愚慫空論

『海辺のカフカ』を読んでみた

海辺のカフカ


私はあまり小説は読まない。だから村上春樹もあまり読んでいない。『1Q84』に続いて2冊目。

『1Q84』もそうだったけど、読了するのにずいぶん時間がかかった。たぶん、読み慣れていないからだろう。

面白かった。時間がかかったにも関わらず、途中で投げだそうと思わなかった。早く続きを読みたい、と惹き込まれる感じもなかったけど。

『海辺のカフカ』を読んでみようと思い立った理由。それは「海辺」という言葉に惹かれたから。私自身が山中から海辺へ活動拠点を移すことになるので。今は富士山の山麓にいるわけだけれど、年明けに粟島へ移る。“海辺のキコリ”になってしまうなぁ、と思ったら、そういえば『海辺のカフカ』なんちゅう小説があったな、と思い出して、読んでみようか、となった (^_^;)

取っついた理由はふざけたものだが、結果としては、私にとってはタイムリーな読書になったと思う。

*****

先日、ネット友達だったすぺーすのいどさんが名古屋からわざわざ富士吉田まで、私に会いにやってきてくれた。ツイッターで「粟島へ行く前に会いたかったですね」とメッセージをもらって、「じゃあ、会いましょう。私が名古屋へ行きます」と返したのをきっかけに話が進んで、なぜかすぺーすのいどさんがこちらへ来てくださることになった。

すぺーすのいどさん、どうもありがとう。

で、いろいろな話をしたのだけれど、そのなかに「萌え」についての話もあった。二人ともアニメが好きだったりするので、共通の話題だということもあって。さらに私は安冨チルドレンなので、話は安冨先生の著作へも及ぶことになる。『幻影から脱出』、第四章の「なぜ、世界は発狂したのか」の終盤に「妄想から現実へ」というセンテンスがあって、それに沿った話をした。(あれ? 著書そのものは話題にならなかったかもしれない...)

妄想から現実へ

 本田透さんという作家がいます。いわゆる「萌え」という概念を確立し、世に出した人です。『電波男』(講談社文庫)という本がよく売れたことで知られています。私は彼の著作のいくつかを読んで、その思考の深さと独創性とに感心しました。彼は、現代という狂気に満ちた妄想の時代を打ち破るためには、更なる妄想が必要だ、という興味深い議論を展開しています。

 (略)

本田さんの答は、三次元空間には愛がない、という絶望的なものでした。そして彼が採用した手段は、愛が失われた三次元空間を去って、「萌え男」となって二次元世界に旅立つことでした。しかしそれは、二次元世界に逃避するためではなく、そこで徹底的に愛を「妄想」し、その力によって三次元世界に愛を取り戻す、という崇高な戦略を実現するためなのです。

 (略)

私たちは、妄想の世界に生きています。しかし、核問題と地球環境問題といった、人類の生存そのものを脅かす現実は、それをもはや許してくれません。本田氏のように、妄想に妄想で対抗するのは、私は無理筋だと思っています。妄想によって生じた愛の喪失を回復するには、妄想から醒めなければならないのです。


第四章はここで終わり、第五章の「子どもに聞くこと」へと跳躍する。

すぺーすのいどさんと話をしたのは、「萌え」は跳躍しなければならない。「萌え」というのはまことに絶妙なネーミングで、生命力は外から「燃える」のではなく裡から「萌える」。「萌え」が臨界点を超えれば、妄想から現実への跳躍が起こる。我々のような「萌え」に惹かれる中年男の役割は、子どもたちの「萌え」を臨界点にまで高めることではないか――と、こんなような話だったと思う。

*****

「萌え」の力によって、妄想から現実へと跳躍する。『海辺のカフカ』の構成は、まさにそのようになっている。私の読むところによれば。

主人公田村カフカの妄想への入り口は、「オイディプスの呪い」である。父を殺して母と交わるという、著名な悲劇。カフカは父の元から逃走し、母がいる図書館へと辿り着き、そこで妄想世界へと深沈し始める。夢で父を殺し、母と姉と交わり、さらには時間の止った三次元空間へと潜り込んでいく。

もうひとりの主人公であるナカタさんは、戦争によって、妄想の世界で暮らすことを余儀なくされた人物だ。ナカタさんの猫との会話能力は、「現実的な妄想力」とでもいうべきか。

カフカの父はジョニー・ウォーカー。この名は、もはや陳腐化した「オヤジの憧れ」を意味するのだろうか。ジョニー・ウォーカーは妄想の源である猫を惨殺する者であり、妄想を抑圧する者。妄想を始めなければならない少年カフカは、親父の元から逃げなければならない。抑圧する父性からの逃走。

(猫を魂を集めて作るという笛は、妄想を撃退する武器なのだろうか? 最終盤でカフカの妄想の初期形であるカラスとジョニー・ウォーカーとの対決の場面があるが、そこで笛の効能がそれとなく語られる。)

カフカを妄想へ導く役所の大島さんが、父親にも母親にもなれない存在として設定されているところが興味深い。

ジョニー・ウォーカーは、妄想世界で暮らすナカタさんに殺害され、同時にナカタさんの妄想世界での暮らしも終わる。ナカタさんには、最終ミッションが残される。妄想世界への入り口を開くという役割。

カフカは図書館で母と交わる。図書館とは、象徴界的妄想世界なのだろうか。だとすれば、森は想像界的妄想世界だろう。カフカは、ナカタさんとは異なる形だけれども、戦争によって妄想世界で暮らすことになった兵隊ふたりに、「妄想世界の故郷」とでも呼ぶべき場所へと導かれる。

表面には出てこないが『海辺のカフカ』において、戦争は重要な下地になっているように思う。ナカタさんも兵隊も、戦争被害者である。カフカの父であるジョニー・ウォーカーもそうではなかったか。戦争から生まれた狂気が連鎖して、少年から妄想を奪う。

「妄想世界の故郷」は時間が意味を為さない三次元空間だ。本田氏の妄想が三次元から二次元への逃走であるのに対し、村上春樹の場合は四次元から三次元。しかし、構図は同じだ。

カフカが「故郷」で体験するのは、ささやかではあるが母と子の「暮らし」である。まだ少女である母(佐伯さん)が、カフカに食事を作る。それはカフカの現実世界ではなかったことだ。

妄想を養う母との暮らし。それは戦争によって奪われるものでもある。妄想世界の故郷で暮らしを体験した少年カフカは現実世界へと帰還し、青年カフカへと脱皮する。

最後にカフカは、

でも僕にはまだ生きるということの意味がわからないんだ


という。妄想に生きる少年は生きることの意味を問うことはない。問うのは現実世界に生きる準備が整った青年である。「妄想=萌え=性の発露」が臨界点を突破し、生命力が外へ向かって溢れ出して初めて、意味が生じる。

コメント

お世話になりました。

読んでない本の名前がタイトルだったので、後回しにしてたら私のことが書いてあってビックリ!しましたよ。
その節はお世話になりました。
本当に楽しかったですよ。
なかなかここのコメント欄でするような話をリアルでする機会はないので、テキストと会話じゃまた違う趣もあって、まぁ本当に楽しかったですよ。

いっぱい話しましたが、萌え、の話もしましたねぇ。
萌えはきっと魂の欲求を満たす為の指令というか、エネルギーなんでしょうな。私の中の言葉では「恋」に当たると思っています。異性に対するものだけでなく、モノに対しても感じるような「恋」なのだと思いますよ。

では、愛は?

いや~、すぺーすのいどさん、どうもどうも、です。

「萌え」は「恋」である。うん、ピッタリ来ますね。

では、「愛」にあたる言葉は? 「恋」が実ると「愛」へと熟する。
魂のエネルギーが萌え出して、確固としたエネルギー流通回路が出来上がる状態。これを何と呼べばいいでしょうか?

いえ、われわれ中年オヤジが考えるのは止めておきましょう。そういうのは若者の役割です。

若者たちの中から「愛」に相当する言葉が生まれて出て、世代も国境も越えて行く。
その言葉は、きっと世の中を幸せにしていくに違いありません。

いやいや、我々もですよ。

>では、「愛」にあたる言葉は?

そうですね。
私の言葉で言うと「恋」は「意欲」「やるき」という言い方も出来ると思っています。
そうすると、「愛」は「学び」「成長」といった言葉などで表せると思います。
でも、これじゃちょっと「萌え」ませんなぁ。www

>いえ、われわれ中年オヤジが考えるのは止めておきましょう。

確かにね。
でも、お互いにいろいろ「萌え」て生きていきましょうね。
「萌え」る事に年齢制限は無いですから。www

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