愚慫空論

食べ物が美味いのだ。

前記事で忙しいと愚痴をこぼしたけれど、ちょっと落ち着いてきた。仕事の区分がはっきりしてきたし、面倒な書類関係も一段落したし。

で、落ち着いてきたことと平行して、だんだん賄い夫のようになってきたのが今日この頃。毎日毎食、何を食べようか、何を作ろうかと考え、食材の在庫を見ながら頭を悩ましている。

一日の流れはだいたい以下の通り。

3~4時に起床。パソコンに向かって日報や書類の作成。5時に犬の散歩。6時になったら薪ストーブに火を入れて朝食の支度。7時に朝食。8時から牧場へ出かる。以前行っていた厩舎掃除(ボロ取り)は、やってもいいのだけれど、基本的にやらなくてもいいようになった。決して嫌いじゃないんだけど。

8時から10時までは、馬の運動。ぼちぼち馬に乗ったりするようになってきた。まだひとりでは常歩(なみあし)でとぼとぼ歩くだけだけど。上手な人からは、速歩(はやあし)で乗れるようにレッスンを受けている。

10時からは、事務所兼住居でもろもろ。この「もろもろ」に昼食の支度が入ることが多い。他では役所へ出向いたり、電話をしたり、メールをしたり、書類を作成したり。

昼は2時まで休憩で、他の者は牧場へ出かけるのだけれど、私は行かないことが多い。この頃は昼からはあまり仕事をしていなくて、ダラダラ。そして夕食の支度。

食事の支度は、共同生活なので、原則はみんながやる。事実上は、手の空いている者がやる。ここのところ私がやることが多いのだけれど、つまり、その分手が空いているということなのだけれど、実は意識して手を空けている。昼にやるべきことを早朝(というよりまだ夜中だけど)に済ましてしまっている。それは、私がもともと朝型人間だということもあるけれど、別の理由もある。特に朝食については、重点的に作っている。この理由は、別の機会に書いてみることにしよう。


で。島の食べ物。これがバカウマなんだな。島なので魚介類はもちろんなんだけれども、野菜なんかも最高。お呼ばれすることも多く、そういったときは獲れたての魚がずらっと並ぶのだけれど、それだけではなくて、差し入れもいっぱいなんだけど、贅沢なことにさすがにちょっと飽きてきて、こないだコロッケを作ってみた。これまた島で作られ、頂いたジャガイモが山ほどあるので、それを茹でて潰して豚肉とタマネギを炒めたものを少々混ぜて、コロッケの形にして小麦粉をつけて卵を絡めてパン粉をつけて揚げたわけなんだけれども、少ない油で大量に揚げたから油が少々難ありだったわけだが、コロッケそのものは、もう本当にバカウマ。ジャガイモが美味いんだよね。ホント、不思議なくらい。地方(じがた、と呼んで本土のこと。島の人はそう呼ぶ)のものとは、どこか一味違う。

推測するに、島の土壌がいいということもあるのだけれど、やっぱり潮風だろう。海が陸地の作物に何らか影響を及ぼしているのだろう。


ただ、困ったことがひとつ。食べ過ぎである。昨年の今頃に断食をして以来、食事の量が減り、特に朝食をたべなくなり、体重がかなり落ちたのだけれど、現在は自分が朝食を作ることもあって、三食しっかり食べることになってしまった。まだ体重は増えていないけれども。

聞くところによれば、乗馬は非常にエネルギーを使うのか、馬に乗っていると体重が増えるということはないそうなんだけれど。まだ乗るというほど乗れないし。

コメント

なんか

めちゃ、羨ましいなぁ。
ストレンジャーがパラダイスをみつけたようだ。

取り残されたパラダイス...

毒多さん、どうもです。

そうなんです。パラダイスです。まだパラダイスが残っている、という方がいいか。

それは地勢的な条件によるところが大きい。離島だから、取り残されたから。

今、私が接する島の人たちは、粟島にまだパラダイスが残っているということを意識していて、それを保ち守り、次代へと繋げ、発展させていかなければならないと思っている。その筆頭が村長なんだけれど、その志をもとに外部の人間を招き入れ、牧場を作り、しおかぜ留学を始めるという流れになっていて、私もそこにつながったということなんですね。

でも、そう考えない人も島にはたくさんいる。というより、村長派と半村長派で島は二分している、らしい。らしいというのは、伝聞でしかなく、私はまだ直にそうした人とは接していないから。

そういう人々は、島に暮らしていれば当たり前に享受できてしまうパラダイスの価値に気がつかず、島は「発展」しなければならないと考えている。『カンタ! ティモール』にも登場してきていましたよね。そういう「思想」を持つ【善意】の人々。

ストレンジャーは、そうした【善意】と戦う者に転身しつつある、ということかもしれません。

おもしろいねぇ

自分とこのコメ欄も考えたいのだけど、まずこちらから。

なんだか、とても面白そう。って、「闘う」って面倒くさそうなことを面白がっているわけじゃないですよ(笑)
ちょっとまてよ?、愚樵さんは「闘う」ってのを楽しめそうなのかな、爆!!

ワタシが面白いと感じたのは、パラダイスは取り残されたもの、っていうところ。本土の限界集落は人が減ってしまってパラダイスにならずに、離島だからなるのかな、、、とか、、、はたして、取り残されたからパラダイスなのか?とかですね、、、、既にパラダイスは創作しなければできない、ってイメージがあったので、取り残されたゆえに可能性を維持発展させる、、って感じになるのかなぁ? みたいな面白さ。

またまた村長さん(パラダイス推進派)たちは、どこの時点でパラダイスを発展させなければならない、と思ったのだろう? ってのも、聞いてみたい。
というのは、人間は失敗しなければ気づかない生き物のような気がしていて、島の【発展】をねがう【善意】の人々も失敗すれば気付くのかもしれない(もちろん気づかないフリをすることは陥りやすく多数いる、ということは重々承知してますが・・・)、では、村長以下パラダイス派は、失敗をしたのか、しなくても「解って」いたのか、という興味です。

それとね、愚樵さんにとっては「闘う」がネットからリアルに移行したわけですね、しかもその「闘い」は、ここ最近のネット上の議論の象徴になりうる。しかもしかもネット上のような言葉によるロジックでイケイケでは、なんともならない、と想像します。
これは面白い。お手並み拝見、、、、って、やっぱそこを楽しんでいるのかよ、、すみません。

百聞は一見に如かず

毒多さん

闘うことを愉しめなくてはだめだと思っていますよ。

この「愉しむ」は、〈愉しむ〉です。「闘争を愉しむ」というと、【楽しむ】をイメージしがちですけれどね。どす黒い快楽に身を浸す、という。もちろんそっちではなくて、地面に落ちた種が芽を出して、根を張って、徐々に徐々に根を広げ葉を茂らせていく、そういう〈闘争〉であり〈愉しみ〉ですね。いっぱい【毒】も吸い取るだろうけど、そちらは解毒しつつ。

>パラダイスは取り残されたもの

機械文明がこれほど発達する以前は、〈闘争の愉しみ〉の方がデフォルトだったと私は思っているんです、もともとね。文明が発達するにつれて、自然環境との〈闘争〉が必要となくなるのと並行して、人間同士の【闘争】が幅をきかすようになった。教育もそのようなものになって、社会人になるというのは、【闘争】に勝ち残る者ということになってしまった。

ここでいうパラダイスは、闘争のない場所という意味ではなくて、〈闘争の愉しみ〉がある場所。機械文明から取り残されたおかげで、それが色濃く残っているというわけです。

>どこの時点でパラダイスを発展させなければならない、と思ったのだろう? ってのも、聞いてみたい。

直に聞いてみればどうですか? 自分の目で見て、自分の耳で確かめてみればいい。粟島へ来て頂ければ、村長も紹介しますよ。百聞は一見に如かず、です。

また『カンタ! ティモール』の話になりますけどね。大統領が出てきたじゃないですか。昔はティモールは遅れたものだと思っていたと語っていた。あのイメージと少し重なりますね。

自然と闘う

元に戻すと、、
自然と闘うを〈愉しむ〉ことができる、、、、、だから、「食べものが美味いのだ」になるのだろうねぇ。とはいえ、ワタシも素材だけでも美味いを感じている、つもりなんだけど、、、なんとなく自然と闘えるなかでの自然・食べ物を食うってのは食べものとの同化というか、感じたことのない美味さがあるのか、、と妄想して、羨ましいと思える。

そのうち行くつもりだから、今度はある程度長い間、そっちにいてね(笑)

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