愚慫空論

世界をひとつだと信じる

それでも、私は世界をひとつだと信じている。

世界はばらばらに違いない。そう捉えることから出発するのが良いと考えている。けれども、信じているのは、ひとつ。

考えていることと、信じていることは整合しない。
が、それでいいと思う。

世界はひとつであるに違いないと考え、そのように信じる。この「信じる」は【信じる】である。
世界はばらばらであると考えつつも、ひとつだと信じる。この「信じる」は〈信じる〉。
【信じる】も〈信じる〉も、どちらも「信じる」としか言いようがないけれども、その構えはまるで違う。

【信じる】は、信じていないこととの境は明瞭で頑固。中は空っぽ。そして、境に綻びが生じてしまうと【信じる】ことそのものが崩壊してしまう。
〈信じる〉は、信じていないこととの境が曖昧だけれども、信じていることの中心へ行くほど、〈信じる〉が色濃くなっていくようなイメージ。

世界がばらばらに見えれば見えるほど、世界をひとつに感じる。
ばらばらであるにもかかわらず、ひとつ。
ばらばらであればあるほど、“にもかかわらず”の逆接が大きくなる。

この逆接こそが〈信〉ではないだろうか。

コメント

寒くなりましたね。

こんにちは。
相変わらずの難解な作文で嬉しいです。
なんとな〜くわかるのですが、さて、その「ひとつ」であると信じる「世界」とは何なのかな?とふと思いました。

世界はばらばらであると考えつつも、ひとつだと信じる。この「信じる」は〈信じる〉。

こっちの方がカッコいい♪

粟島は雪が降り出しました

すぺーすのいどさん、アキラさん。

コメントありがとうございます。(^^)

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