愚慫空論

人間は敵か味方か? その2

年の瀬の日本社会をぬるく賑わわせている靖国参拝問題をネタに。

靖国神社にお国のために尽くした(とされる)「英霊」が祀られている。
国際社会の論理、もっというと戦勝国の論理では、A級戦犯は「平和と人道に対する罪」を犯した重罪人であっても、日本人の宗教観では同じ英霊――という感覚を理解できるような気がする。

人間は人間の味方、という感覚。
現世での役割を終え、死して純粋な『人間』となったとき、その魂は人間の味方という感覚。
たとえ現世に怨恨を抱いて死んでしまったとしても、きちんとお祀りをすれば人間の味方になってくれるという、ある意味では「甘え」かもしれない。

しかし、この感覚は世界のスタンダードではないようだ。
人間は敵という感覚。田中良紹さんの記事は、その感覚を的確に映し出していると思う。
 
「戦争に勝ってからやれ」とアメリカは考えている
 

日本人は昭和20年の8月15日で戦争は終わったと思っている。しかしアメリカは日本との戦争は永遠に続くと考えている。ドイツと違い日本はアメリカにとって理解不能な国家であり、日本民族をアメリカ流に洗脳し続けなければアメリカの安全は保てないとアメリカは考えているのである。その事を日本人は全く理解していない。


アメリカ人が理解不能なのは日本人だけではないだろう。中国人だって理解不能だろう。理解不能な相手は敵なので、征服しない限りは安全は保てない。たとえあの世へ行こうと関係がない。

靖国参拝を支持する人たちは、「平和と人道に対する罪」は戦勝国がねつ造したものだという。
それはその通り。「人間は敵」だというエートスを元にしている。

しかし、それをいうならば近代国家という枠組みだって「人間は敵」だというエートスを元に作られている。
だからこそ靖国神社に祀られる人たちは、特に「英霊」と呼ばれる。敵と戦ったから「英霊」。
いくら「不戦の誓い」と言ったって、ダメ。
「人間は敵」のエートスの元では、平和とは、戦勝国の論理が機能している状態を指すのだから。
すなわち、パックス・アメリカーナ。

「靖国の心」を世界にアピールしたいならば、そのベースは、戦後日本ならば9条がよいだろう。
9条のエートスは「人間は味方」。
「人間は味方」というエートスを体現することが出来る人間が靖国へ参るのならば、その心も理解してもらえよう。

コメント

あけまして

おめでとうございます。
結局、人間は快適に存在したい存在なんだ、と考えています(笑)。
今年もよろしくおねがいいたします。


あけおめでございます

毒多さん

快適を求めて止まないのは、人間の「アタマ」だと思っています。

アタマは空想を追い求めます。
空想を追い求めることができる状態が、アタマにとっての快適なんです、きっと。

アタマにとって、カラダは他者。
自分のカラダであっても、まして他人のカラダなんて。

今年もよろしくお願いします。

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