愚慫空論

秩序が生まれるところ


生命が生を営むのに必須のコミュニケーション。
なのに失敗を免れないことができないコミュニケーション。

必ず生じるコミュニケーションの失敗に予め対処することが、責任

あるいは、

必ず生じるコミュニケーションの失敗に予め対処することが、秩序

だとも言える。

責任と秩序の違いは、その対象の違い。

責任の対象は、特定の個人あるいは集団
秩序の対象は、社会。社会は個人や集団を内包するもの。


“不徳の致すところ”という言葉がある。コミュニケーションの失敗によって秩序が乱れて特定の個人あるいは集団が責任を負うべき事態に至ったとき、謝罪の言葉として発せられる。
現代的な意味では、“不徳”はコミュニケーション能力不足といった意味だけど、もともとは違う。
“不徳の致すところ”という言葉は、社会の秩序の責任に責任を負う者すなわち統治者の言葉だった。
社会の秩序が乱れてコミュニケーション失敗への対処がうまく行かない状態に至ったとき、統治者個人に直接の原因はなくても、その責任は統治者という個人に帰せられた。たとえ天変地異などが原因で秩序が乱れは統治者の“不徳”の表れとされた。


余談。

“不徳の致すところ”は本来、統治者が発すべき言葉だとするなら、現代なら政治家に相応しい言葉だろう。事実、少し前までは政治家からこの言葉がしばしば発せられていたように思う。けど、最近はめっきり聞かなくなった気がする。政治家から秩序に責任を負うという気概がなくなっているような気がする。

『ジャパン イズ バック』

『ジャパン イズ バック』で安冨さんは、安倍政権は、

  「コミュニケーション不全を生み出したい」

のだとズバリと指摘してる。

コミュニケーション失敗に対処するための〈秩序〉を乱して、コミュニケーション失敗を頻発させる【秩序】を打ち立てたい。
“不徳”に至りたい。
Japan is Back.

そんなことを日本人は本当に望んでいるのだろうか?

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