愚慫空論

【復讐】の連鎖

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ボクは、これは復讐なんだと思います。


誰が? 誰への?

ことの顛末は次の通り。

・冬の富士山の山頂付近で遭難事故発生。
・要請を受けた静岡市消防局がヘリを出動、救助に向かう。
・救助に失敗。
・遺族が静岡市を提訴。
・ネットで騒ぎ。

ありがちなパターンです。
そして「自己責任論」。

 危険を危険を承知で冬の富士山へ行ったのだから、救助に失敗したからとって、ヒドいだろう。
 だったら、なぜ、そんな危険な行為を許したんだ?

提訴されてしまう要素はあるようです。
というのは、救助隊は一旦は遭難者のピックアップに成功しているんです。
遭難者をヘリから降ろしたロープでつり上げて、ヘリに収納しようとしたところで、落っことしてしまった。
痛恨のミス、というやつです。

遺族にしてみれば、そこでそんなミスをしでなさなければ――、という怒りが湧くのは、致し方ないかもしれません。

とはいえ、救助に当たったレスキュー隊員がベストを尽くさなかったというわけではない。
(ネットからの情報によるところでは)
・標高3500mでのレスキューは、訓練も含め、初。
・もっと確実な確保手段はあったが、すでに男性は意識を失っていて、確実性より迅速性を優先した。
・気象条件は厳しく、隊員も凍傷を負っていた。
(これもネットによると)当時の音声記録が残っているらしいのですが、本当にギリギリの状況だったようです。
嘘偽りなく、命がけ。

だからこそ、ミスは“痛恨”だったろうと想像します。
誰にとって? 救助に当たった隊員にとって。

その証拠といっていいでしょう。
件の隊員は、再度の救出を志願したらしい。
落としてしまった遭難者の再度のピックアップにトライしてみたい。
が、これは隊長が許可しなかった。
全体の状況を鑑みれば、二次遭難の危険が高かった。
やむを得ず、撤退。
結果、遭難者の男性は死亡。

事の経緯を、結果だけ見れば、ミスであることは明白です。
そのミスから遭難者が死に至ったのは、ほぼ確実。
その瑕疵を責め立てる権利は、遺族にはある。
提訴するか否かの選択権があるわけです。

それを遺族は行使した。
救助の状況を遺族は知らされなかったはずはありません。
にもかかわらず、遺族は瑕疵を責める選択をした。

その提訴を受けて、でしょう。
静岡市はある決断を下します。
標高3200m以上でのヘリコプターでの救出作業は、今後行わない。
3200mを越える山は富士山しかありませんから、富士山頂部での救出はしないことにした。

遭難事故は場所を選びません。
可能性で言うなら、標高の高いところの方が高いといえる。
遭難の可能性が高いところは、救助における危険性も高い。
今回の事件を受けて、それが標高3200mというラインで線引きが為された。
この線引きが、今後、様々に影響してくることになるでしょう。


不幸な事故を始点とした【不幸】な事件だと思います。
事件というのは、ネットで騒がれたことも含めて。
ボクがネットの片隅で取り上げているこの文章もまた、「事件」に含まれます。
含まれますが、ボクの想いは、わずかでも不幸な連鎖を止められたら、というものです。
性善説を唱える者の責任なのかもしれません。


【不幸】はどこから始まったか?
遺族の【復讐】からです。

そもそもでいうなら、登山という行為は「愚行」です。
それをすることで誰も得する者はいない。

いえ、誰もいないというのは言い過ぎですね。

危険行為にはそれなりの準備が必要です。
体力、経験、装備。
体力を養うのも、経験を積むのも、装備を調えるのも、すべて経済活動。
なので、そのことで利潤を得る人もいる。

問題はバランスです。
冬山への登山行為は上級者のものです。
体力、経験、装備、どれも整えるのに多くの経済活動が必要ではある。
その分、利潤を得る人も増えるわけだけれど、登山という行為の性質上、上級ほどリスクが増す。
利潤とリスクのバランスからいうと、冬山登山は愚行と考えられることになる。

では、愚行は禁止するべきかというと、そう簡単ではない。
もっと、そもそもでいうなら、人間は合理的な生き物ではない。
不合理な行為を敢えて行おうとする〈気概〉を持つ生き物。
善き社会とは、そのような〈気概〉を受容する社会だと言っていいでしょう。

その観点からすれば、冬山登山を行ったこと自体、愚行であるとはいえ善くないとは言えません。
一方で、愚行を禁止することは善くないといえる。
家族が愚行を容認したことは〈気概〉を認めたということですから善いと言えると思います。

しかし、残念なことに、リスクは善行と関係がありません。
(結果としては)不運にも、事故が起こった。

事故を受けて、レスキュー隊員が救助に向かった。
この行為は、そういう体制を整えている行政の仕組みも含めて、文句なしに善行です。

合理的に考えるなら、救助を行うという行為も愚行なんです。
救助活動だって経済活動ではあります。しかし、それに見合わないリスクがある。
にも関わらず、これまではそんな愚行を行ってきた。行う準備があった。
理由は〈気概〉でしょう。
ミスはしたかもしれないけれど、レスキュー隊はその〈気概〉を示したと思います。

ここまでは、結果は不運であり、個人的には不幸な出来事が生じたかもしれないけれど、
社会としては善きことだったんです。

それが、逆転を始めた。
その始点は、遺族の提訴です。

これまたそもそもでいうなら、救助活動そのものが愚行です。
そのことは今回の「事件」で明らかです。
静岡市は、富士山での救助活動が(言葉の上ではどうかは知りませんが)愚行だと認めて、今後やらないと決めた。
リスクから考えれば合理的な判断といわざるを得ない。


遺族は自分の個人的な不幸の【復讐】をした。
誰に? 社会に、です。

そもそもの原因というなら、家族自身の愚行です。
それを許した自身の判断の誤りです。
しかし、そんなことを認めても、自身に降りかかった不幸が覆るわけではない。

【復讐】の対象は個人でもよかったかも知れません。
ミスを犯した隊員。あるいは撤退の判断をした隊長とか。
けれど(これはボクの想像ですが)〈気概〉を示した彼らには【復讐】はできかった。

個人には【復讐】出来ない。
が、不幸を受容出来ない。
だから社会に【復讐】することにした。
相手が必要だったから、静岡市にした。

なんとも残念で、不幸なことです。
こういったことが本当に残念なのは、個人的な不幸の受容を、だれも強制することができないということです。
もう完全に個人的な“心”の問題だから。

社会はそれを抑圧することはできます。
できますが、それは蛮行であり暴力の行使です。
それに、たとえ一旦は出来たとしても、別の形で吹き出してくることになる。
受容出来なかった不幸は、必ず誰かに転嫁されます。

「必ず」です。
そして、それは大抵弱者です。
その人より弱い者です。


そうした【復讐】の行動は、静岡市にも見て取れます。
彼らもまた【復讐】をした。
誰に? 未来の遭難者に、です。

ネットもまた、【復讐】に反応します。
遺族を愚かだといって攻撃する。
確かに、今回の「逆転劇」の始点は遺族です。
けれど、そういう自分だって、その逆転に荷担している。

遺族が不幸を受容出来なかったことは、誰にもどうしようもないことです。
天災や(今回のような)不運な事故がどうしようもなく起きてしまうように、
遺族の【復讐】は、どうしようもなくおきてしまうものです。

その【復讐】は、社会を悪しきものへと改悪していく力となる。
けれど、そこで社会正義を振りかざして攻撃することは、これまた【復讐】です。
遺族と同じく、どうしようもなく降りかかった不運を、個人的に受容出来ないんです。

これもまた想像でしかありません。
遺族だって、ギリギリなんだろうと思います。
ギリギリのところで(社会的な)過ちを犯した。
それを第三者が批判する権利があるというなら、ギリギリの状況であったといえ、痛恨のミスを犯してしまった者を遺族が責め立てる権利を認めないわけにはいきません。

過ちは責めてはいけません。
過ちを受容出来ない者を責めてはいけません。
過ちを受容出来ない者を受容することでしか、【復讐】の連鎖は止まりません。

【復讐】の連鎖がこのまま進めば、どうなるか?
登山といった愚行は、お金持ち以外は不可能ということになるだろうと予測します。
【復讐】のリスクに耐えることができる保険が売り出され、
それは当然、高額なものになり。
そんな高額商品を購入出来る少数の者以外は、事実上愚行が規制させてしまう社会。

愚行を行う自由ですら、金銭の多寡で制約される社会が幸せな社会だとは、ボクには思えません。

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完全に余談なんですけど、また昔話。 (^_^;)

ちょっとだけ、静岡市消防のヘリと関わったことがあるんです。
それがなかなか怖い思い出なので、吐き出しておきます。

昔、静岡市営の山小屋で働いていたことがあります。
もちろん、夏です。

場所は、行政区で言うなら静岡市です。
静岡市の、奥の奥。
どちらに行っても、3000mの山を越えなければ下界に降りられない。そんな場所で働いておりました。
営業は主に夏。通算で10シーズンほど居ましたっけ。

その奥まったところで、病人だったか、負傷者だったかは忘れましたが、出たことがありました。
直ちに命にどうの、というのはなかったんですが、自力で下山するのは困難。
遭難者です。

山小屋を営業していると、救助要請の第一報にしばしば接します。
今は携帯電話が発達しているので事情は違っているかもしれませんが、当時は、特に夏は、まず山小屋へ知らせる。
人が居て、外部に連絡する設備を備えているのはそこしかなかったから。

その報告を受けて、警察なり消防なりに連絡をする。
ボクの経験したケースだと、無線で電話の繋がる基地に連絡して、そこから行政へ通報。
後は基地とやりとりしながら、救助を待つ。
そのケースは静岡市の消防のヘリが来ることになったと記憶しています。
幸い天気はよく、すぐに救助に来てくれることになった。

下の基地から無線で、「さっきヘリが飛び立った」と連絡がある。
ヘリポートから30分ほどでやってきますので、その間に、ヘリがピックアップしやすい開けた場所へ遭難者を連れて行くんです。ヘリが視界に入ってきたら、赤い旗を場所を知らせる。

大抵、ヘリは着陸しません。着陸できるだけの場所があって、気象条件が良くても。
理由はよくわかりませんが、そのときも5mくらい上空をホバリングをして、ハーネスの付いたワイヤーを下ろしてきました。
そのときは、隊員も降りてこなかった。
ハーネスだけが降りてきた。

えっと、思って、上を見上げたら、どうやらボクにハーネスを装着しろ、という事らしい。
ヘリの風切り音で声は届かないから、コミュニケーションは身振り手振り。
教わったことはないし、戸惑いながら、そして何度かやり直しながら、遭難者にハーネスを装着した。
上空のヘリの隊員に、「これで、OK?」と身振りをしたら、
向こうは「OK」とサインするやいなや、
びゅーんと“滑空”を始めた。
ウィンチアップもせずに。

ボクたちは斜面にいたから、その斜面の角度以下の角度で降りていっても、つり下げられた遭難者が地面と衝突することはありません。森林限界を超えた高山だから、立木もないし。
後から考えれば大丈夫とわかるけれど、その瞬間はとても驚きました。
目の前に居た人が、急に空間に放り出されたように映ったから。
実際、上空に放り出されたんですよね。

遠ざかるヘリにぶら下がった人が、ゆっくりヘリに巻き上げられていく様子を見ながら、
ハーネスがすっぽ抜けないか、ハラハラしたのを憶えています。
釣り下げられた人は、もっとハラハラしたでしょうけど。

ヘリのピックアップには何度か立ち会いましたけど、こんなのは始めて。
時々、TVなどで放送されるように、ホバリングしているヘリからは隊員も一緒に降りてくるのが標準というか、本当の手順のはず。
そして隊員がハーネスを装着して、遭難者を抱きかかえるようにして、ヘリはホバリングしながらウインチを巻き上げて、遭難者を収容してから移動という手順。

それからすれば、とても乱暴な救助活動だったなぁ、と。
そんで、それは静岡市消防だったと記憶してます。
今回の記事を読んで、なんだかちょっと、懐かしいなぁ。と。

まあ、もう20年くらい前のことです。

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