愚慫空論

やっぱり、「自己責任」 でしょ

赤木智弘氏。「希望は戦争」というキャッチコピーで脚光を浴びたフリーター(今もフリーターかな? どこかの正社員ではないと言う意味ではフリーターだろうけど)。

もともと私は氏の言説を自らのところで取り上げるつもりはなかった。だが最近、お付き合いのあるブログから氏の言説を取り上げた記事にTBを立て続けに頂き、私もそちらの記事にコメントするなかで、赤木氏のことを子ども扱いするような意見を書き込んだ。

私自身が成熟した精神の持ち主かどうかという疑問は棚上げしてエラソーにいうが、正直なところ、赤木智弘なる人物には未熟な精神性を強く感じる。

赤木智弘氏本人が本記事を目にすることはあるまいが、しかし、もし目にしたなら、頭ごなしに子ども扱いするような意見には怒りを感じるだろうことは想像に難くない。氏が『「丸山真男」 をひっぱたきたい』『続 「丸山真男」 をひっぱたきたい 』の2つの文章で非を唱えているのは、そうした頭ごなしの不当な抑圧であろうから。

だから、頭ごなしはやめておく。子ども扱いも止めておこう。もしそうした私のこれまでの態度に謝罪を要求されたのなら謝罪もしよう。以後は立派な大人の意見として扱わして頂く。


大人としての赤木智弘氏を一言で評すれば「分断する人」である。え? 「分断された人」の間違いではないかって? そう、氏は「分断された人」であると同時に「分断する人」でもある。

氏は『「丸山眞男」をひっぱたきたい』のなかで「NHKスペシャル「ワーキングプア」が見過ごしたもの」として、次のように記す。

一生懸命まじめに働いても、生活が成り立たない社会が正しい状態ではないことは明らかだ。普通の人が普通に働けば、普通に生活できる社会を構築するべきだ。などと、ごく当たり前でなんの面白みもない感想を頭の中で反芻していると、頭のなかにモヤモヤッとしたものがわき上がってきて、どうも釈然としない。このワーキングプアというくくり方は何かがおかしい――その違和感を突き詰めていくと、番組では「元サラリーマン」「イチゴ農家」「仕立屋」といった経済成長世代と、「ホームレスになってしまった30代の若者」「フリーターである私」というポストバブル世代の間にある大きな差違を、見過ごしてしまっていることに気づく。
 前者が家庭を手に入れ、社会的にも自立し、人間としての尊厳をかつて十分に得たことのある人たちである一方、後者は社会人になった時点ですでにバブルが崩壊していて、最初から何も得ることができなかった人たちである。前者には少なくともチャンスはあった。後者は社会に出た時点ですでに労働市場は狭き門になっており、チャンスそのものがなかった。それを同列に弱者であるとする見方には、私はどうも納得がいかない。

経済成長世代とポストバブル世代の間に大きな差異があることも事実であろう。だが、どちらの世代であっても、いったん社会のレールから弾き飛ばされた人間は、一生懸命働いても普通に生活しくのが難しい社会になってしまっているというのも事実である。

2つの事実。社会を眺めれば、事実は2つどころかいくらでも見つけることができようが、氏は2つの事実を取り上げて、より分断された事実のほうに着目する。

どちらの事実も氏の責任ではないが、どちらの事実に着目するか氏の責任である。私が氏を「分断する人」とするのは、氏が氏の責任において常に「分断する側」を選択しているからである。


最初の論文に寄せられた識者から応答に対する氏の再反論を見れば、氏の選択のあり方がよりはっきりわかる。

福島氏は、劣化ウラン弾による健康被害に苦しむ米国の帰還兵の例をあげているが、帰還兵の苦痛は「お国の為に戦って負傷した」という、社会的承認を得やすい苦痛であるからこそ、支援が集まるのだろう。一方、フリーターの苦痛には社会的承認も支援者もない。常に軽蔑の視線を差し向けられ、浴びせられる自己責任論に打ちのめされるだけだ。現に福島氏自身、いや、私に対して応答した人たちのほとんどが「年長フリーターであるあなたよりも、不幸な人たちはいるのだ」と言っているではないか。

「年長フリーターであるあなたよりも、不幸な人たちはいるのだ」と言っている。その分析に間違いはない。だが、それをその通りだと受け止めるのと、そんなの私には関係ないと受け止めるのかの違いは、受け手の問題である。

奥原紀晴氏は、自殺者が年間3万人を超え、その7割が40代以上であり、「この世代も『ぬくぬく』なんかしちゃいないのです」と指摘している。確かに彼らも不幸だろう。だが彼らの不幸をもって、私の不幸が相対的に軽減されるかのような言いようは、フリーターの苦痛を不当に軽く扱っているのではないだろうか

ここでも氏は40代以上の不幸は私には関係ないと「分断」している。奥原氏は何も「分断」しようとして40代以上の世代の不幸を指摘したのではあるまい。不幸を「共有」しよう、してもらうとして指摘したにすぎない。しかし、氏の選択はここでも「分断」である。

この分断は、佐高氏の「『何も持っていない』私というが、いのちは持っているのである」という言葉にも向けられる。ここで"命”という「共通項」に対して「分断」に用いられるは“尊厳”という言葉である。“尊厳”は“命”を「分断」するものなのか? いや、確かに氏にとってはそうなのかもしれない。

かように、氏は他者から差し向けられるいかなる「共通」の手も握ろうとしない。つねにその手を振り払って「分断」する。氏にとって正しく自明なのはあくまで「赤木智弘が不幸」という事実のみであり、氏はその事実をもってすべてを「分断」していくのである。

そうした氏が革命を否定するのは、当然といえば当然であろう。少数の支配に対して多数が異を唱え社会を流動化させる革命は、多数の者が「共通項」で連帯するからこそ実現する。最初から「分断」する選択しかできない氏には革命など想像もつかないに違いないし、革命より戦争を選択するのもまた当然であろう。


氏は、戦争を社会を流動化させるとして肯定する。違うだろう、と私はいいたい。氏が望んでいるのは社会の流動化などという生易しいものではなく、社会の分断化であろう。社会の破壊であろう。流動化なら社会はまだ社会と呼べるが、分断された社会はもはや社会ではない。

「国民全員が苦しむ平等を」と氏は言うが、社会が社会として機能する限りはそんなことはありえない。たとえどれほど流動化しようとも社会が社会であるかぎり、社会の構成員全体が平等に苦しむことなどありえない。それは、どんな社会にも必ず一部には特権階級があるから、ではない。どんな社会においてもどんな状況においても、かならず「共通項」を見つけ出し連帯し社会を固定化させ社会を築こうとする者はいるからで(実は特権階級ほど連帯している!)、共通の選択を志向する者と分断の選択を志向する者とが同じ不幸になるなどという想定は、人間の生きようとする本能を無視するのと同様にバカげたことだ。


赤木氏が「分断する人」であるのは、氏が「分断された人」であるからだという擁護も意見もあるだろう。確かに正続2つの『「丸山真男」 をひっぱたきたい』の論調はそのようなものであるし、それを認めてもいいと思わなくもない。いや、そもそも私は認めていたのだ。子どもの意見として。

子どもの意見ではなく大人の意見として氏の意見を取り扱うならば、氏が常に「分断」を選択してきたのは、常に氏自身の主体的な判断であったとしなければならない。「分断された」から「分断する」のでは氏の主体的な判断を認めていないことで、それはすなわち氏を子ども扱いすることになり、失礼であろう。私は冒頭でそのことについては反省した。


しかし、それにしても、この後、氏はどうするのであろう? 他人事ながら心配でもある。というのは、皮肉なことに、氏はこの2つの「分断」論文で社会に認知されてしまった。ひょっとしたら氏は持たざる者から持てる者へと転向できるかもしれない。

そのとき、氏はご自分の境遇の変化を何と言うのだろう? 自己責任というのだろうか? それとも他者責任? 

自己責任というのなら氏の言説は変化することになる。他者責任なら社会に対する認識が誤っていることになるが、それでも氏はあくまで社会を分断化させようと論陣を張るのだろうか? そうであれば、それはそれでりっぱな態度だとは思うが、おそらくはなかろう。

いずれにせよ、私には赤木氏が自分の言説に責任をもてる人間だとは思えない。確固とした自己を確立しえず、周囲の状況で自らの意見が変化してしまうような人間にしかみえない。

もちろん、誰もが周囲の状況から影響を受けるものであるし、「君子豹変す」ともいう。氏が意見を変えてしまうことを認めないというわけではないが、それなら子ども扱いされることも認めてもらわなくてはなるまい。

コメント

悲しいなぁ

今の世の中、地方だとか郵便局員だとか障害者だとか、苦しい状況にある人達はたくさんいるような気がするんですが、この赤木という人にとっては、自分以外は全て幸福な脳天気人間で、怨嗟の対象でしかないのでしょう。

自分もそうだったから分かるのですが、こういう人間は、じゃあ自分はどうするんだ?という問いには絶対に答えようとしません。傍目から見て滑稽なのはそのためです。

これも、自分の経験からわかるのですが、彼らは親の世代に妥当した価値観(たとえば経済的に安定していて車や家を持っていること)に意外と縛られています。縛られているから、ニヒリズムに走るのです。

そんなに縛られているなら逃げずに向かっていけばいいと思うのですが、そういう目的の実現を「自分らしく」「苦労せず」達成したいのです。試しにこのような人種に、豊かな暮らしをしたければ、自分らしく生きたければ、具体的にこうしたらよいと提案してみるといいです。恐らく彼は、なんだかんだと言って現状を変えまいとかたくなになるだけでしょう。以前の私がそうしたように…。

小泉カイカクとやらを後押ししたのは、こういう層、つまり文明人的ずるさを持った人々なんじゃないでしょうかね。社会の構成要素になっている人々を引きずり下ろすことで、苦労せずに受益者になれるという夢を見せたのだと…。

悲惨自慢?

どこにでも、自分の不幸を自慢したがる人はいるわけですが・・・。

思い出したのが、尾崎豊。
彼は「大人はわかってくれない」と歌って若者の熱狂的な共感を得(私もその世代のひとり)たものの、彼自身が大人になって行き詰まった。

反体制、反大人社会のメッセージソングから、ひとりの大人として、ひとりの生活者としての歌を歌い始めたけれども、それは世の中から求められなかった。そして27歳で、死亡。

赤木氏は1975年生まれとのことだから、もう32歳。
なのに彼の論調は「大人はわかってくれない」というものだから、読んでいる方は赤面させられる。

彼が「持てる者」になったら、彼の商品価値は確実に下がる。その時彼がどうするのか、興味深くもあり、哀れでもあります。

母親役で~す(爆)

「お付き合いのあるブログ」の方で「母親役ですね」といわれて、ガクッとずっこけたので、もう子ども扱いも寛容さもなくしてやります。(母親役ってのはあまりに気色悪い)
「分断する人」まさにそうの通りで、権力、支配者、裕福層の思う壷。金満印の三角形の頂点から底辺を指差しニヤニヤ笑われている。いいぞ~、もっとやれ~、貧乏人共が~、ってね。
 意識せずにまんまと乗っている赤木君は支配者層の手先のようですね。意識出来ないところが痛すぎます。
 
 赤木君は出版したらしいですね。売れてるのかな? 安定層の仲間入りかな?
 これね、結構不思議なんですけど、雨宮処凛なんかでも思うんですが、ワープアネタでワープアを脱出する。ワープアを餌にして安定していくわけですね。ワープアネタで本を書き、ワープアネタで講演をする。そこで本を売る。買ったバカがサインをねだる(爆)あ、これは関係ないや。 本人としたら、そこに自己欺瞞やら自己矛盾を感じないのかなぁ、と思うのです。極端なはなし、ワープアが解消したらメシのネタがなくなる。なくなったら困る。多分雨宮処凛なんかは、そこのとこに気づいているのかいないのか、自らも労働運動のなかに入っていって行動することで、自分の気持ちのバランスをとっているのかもしれない。
 赤木君にしても、このまま雨宮処凛みたいに安定層になれば同じ状況だ。しかも「言った」ことで安定層になった彼はさらに激しい自己矛盾におそわれそうな気がする。…普通ならね。でも
感じないでしょうね。やはり子どもだから。

布引さん、ごめんなさい!!

せっかくいただいたコメントを間違えて削除してしまいました。大変申し訳ありません。深くお詫び申し上げます m(_ _)m

悲しいです

ろろさん>

ほんとうに、とても悲しいですよね。

赤木氏のような人物を批判するのはある意味楽です。ツッコミどころは満載ですから、いくらでも批判のネタは拾えるでしょう。

でも、たぶんそれでは何の解決にもならないんでしょうね。そうした若者は氏ひとりではないでしょうから。

赤木氏に代表される右傾化する若者たち、こうした問題を解決できるのであれば、右翼でもなんでもいいと思います。でも右翼ならこうした者たちを受け入れられるのでしょうか?

左翼はまず無理でしょう。そうした意味では赤木氏の左翼批判は当たっていると思いますが、もし左翼がそれを乗り越えられたなら、左翼にも新たな展開があるでしょうが。


水葉さん>

32歳といえば、水葉姫とどう世代? いや、姫はもっとお若いかな。いやいや、尾崎豊の世代というと...
女性の年齢の詮索は無粋ですね (・_*)\

それにしても尾崎豊とは。私、実は尾崎は好きなのでちょっと複雑な気持ち(笑)。けど、類似性を否定できませんね。

そうですねぇ、私は赤木氏の論理は否定したいと考えますが、氏が抱いている哀しみといいますかルサンチマンといいますか、そうしたものまでをも否定するつもりはありません。満たされない思いをしていたのは本当でしょうから。

もし歌なり小説なりの表現方法で氏が自らの満たされない思いをまっすぐに訴えていたのなら、たとえそれを幼いと感じたとしても、受け入れられたかもしれません。人はだれでも自分の思いを表現する権利があるのです。共通項を求めて。

でも、残念ながら氏はその方法は選択しませんでした。分断することで自らの思いの正当化に走ってしまいました。分断に共感しろたって、無理というものです。


dr.stoneflyさん>

雨宮処凛さんは、私には共通項を求める人のように見えます。共通項を求めてまず右翼に飛び込み、右翼の分断に限界を感じて左翼になった。9条の戦争否定はおおきな共通項ですからね。

たしかに雨宮・赤木の両氏ともワープアネタで安定層になったのかもしれませんが、それは社会の仕組みによるやむをえない面もあります。間接民主制と同様の。ただ、共通項を求める人は社会の仕組みがもたらすそうした分断に罪の意識を感じるでしょうし、分断しようとする人は政治家や「勝ち組」たちと同様にしてやったりと思うでしょうね。

果たして赤木氏は罪を感じるか、してやったりと思うか? イジワルだと自覚しますが、見所ではあります。

残念ながら

私は赤木氏ではなく、兄さんと同世代です。来年2月で39。

>女性の年齢の詮索は無粋ですね (・_*)\

いいえ、年齢は私の歴史。(^-^)

見所があるとすれば

この人は、少なくとも自分の体験、感覚、考えを、ありきたりの「正しい」言葉ではなく、自分自身の言葉でうんうんうなりながら表現しようとしているように思います。
見所があるとすれば、そういうところでしょう。

愚樵さんに削除されたコメント

今回の記事も、皆さんのコメントも、素晴らしいものばかりですね。
私のは、あまりにレベルが低いので、てっきり見かねて削除されたのかと。

赤木君に対しては、大人に向かって『殺人はなぜ悪いのか?』と聞く、屁理屈をこねる悪賢い中学生を連想しますね。
コメントは赤木智弘名の子供の議論(大人へのイチャモン)に対して、を赤木智弘君を赤子君と皮肉ったもので出来が悪かった。
赤木智弘はたぶんHNで「あかきちしお」か何かをもじったものと思っていたが文章力は大したもの、読書も丸山真男とは大したもの。勝谷や橋下の二番煎じだが知能は彼らより上かもしれない。
しかし主張が『希望は戦争』では『希望はテロル』まで後半歩の距離で、危なっかしい限り。

このまま社会が固定されてはワーキングプアは救われないが、真のガラガラポンは戦争ではなく革命しかないはず。(彼は色々屁理屈を捏ねるが、本当は革命が怖い)
国家の戦争は社会制度を強化こそすれ、弱体化するすることは金輪際無い。
社会の流動化する可能性は戦争ではなく『戦争による敗戦』ですよ。
『希望は敗戦』なら赤木君の説にも一理あるが「希望は戦争」ではペテン師呼ばわりされても仕方ないでしょう。

こんにちは。

論座読者でしたので、これリアルで読みました。
赤木氏がうまいのか、朝日がうまいのか、判断に苦しむけど 読者のつかみ方がうまいですね。
むかついたけど丸山真男の本まで買ってしまいました。
難しくて途中までしか読んでないですけど(涙)

理解も同情もできないけど、これでチャンスがめぐってきたんなら彼にとっては万々歳でしょう。
もう黙っとれ、って感じですねー。

ちょっと訂正

すみません、前のコメントで雨宮処凛や赤木君がワープアネタで安定層にいることの自己矛盾と書きましたが、撤回します。よく考えたらジャーナリズムの否定に繋がりそうですね。
ワタシ自身、ワタシなりに世に訴えたいエントリーなんかがあり、そうしたエントリーを書く時間をひねり出すのに四苦八苦していて、そんな時、多少なりとも書く事が金になったらもう少し時間をとることができるのにと、たまに思うことを思い出しました(爆)。
とすると、前コメントはただのやっかみの心理だったのかな。お恥ずかしい。

ヤッカミではなく

すみません.続きのコメントが出ないので毒多さんへ  
雨宮さんはよく知りませんが,赤木さんは格差社会そのものの不条理を訴えているのではなく,自分が(能力があるのに)下層にいることの不当を訴えているだけなのです.ですから自分が下層階級からのし上がれればそれでいいので,そのあと格差社会をなくすかどうかは恐らく関心がないのではないか,と思われます.(ひょっとしたら格差社会肯定論者の可能性さえあります).もし違っていたら陳謝しますが,彼の言い分を分析する限りはこの結論が出てきます.
従って,ワープアネタで安定層を確保しても自己矛盾なんて彼が感じているはずがありません.こういうことができるのは巧妙な作戦(結果的にしろ)があったからです.(ワープアネタも自分がのし上がるための手段にすぎない) 素朴な訴えが注目されるような時代を待たなければなりません.そのような人が世に出られるような時代になると世の中は変わるはずです.よろしく.

愚樵さん、庭先で失礼

母親役は気色悪いから返上たいのだけど、やはり赤木君が可哀想というのがどこかである。大津留さんのとこで東京の集会の報告がありましたが、赤木君は、どれだけ叩かれても「希望は戦争」路線を変えることはできない。普通の全うな訴えに変えたとたん、彼の独自の「売り」はなくなり多くに埋もれる、と、彼も解っている。つまり変えたとたん用済みになってしまう。(今がどうかしらないけど)もとのワープア層に戻ってしまう。でもね、変えなくても一発芸芸人のような哀愁を感じます。
雨宮処凛については、長くなりそうなのでエントリーをあげました。

ながらく失礼しておりました

かつさん>

そうですね。赤木氏は決して才能がないわけではないと思います。どんな形にせよ世に出てきたということ自体、その才能の示しているのでしょう。

ただやはり、その出方はよくなかったと思います。


布引さん>

前のコメントでは失礼しました。決してコメントの質が悪かったわけではないです。というより、読むより先に削除してしまいました。FCブログではコメントが来た旨メールで通知があるのですが、このメールからコメントの削除ができるのです。そこを誤ってクリックしてしまって...。確認のアラーともなしにいきなり削除なので、あっと思ったときにはすでに遅し、でした。

赤木氏が切望する社会の流動化については考えることがありますので、別にエントリーを挙げます。そちらにもコメントお願いします。


ママちゃん>

なんとリアルでお読みになったとは。意外な感じがします、なんていったら失礼ですね。

赤木氏は知能指数は高いようですが、何か欠けているような感じがしますよね(そんな人物は赤木氏に限らず、TVを眺めればよく見かけますが)。大切なお子さんたちがそんな大人に育たないよう、祈ります。


dr.stoneflyさん>

>赤木君が可哀想
というのはわかりますが、それはdr.stoneflyさんの基準ですよね。氏の基準からすれば、もはやご自身は可哀相な存在ではないのかもしれません。氏は社会に認知されたのですからね。その認知を死守するためにガンバルことでしょう。

>一発芸芸人のような哀愁
一発芸芸人で終わってくれればこちらとしては嬉しいのですが。しかし橋元徹のよう例もありますし、権力の方で利用価値があると思われると、案外しぶとく生き延びる(生き延びさせられる?)かもしれません。TVに出演できるかどうかは、ルックスによるでしょうが(笑)。

ロケンロール的考察

こちらでははじめまして、です。
尾崎豊とくれば、ひとつしか違わないわたくしは愛憎半ばするものがあり黙っておれないのですが(笑)、尾崎の行き詰まりから「何もかも壊れてしまえ!」という切実な思いから人を救うのは、「大槻ケンヂ」の方法論ではないかと思うのです。
そう、「オレはオナラで空を飛べるぜ」「何もできずに君との別れをただ見ていたオレは高木ブーだ」で世に出たオーケンです。彼は楽器は弾けません。でも、世界への復讐としての表現欲求と、上述の歌詞の通りそれを笑いの下に相対化するセンスがありました。後者は尾崎にはなかったものです。そして、赤木氏にも。
とにかく、オーケンは、ボブ・ディランの指し示すごとく、「できることは、やらなきゃならないこと、だからうまくできること」を、行動に移したのです。
もうひとつ赤木氏になく、オーケンと雨宮さんにあるのが、「共通項を求める思い」なのです。
だからオーケンは、♪何か賞でもほしいのかい 今度の芸風、ああボランティアかい?♪という視点を持った上で♪俺の歌とペンがサーチライトになるんだ 俺みたいになるなよ だから行け さっさと行け なんとかなる!♪とアジるのです。そして、やっぱりロックで育った者。「ロコ!思うままに」「縫製人間ヌイグルマー」などの小説には、音楽よりももっとナマに、ラブ&ピース、反グローバリズム=画一化の精神があふれ出ています。
SIGHT 2007年秋号で高橋源一郎は、赤木氏の言論を「正しい」と認めながら、「その正しさが悲しい」と、それと反対の「もっと恨み言を言ってもよかったのに、我慢してカッコつけて、死んでいった」石川啄木を、「ロックっていうんじゃないか」と言いました。

そう、ロックンロールとは、「人を悩みをかかえたままで踊らせる」(ピート・タウンゼント)ものであり、「生きてることを喜ぶことを罪ではないと信じる」(ブルース・スプリングスティーン)ものなんだから。

なめぴょんさん、ようこそ

>ロックンロールとは、「人を悩みをかかえたままで踊らせる」
>「生きてることを喜ぶことを罪ではないと信じる」

なんだか、ロックが聴きたくなってきました(笑)。昨日久しぶりにゆっくり音楽を聴いたのですが、年末ということでベートーヴェンの第九交響曲(爆)。でも、ロックも聴いてみましょう。復活したというレッド・ツェッペリンあたりがいいかな? でもでも、どうせなら生で聴きたいような。生の音楽を聴くという機会とは、ホントに長い間ご無沙汰しているなぁ...。


>「何もかも壊れてしまえ!」という切実な思いから人を救うのは、「大槻ケンヂ」の方法論ではないかと思うのです

はい。それには同感です。同感しながらも、でも、それって誰にでも出来るものではないでしょう、とも思ってしまいます。

この記事を書いてから自問しているのです。赤木氏の方法を認めるわけにはいかないという思いは変わらないのですが、でも、氏にとっては、あの言論が「できること」であったのではないか、と。それを否定してしまっていいのかなぁ、と。

もし氏が「それしかできない」のであれば、それが否定されてしまうことを氏は全否定と受け取るでしょう。全否定と受け取ってそれを受け入れるなら、首でも括るほかありませんが、まさかそこまではないでしょうから、反撃してくるでしょう。議論はたぶん平行線です。

他の方法ができる人はいいのです。そうした人は幸せですが、その方法しか知らない人に別の方法をいっても...。その方法しか知らないのは自己責任ですかと聞かれたら、答えに詰まってしまいます。

赤木&尾崎 vs 雨宮&大槻の差は、生命力の差のような気がします。悩みすらも抱擁し肯定できるような生命力。だれもがそれをもてればいいのですが、それは人それぞれの個人差、もっというと才能によるものなのでしょうか? もし、そうであるなら、何を議論しても意味がないような気もします。


すみません、せっかくのコメントに陰気なレスで。

あ、啄木を「ロックっていうんじゃないか」には、笑いました。

うーん・・・

>他の方法ができる人はいいのです。そうした人は幸せですが、その方法しか知らない人に別の方法をいっても...。その方法しか知らないのは自己責任ですかと聞かれたら、答えに詰まってしまいます。

なるほど。80年代の「マンザイブーム、ひょうきん族、ダウンタウン」に、「お笑い」=自己の対象化を完膚なきまでに叩き込まれた者としては、自明の理なんですが、そうじゃない人も、同世代だっていますよね。

>もし、そうであるなら、何を議論しても意味がないような気もします。

それでも、「わかりあえない人もいるんだ」「おれの言うことは誰にでも、すべての人に受け入れられることじゃないんだ、悲しいけど」という認識に至るだけでも、意味はあるんでしょうね。

そのときが危ない

>「わかりあえない人もいるんだ」「おれの言うことは誰にでも、すべての人に受け入れられることじゃないんだ、悲しいけど」という認識に至るだけでも、意味はあるんでしょうね

この認識に至ったときが、もっとも危ないのではないかと。

人間というものはたぶん、その位置には留まってはおれない存在なんです。だから、ロックンロールなんでしょう? 俺は悲しいゼ!って叫ばずにはいられないのでしょう?

生命力旺盛な人は、その位置に立ち至ったならば、踵をかえしてコミュニケーションする方向へ向かうでしょう。これは私自身も経験があることです。

「わかりあえないからこそ、わかりあおうと努力しよう。それがたとえ通じなくても、努力することに意味がある。それが生きるということ」

これこそ、スプリングスティーンの言わんとするところではないでしょうか。
「生きてることを喜ぶことを罪ではないと信じる」

でも、時にその位置に留まってしまう人もいます。ニヒリストです。虚無主義者です。そうした人は大抵自滅の道を歩んでしまうことになる。尾崎のように。虚無から這い上がってくる生命力が足りなかったんでしょうね。

赤木氏の「戦争は希望」の言説に感じるのは、そうした生命力の無さなんです。自己肯定感が低いと言い換えてもいい。そしてそれは、右傾化する若者一般の傾向ではないかと、そんな気さえするんですよ。

で、やっぱり同じ結論です。もし生命力の問題であるなら、何を議論しても意味は無いのではないか、と。

たしかに

この「最終的にはわかりあえないかもしれない」という認識を持った上で、それでもコミュニケートしようという意思をもつ、それがロックンロールなんでしょうね。
かれこれ25年間、ロックについて考えてきましたが、また新しい「知覚の扉」を開かせていただきました、ありがとうございます。

TB2つほど。

今晩は、ご無沙汰しています。
民主党のアフガン対案の危険度、韓国のベトナムでの経験の辺りを、確認しとこかなっと思って寄りましたが・・。
TB後で送ります。

>大人としての赤木智弘氏を一言で評すれば「分断する人」
面白いです。先日、janjanの名記者・佐藤弘哉さんのこと、書いたので、どこか繋がるなあと思いました。

単純に思ったのは、赤木氏は、自分の不幸を責任転嫁してやしないか、っていうことですね。
「あなたは、自分の境遇を他人に同情されるほど努力したのか?」と問いかけたいところです。努力したけど叶わなかった、あるいは不幸に見舞われた、というのであれば、当然同情されますよ。でも、「自分ができること」をやらずして「チャンスがない」もへったくりもない。そういうことは努力してから言え、ということです。

wakuwakuさん、ながらく放置して申し訳ありませんでした。越年レスになってしまいましたねσ(^_^;)。

>単純に思ったのは、赤木氏は、自分の不幸を責任転嫁してやしないか、っていうことですね

まあ、単純にそういうことです。このエントリーはそういうことを持って回って書いただけ、です(笑)。

感想

通りがかりに読ませていただきました。
いろいろ参考になりました。
失礼します。

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/81-5e9a7dc4

「武装兵隊の街なかの訓練」…仮想敵はワープアの暴動?

 2つ前にエントリーで紹介した武装兵隊の町なかでの訓練が気になっている。 訓練そのものはもとより訓練の意図である。新聞にあった災害時などの時のための地形把握などなんてのは、小学生の嘘の言い訳以下であり、誰もきいちゃねえだろう。 ではどんな理由か? どっか

鶴見済の今に赤木智弘の未来を見る・・・のか?

鶴見済といえば、言わずと知れた「完全自殺マニュアル」の著者だ。その後「人格改造マニュアル」でも話題を呼んだが、98年に覚せい剤取締法違反で逮捕され、極中記でもある「檻の...

政府公認 使い捨て

 朝8時過ぎに家を出て夫の叔父の家へ。叔父と一緒に叔母を連れて病院へ行き、骨粗鬆症による圧迫骨折で車いすに座っているのも苦しい叔母を入院させて病院を出たのが夕方の5時前。 前回の退院からまだ2週間も経っていま

左右の対立へのスタンス

 私の最近の記事で,周囲の人から危惧,ないしは忠告のようなものを示された.私の論調は『分断』が基本にあるのではないか,もう少し反対者も仲間に入れるような論調にならないのか,という趣旨である.これを聞いて,私ははたと思い当たることがあった. この危惧は左右

「希望は戦争」

 赤木智弘さんという方が論壇誌などをにぎわしている。雑誌は週刊誌を含めて月に1、2冊買う程度なのでその論文に接することもなく、「『丸山眞男』をひっぱたきたい 3

「雨宮処凛トークライブ」(番外)…彼女についての違和感

 雨宮処凛のトークライブで感じた微妙な違和感をやっぱり呟いてみる。 ホントはスルーしようかと思ったのだが、いまだにトークライブで感じた違和感がひっかかってたり、その後エントリーを書きながら感じたことを愚樵さんとこにコメントしてしまったり、S君のところで胡

『電子投票制度』は選挙制度の“自殺装置” 【『IT利用独裁』への道】

国政選挙にも電子投票 自公民合意、今国会で法改正へ(朝日新聞) 自民、公明、民主の3党は、国政選挙に電子投票を導入する公職選挙法特例法改正案について、今国会で成立を図ることで合意した。 改正案では、地方選での電子投票条例を制定している市町村に限り、国政選

9.11陰謀論の陥穽

 2001年9月11日のニューヨークテロについては,世の中に種々の『陰謀論』が存在している.その陰謀論とは,いくつかのバージョンがあるが,要するに9.11テロは何らかの形で『現ブッシュ政権』が関わっており,最もひどいバージョンではブッシュ政権の『自作自演

政・官・財の癒着と汚職 政治指導層の無能 米国依存――日本病?

私たちの国に政治はあるのか?  年次改革要望書のことでも、狂牛病問題でも、ショー・ザーフラッグでも、ブーツ・オン・ザーグラウンドでも、お説ごもっとも、とばかりに米国に...

笹島市民フォーラム2007、雨宮処凛さん(JANJAN)

笹島市民フォーラム2007、雨宮処凛さん(JANJAN) http://www.news.janjan.jp/area/0712/0712016520/1.php  笹島診療所の市民フォーラム2007・雨宮処凛さんトークライブ『生きさせろ! 貧困社会を生き抜く』が、11月25日、名古屋伏見にある伏見ライフプラザの

君死にたまふことなかれ

最近もまたヤップ島出身の青年が米軍兵士として亡くなり、星条旗に包まれた棺に入れられて帰還した。写真は遺体を乗せた飛行機より一足先にヤップに到着し、整列して棺を待つグアムから来た米軍兵士たち。 ミクロネシア出身者が米軍兵士として死ぬと、10人くらいの単位...

小沢一郎VS養老孟司:「ヒトとムシの日本改造計画」「カネ万能の時代」にどう生きるか

(1)人が自然に死ねない時代 ――日本住血吸虫の被害を防ぐために田んぼの側溝をコンクリートにしたら、住血吸虫の中間宿主であるミヤイリ貝とともにメダカが消えた。自然環境と農業について、どう考えますか。 養老 この間、(福井県の)武生へ行きまして、田んぼを見

『限界集落』・・人と環境の破壊

 10月18日に京都府綾部市で「全国水源の里シンポ」が開幕した。  過疎高齢化で存続の危機にある『限界集落』について考えるもので、『限界集落』の概念を提唱した大野晃(長野大教授)の基調講演と地域再生に取り組む人たちのパネルディスカッションが行われた。   [

9.11陰謀説?(1)WTC7ビル崩壊は陰謀爆破かとばっちりか

 9.11陰謀説に危惧を示したら予想外の反響を呼び起こした.それだけ疑惑が根強いということだが,やはりそれは反ブッシュの人々に多いようだ.だからこそ事の真偽を見極めないと大変なことになる.悪意ある発信源を見せられてそのように思い込ませられているとしたら...

大型店舗の進出で商店街は潰れて当然という人物との議論

すみません、連続投稿です (wakuwaku_44) 2007-10-24 12:42:06 規制緩和で最も顕著な変化は「商店街の衰退」でしょう。ところが、大店法改定で「逆に発展した商店街」も出てきた事例があります。 私に言わせれば、商店街ほどポテンシャルが高い形態はないのです。...

希望者全員入学に反対する受験競争至上主義者との議論

子供が好きなものを選んで食べるのは自由ですが、栄養をとることも食文化ですから自分らが楽しんで食べることができる「調理法」があることを大人は子供らに教育していくことが食育です。子供が嫌いな食べ物を「栄養があるから」「作ってくれた人に失礼だから」「日本の水...

赤木さんの「希望は戦争」について一言 ―新年のあいさつに替えて―

 少なくとも日本は江戸250年と第二次大戦後50年という二度にわたって、「平和でかつ格差も少ない」という状態を作り出しています。格差は確かに戦争のインセンティブになります。その意味で、資本主義は確実に定期的な戦争を必要とするシステムだといえるでしょう。  

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード