愚慫空論

選挙について

11月16日に衆議院が解散。本日4日は、12月16日に行なわれる衆議院選挙の告示日。すなわち、候補者が出揃う。

ツイッターやフェイスブック経由で私のところへ流れ込んでくる情報は、その多くが選挙関連になっている。今回の選挙は前回2009年にも増して大きな意味を持っている。だからもちろん投票には行くつもりでいる。

けれど、もうひとつ選挙に関心のない自分がいる。選挙は私たちの暮らしに大きな影響を及ぼす国家の行方をさゆうするものだから、とてもに大切。でも、もっと大切なものがある。選挙関連の情報に接するたびに、もっと大切なものへと想いを募らせてしまう自分がいる。

そちらについては、最後で少し触れるとして、ここでは今回の国政選挙について、思うところをざっと記してみる。

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選挙の争点は、まず第一に原発。第二に消費税。続いてTPP。主に沖縄の米軍基地問題。中国・韓国との領土問題――といったところだろうか。表向き、というか、第一層。

第二層は、対米従属か否か。体制派か否か。原発推進・消費税増税・賛TPPは、体制派。脱原発・消費税増税反対・反TPPは、アンチ体制派。官僚組織、経済団体、マスメディア等は体制派であり対米従属。沖縄問題・領土問題は第一層への現れ方にバリエーションはあるけれど、第二層の視点で抑えておけばいい。

そして第三層。体制派vsアンチ体制の闘争が顕著に現れたところ。すなわち、一連の小沢問題。

2009年の衆院選で国民が下した政権交代という審判は、一応、アンチ体制の勝利と見ることができよう。「国民の生活が第一」というスローガンは、体制の利益よりも、という意味を含意している。

体制の利益より、国民の生活。高度成長期の日本は、幸いにも、この2つが両立した。しかし、現在は両立しない。経済成長が限界に達したことが明らかだからだ。体制の利益をこれまで通り維持しようとすると、国民の生活が犠牲になってしまう。それは格差問題として現れる。原発、消費税増税、TPP、沖縄問題。いずれも体制派の利益維持のために国民を犠牲にしようというものだ。

2009年民主党を政権交代に導いたのは小沢一郎である。民主政治の順当な流れ行けば、小沢総理大臣だったはず。だが、それを司法が阻んだ。検察・マスメディア・政界を巻き込んだ小沢問題は、結局小沢完全シロで決着がついたが、小沢の動きが阻まれていた3年間の間に2009年に示された国民の審判は完全に反故にされ、そこへ2011年3月11日の震災と原発事故。この災厄を機にさすがの体制派も「国民の生活が第一」へと舵を切るかと思いきや、ますます体制の利益維持の動きが露骨になった。そんな最中での国政選挙が、今回の衆院選。

以上のようにザッと整理をしてみれば、焦点は自ずから明らかだろう。見るべきは第三層である。小沢を敵視してきた体制派に審判を下す。これが此度の選挙の意義だと私はみる。

だから投票すべき筆頭は、小沢率いる「国民の生活が第一」が解党・合流した「日本未来の党」ということになる。ここへ投票するのが体制にもっともダメージが大きいからだ。

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体制にもっともダメージが大きいところへ投票する。これが此度の選挙の意義。そのことが私の選挙への関心を鈍らせている。否定的な意味へ積極的にならねばならない。その態度がもっとも合理的だ。だが、その合理性にカラダが動かない。

否定的な意味へ積極的に身体を動かそうとするには、アタマによってカラダを騙すことが必要になってくる。今回の場合でいうと、「小沢一郎は素晴らしい政治家である。だから応援しよう!」といった類の暗示を掛けること。

小沢一郎が卓越した政治家であるということは、間違いない事実であろう。しかし、「卓越した政治家」だと認識することと「素晴らしい政治家」だと認識することは、似ているようだがまったく違う。「素晴らしい政治家」は必ず「素晴らしい個人」である。「卓越した政治家」は必ずしも「素晴らしい政治家」であるとは限らない。

昨今は、Ustreamなどのネット中継で、小沢一郎個人の姿にもかなり迫ることが出来るようになってきてはいる。そこから小沢一郎個人の「素晴らしさ」は垣間見られる。日本未来の党代表の嘉田滋賀県知事についても同様。体制派を代表する人物たちと比較すると、天と地ほどの差があるのは間違いない。

参政権を行使するのに「卓越」は十分な動機である。だが、それでアタマは動いてもカラダは動かない。選挙であれなんであれ、カラダが動かないものは面白くないのである。

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長年の自民党政権に終止符を打った2009年衆院選は、日本の憲政史上という観点で見れば、革命的出来事だったといって良いはずだ。だが、一部を除き、国民は大して喜びはしなかった。カラダが大して動かなかったからだ。

参政権を行使するのは国民の義務である。まことにごもっとも。けれど、そうした義務感につられて動かしたカラダは鈍いもの。勝利しても大して喜びもしない。だから、自らが下した審判があっさり反故にされてしまうし、反故にされても怒らない、。それ以前に気が付かない。

では、今回はどうか。私自身はあまりカラダが動いていないと感じる。周囲もそういう感触。メディア(マスメディア・ネットメディア)だけが騒いでいる、という感じ。

日本未来の党の結成の、タイミングをみはからった動きは、そうした鈍さに少しは動きをもたらすものになるだろうか。そう期待したいが...

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「国民の生活が第一」が「未来」へと繋がる。その動きそのものはいい。けれど、私からすると、「もっとも大切なこと」が未だ国政や選挙というステージに上ってきていない。それは、生活→未来の線上にあることだけれども。

もっとも大切なこと。それは「生活の質」。

「生活の質」というと、これまでは経済成長を前提とした物質的に豊かな暮らしがイメージされてきた。だが、もはや経済成長が限界に来たことは明らか。豊かな生活を支えた潤沢で安定的なエネルギー資源の供給が限界に来ている。夢のエネルギーであった原発の夢が潰えたというのは、物質的に豊かな暮らしはピークを過ぎた、ということ。すなわち、「生活の質」のイメージが変っていくということ。

生活→未来の線上にあるのは、「生活の質」のイメージの書き換えであり、具体的な暮らしの再建。アタマが追い求める快楽よりも、カラダが感じる愉悦を求める暮らし。それを子どもの聴きながら、再建していくこと。

もっともこの課題は、選挙というステージに乗るかどうかも怪しい。子どもに選挙について聞いてみても、仕方がないから部分がある。せめて子どもに信頼される人物が選挙で選ばれるようになって欲しいが。


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