
アニメでみた『涼宮ハルヒの憂鬱』が、これも図書館にあるのをみかけて読んでみたくらい。アニメとまったく同じ(というか、ラノベの方がげんさくなので、アニメの方が同じ)と思った以外は特に感想もなし。あと何か一つ読んだような記憶もあるけれど、思い出せません。

好んでは読まないライトノベルですが、この『いなくなれ群青』は、なかなか。“軽い小説”では決してないと思いました。ラノベらしい様式――現実にはありえない設定でボーイミーツガールのストーリーが展開される――は踏まえていますけど。


このラノベのテーマを一言で言うならば、「否定の否定」でしょうか。

主人公は七草某。名前は出てきません。
このラノベの登場人物でフルネーム出てくるのはただ一人。ヒロインだけ。あとは、主人公も含めて、苗字だけかもしくはニックネームしかでてこない。ヒロインは特別なんです。

主人公とヒロインの関係は、『ハルヒ』のキョンとハルヒの関係を彷彿とさせます。実は大好きなんだけど、迷惑な存在。ヒロインは行動力抜群だけど、人の気持ちがわからないから、迷惑なやつ。ただし、ハルヒのように陽性でありません。

そんなヒロインと主人公は、「捨てられた島」で再会します。ふたりは幼なじみなんだけど、一度、別れています。好きなんだけど、迷惑で付き合うのが大変だから一緒にいたくなかったヒロイン、と再会してしまう。

捨てられた島は、ラノベのお約束なんでしょう、不思議な島です。とっても都合のいい設定になっています。それがどんなものかはさておくとして――、あ、魔女が支配しているだけ、言っておきましょうか。

問題なのは、捨てられたと言うけれど、いったい何が誰に捨てられたのか、ということ。その謎を解くのがこの小説のテーマで、そこが「否定の否定」になる。

ネタばらししてしまいます。
最初の否定は「成長」のステップです。何らかの事情で、自身で自身の人格の一部を否定する。大人になるというのは、たいてい、そういうものですね。

そういう否定を魔女が見つけると、否定された人格の一部を捨てられた島へ連れてきてしまう。人格の一部は、島では一つの人格として振る舞う。また、一部を切り捨てた方の人格は島の外、すなわち現実社会で「立派に」暮らしています。そういう「お話」なわけです。

この物語のなかで活躍するのは捨てられた人格の方です。現実社会では都合が悪いと抑圧され、心の奥に押し込められた自分自身の一部。「無意識」として取り扱われ、「心の闇」だと見なされる部分が活躍する。心の表と裏がひっくり返っているわけです。

これはなかなかに考えられたプロットだと思います。

心の表と裏をひっくり返して、闇を表にしてしまう――といっても、そんな深刻な話にはなっていない。そこはやはり「ラノベ」ではあります。だけど、裏を表に出してくる方法論としては、ラノベ特有のありえない設定も含めて、ありなんじゃないか思えてしまいます。

裏と表が入れ替わるという設定から、ストーリーは切り離された一部の再統合へと流れていきます。この「流れ」は、裏と表を入れ替えるという「設定」から生じる「必然」なんですね。
なので、一部人格を捨てるという「否定」は、人格を再統合するという「否定の否定」にむかって流れていくことになります。

といったような内容が、地味な恋愛模様に乗っかって展開していくというのが、このライトノベルの作りです。

『いなくなれ群青』は、シリーズ化される予定の第一弾だそうです。続編も面白いかもしれません。

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