愚慫空論

「ゲスの極み」に草生えるw


ネットのニュースでその存在を始めて知ったのですけど。
「ゲスの極み」なんて言葉を名乗っているバンドがあって、人気なんですね (^_^;)

で、ちょっと検索してみたら、



ああ、これは「かぶき者」ですな。

かぶき者(かぶきもの。傾奇者・歌舞伎者とも表記)は、戦国時代末期から江戸時代初期にかけての社会風潮。特に慶長から寛永年間(1596年~1643年)にかけて、江戸や京都などの都市部で流行した。異風を好み、派手な身なりをして、常識を逸脱した行動に走る者たちのこと。茶道や和歌などを好む者を数寄者と呼ぶが、数寄者よりさらに数寄に傾いた者と言う意味である。


「傾き」は、「歌舞伎」とも書きます。
伝統芸能・歌舞伎の源流ですね。

このバンド、そういうのを意識しているんじゃないかな?

常識を逸脱した行動に走る――“不倫”というはその典型ですからね~~wwww
あ~、草生えるわ~wwww

それで、「かぶき者」といえば、前田慶次ですね。
マンガで有名になりました。ボクもそれで知りました。
『花の慶次』というやつ。
あの『北斗の拳』の次の連載だったので、初めの方だけ読んでいたのが記憶にあります。

今では「傾(かぶ)き」は、一時的な流行を超えて、時代の精神にまでなっているんじゃないですかね?
ロックというのも、そうでしょう。
生まれは海外だとしても、その精神はやっぱり「かぶき」のそれ。
時代に反発して「傾(かぶ)く」のは、それはそれで健全なことでしょう。

健全だからこそ、惹かれる者も出てくる。


彼女、いいと思います。

バラエティーは関心無いのでよくは知りません。
今でもよく知りません。
「元気の押し売り」とあだ名を付けられたということくらいしか知りませんww
あくまで想像ですけど決して“押し売り”ではないんだな、と。

それにしても気の毒ですね、彼女。
「傾(かぶ)き」の犠牲者だと思います。
いろいろな意味で。

ところで、上で紹介した音楽なんですけど、

 「なるほど、才能あるね♪」

というのがボクの感想です。
が、好みではありません。ボクには傾(かぶ)き過ぎて、違和感の方が強い。
確信犯的に不健全な方向性を打ち出していると感じます。
ネットニュースで伝えられる振る舞いに、それは一致しているようにも思える。
(ところが、歌の歌詞は健全なんです、、、)

ボクは、やっぱり健全性を志向したものが好みです。
「数寄者」の方ですね。

今の音楽で「数寄」というと、これでしょうかね?




・1月21日 追記

「ゲスの極み」に胸焼けがする――

また今日になってこんな記事が。


ゲスいのは文春とその記事を喜ぶ読者だと思うぞ。

だって、そこは「ふたりだけの世界」でしょ?
暴露されてしまったけど。

「ふたりだけの世界」に、それがたとえ、そのふたりの被害者であっても、居ないのは当然のことで。
「ふたりだけの世界」にゲスもなにもないって。
正直な心情の吐露でしょ?

それが“ゲス”になるのは、部外者が闖入してくるからで。

ボクは別にベッキーやゲス某を擁護するわけではありません。
もとより、そんな資格はない。そもそも他人事だし。

ゲーノー人としてリスク管理が出来ていなかった、という話もあるけど、
そんなこと、なおさら知ったことではない。
それを言うなら、ゲーノー人をゲスいだのって、喜ぶのはやめろww


“ゲス”なのは誰か、って話。

「正直」なものに、無関係の者が、
正義の衣を被って非難を浴びせることこそが、“ゲス”の名に値する。

この構図は、元少年某にも当てはまったこと。
なんだかゲス某も応援したくなってきたぞww

ガンガレ!
ゲスに生きろ!! 
(大草原)


参考に、どうぞ。




・1月26日 追記


すごいね、今はちょっとでもベッキーの味方をすると批判殺到なんだね。

>なぜか芸能界からは『川谷の妻がかわいそう』という声が聞こえてきません

健全な感覚だと思います。
彼女は芸能界では、リアルには知られていない。
身体感覚がない。
だから「かわいそう」という感覚が湧かない。

>間違いなく一番“かわいそう”なのは川谷の妻ですよ

それはそうだろうけど、そんなのは“想像”でしかないわけで。
その“想像”を正当化するために、叩く。

誰が一番かわいそうかなんて、誰にもわかりません。

軽率な行動をしてしまった。
その結果、大変な目に遭うことになった。
これは自業自得だろうけれど、
だから、かわいそうではない、ということはない。

同じく芸能界の騒動で、SMAP解散というのもありました。
メンバーの謝罪が放送されたりして。
ボクは見てませんけど、いろいろな情報によると、
視聴者への謝罪というよりも事務所への謝罪だったようで。
“公開処刑”なんて言われています。

(だとすると、これは放送法の趣旨からすれば問題では?
 公共財たる電波の私有でしょう?
 SMAP解散を国会で質問した議員がいたということですが、
 国会で問題にすべきなのはこちらでは?  )

“生謝罪”は、視聴者に「かわいそう」という感覚を起動させた。
TVは、身体感覚を伝えることができるメディアです。
そこから湧き上がる「かわいそう」は健全です。

感情を抑圧している者に直に接して、「かわいそう」と感じるのは人間として自然なこと。
そういう自然を「正義」が抑圧する。
これを「いじめ」という。

SMAPでは、あれはパワハラだろうという指摘が出た。
同じ構造なのに、こちらには出ない。
パワハラを行っている者が違うから。
SMAPは事務所。
こちらは大衆。

大衆の振りかざす「正義」ほど、ゲスなものはない。

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