愚慫空論

権力が生まれるところ


前回、前々回と提示したのは、

コミュニケーションは失敗する。
コミュニケーションの失敗に備える必要性から、責任と秩序が生まれる。



今回、提示するのは、

秩序が曖昧なら責任も曖昧

そして

曖昧な秩序を明確にするために権力が要請される

単純明快。単純すぎる?


具体例として、2014年問題を採り上げてみよう。ウィンドウズXPのサポートが終了するというお話だ。
(もうすでに古い話になったような気でいたら、IEのおかげ(←皮肉)でまたクローズアップされたみたい)

マイクロソフトがウィンドウズXPをリリースしたのは2001年。MSは長きにわたってセキュリティサポートを続けてきて、もう勘弁してくれと停止したのが先日4/8の話。

マスメディアはXPの危険性を言い立ててウィンドウズ8の販促をするばかりで、ネットにアクセスしてもXPサポート終了をネタにしたベタな宣伝ばかり。おまけにネット世論もXPを使い続けるなんて犯罪であるかのごとき。

でも、まだXP自体も、XPを搭載したパソコンも十分使えるのにもったいない、変だな、と思う。ネットに接続しなければいいと言うけど、XPにはネット機能は標準搭載じゃないか。サポートだってネット経由で行うのがデフォルトなのに。

元はと言えば、マイクロソフトがセキュリティに問題のある不完全な製品を売りに出したことに原因があるのではないのか?
だからセキュリティサポートをしていたのだろう?
不完全な製品を完全なものにする責任はマイクロソフトにあるのではないのか?
なのにXPユーザーがOSの買い換えだけでなくパソコンも買い換えるという責任を負わなければならないのか?

もちろんMS側にだって言い分はある。

OSのような複雑極まりないものを完璧にするなんてそもそも無理だ。
だからといって、サポートを続けるのは営利企業として限界がある。
それでも長きにわたってサポート実施し、責任を果たしてきた。
・・・・

責任はXPを発売したMSにあるのか、ユーザーにあるのか?
突き詰め始めると議論は尽きないだろう。


解決方法は3つあると思う。

1.権力を呼び出して裁定(裁判とか)

近代民主主義の制度でなら、議論を喧々諤々やって、“正しそう”な方を権力(裁判所)が判断する。
前近代的な独裁制なら、独裁者が恣意的に判断する。
民主的な裁判も独裁者の恣意的判断も、権力が裁定するというところでは同じ。

2.権力をあからさまに呼び出すことはせず「空気」に任せる

他の国ではどうか知らないが、「空気」の国日本では、この主に解決法。
メディアで宣伝して「空気」を醸成し、従わない人間は犯罪者扱い。

3.「成長」による解決

資本主義的解決法。
XPユーザーに解決するだけの経済力があれば、責任を云々するだけ野暮というものだろう。



3.の解決法は権力を要請しない。ということは、コミュニケーションが成功しているということになる。

資本主義はコミュニケーションの形態のひとつと捉えることが出来る。
資本主義コミュニケーションがうまく作動していれば、責任は生じないし、権力もお呼びでない。(〈秩序〉はある!)
けれど、資本主義コミュニケーションも失敗する。
そうすると、1.か2.のオプションが呼び出されることになる。


余談というより、少し話を先に進めてみる。

ネットというのは、従来なかった新しいコミュニケーション空間。
新しいから、当然、秩序が安定していない。
XPの問題は、ネット秩序の不安定さと関連している。

コミュニケーションだから、悪意といったようなものが介在する余地が生まれる。
よしんばXPが完璧な製品でなかったにせよ、悪意のユーザーが入り込む余地がなければ、問題はさほど大きくない。
XPは不完全なコミュニケーションツールであるがために、悪意のユーザーはツールを改造して、アンフェアなコミュニケーションを行うことが出来てしまう。アンフェアを許してしまうことがセキュリティー問題。


こちらはホントに余談。

先日『ドッグウィル』という映画を観た。
これはコミュニケーション不全かつ権力不作動だと、どのような事態に陥るのかを描き出した作品(だと思う)。

コメント

コメントの投稿


管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事へのトラックバックURL
http://gushou.blog51.fc2.com/tb.php/780-e5ef7c67

 | HOME | 

 
プロフィール

愚慫

Author:愚慫
“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

「空論」は相変わらずです (^_^)

      

最近の記事+コメント
最近のトラックバック
月別アーカイブ
全ての記事を表示する

全ての記事を表示する

QRコード
QRコード