愚慫空論

「触媒」



コミュニケーションの失敗から必然的に生まれるもの、責任と秩序と権力。
とはいうものの、コミュニケーション失敗から即、それらが生まれるわけではない。
コミュニケーションの失敗は、それらが生まれる土壌のようなもの。
責任や秩序や権力が土壌から発芽するのは、きっかけ、気づき、といったようなものが必要。
しかもわかりやすい形で社会に共有されないといけない。

責任・秩序・権力が発芽する、社会に共有されるきっかけ。これを「触媒」と呼んでみたいと思う。

「触媒」をイメージするのにちょうどよい動画がある。



この動画は、
『自然の幾何学とアーカイブ』(雑念する「からだ」)
から
『「世界」は振動という「空(くう)」に満ち満ちている』(光るナス)
という順序でここへやってきた。

『光るナス』のアキラさんは、クラドニプレートを「世界」と解釈し、振動を「空(くう)」と見、そして

「世界」には、こういうありとあらゆる振動が満ち満ちていて、その振動と振動との狭間に、粗いものが吹き寄せられていく。
その「集まり」を、僕らは「姿」や「形」や「状態」として認識しているのではないか?


と投げかけてこられる。うん、腑に落ちるものがある。視覚や聴覚のような感覚はこのようなイメージで立ち上がるのだろうと思う。振動数の高い者ほど、緻密な「姿」「形」になる。

感覚には「触媒」は特に必要とされない。
なぜなら、それはもともと身体にビルトインされているから。

人間は、振動するグラトニー・プレートによってイメージされる「世界」をもうひとつ抱えて、そちらは「触媒」を必要とする。
プレートの振動を“可視化”する砂。
この砂がなければ、プレートが振動していることが理解されない。社会に共有されない。
社会で共有されることがなければ、いかに土壌(振動するプレート)が整っていても発芽はない。

責任・秩序・権力といった観念。
そればかりではなく、言葉も貨幣も「触媒」である。

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