愚慫空論

粟島へ

11月10日から12日、新潟県の粟島へ行ってきた。

粟島へは馬力学会に引き続き、二度目の訪問。今回の訪問の主目的は「あいさつ」である。年明けから粟島へ移住することになるので。単身赴任だけど。

4時半に富士吉田の自宅を出発して、中央道~圏央道~関越道経由で粟島への船が出る岩船港到着が9時半。船は10時発。もともとは11日からの予定だったけど、11日は海が荒れて船がでないかもしれないということで、一日繰り上げ。まだ晩秋だけれども、冬が近いから。冬の日本海が荒れるというのは、常識。

波が3mを超えると止るらしい。当日は2.5mだったということ。けれど、かなり揺れた。どうってことはないだろうと高をくくって図書館から借りてきていた『海辺のカフカ』を読み始めたのだけれど、出航するとすぐそれが無謀な所業だと判明。まわりを見渡すと、皆、べったりと身体を床に横たえている。私もすぐに真似をした。

けど、寝ているのには途中で飽きてデッキへ行く。さらに調子に乗って舳先へまわって写真撮影。波がドッパーンと来る瞬間にシャッターを押すべく何度もトライしていたのはいいが、かなり濡れた。


粟島で私は、「なんちゃら協議会」で雇用されるということになるらしい。「なんちゃら」は長ったらしい名前があるのだけれど、忘れた。業務内容は、「地域おこし事業の教育プログラム推進業務」。「 」の中身は、名目上ということ。中身がなんなのかは、話は聞いてきたし、イメージも出来たけど、具体的には書き表せない。具体的にはこれから考える。「プログラム推進」というのは、要するにそういうこと。

大風呂敷は、粟島全体を学校にしよう、という大それたもの。粟島学校構想。

で、何を学ぶのか。私の勝手な言葉で述べてしまえば、“自分自身を好きになることを学ぶ”

本当は「自分自身を好きになる」なんてことは、わざわざ「学ぶ」ことではないのだけれど。でも、わざわざ「学ぶ」必要がある人は、日本社会にはいっぱいいて。日本社会はシステマチックに「自分を嫌い」な人間を大量生産しているから。それに叛旗を翻す、なんていうとバカバカしく聞えるかもしれないが、そんなバカバカしいことをしなければならない時期に来てしまっている――なにより私自身が。自分の生き方として。

***

今回は、偶然か必然かはわからないけれど、そういう「機縁」がめぐってきたということ。私はそう受け止めている。

前回、馬力学会で粟島を訪問して、島を覆い尽くそうとする葛の勢いを見て、これはヤバイと思ったと同時に、「縁」ができてしまった感じた。正直なところ、私は馬にさほど関心は持っていない。馬力学会の理念――馬に頼って生きてみよう――には、理念として面白いと思うけど、私自身の「生き方」としては、別に馬に頼る必要はないと思うし、今でもそう感じている。

でも、なぜか馬力学会には行ってみたくて、そんなツイートを発したりはしたんだけれども、でも、貧乏人なんで無理だと思っていたら安冨先生が援助してくださって、なんやかんやで「縁」を感じることになった。馬力学会の発起人のひとりである寄田さんにも知り合って、すごい人だと感じ入ったこともあるけど、私自身の「縁」は粟島という場所にあるという感じが強くしていた。

そんな感じがあるところに、粟島で仕事(就職口)が、という情報が届いた。10月の半ばだったか。その日は土曜日で、ちょうどたまたま、高性能林業機械の展示会が近くであって、そうした機械を見学していて、ウンザリしていたところだった。

10月13日の、そのあたりのツイート

いま、高性能林業機械なるものを見てまわっているわけだが。

 

思い出しているのは、馬力学会での安冨先生の話。専門家=ハサミ論。ハサミにどこを切るのかを任せてしまうと、好き勝手に切り刻まれてひどいことになるという話。

こうした「高性能」な機械は、専門家=ハサミ。しかも高価。なので、導入すると、ハサミが効率良く、かつ休みなく働かせるようにしないといけなくなる。その結果は、当然のことながら、森がハサミに都合よく切り刻まれることになる。しかもそれが「環境整備」の名目で行われる。

作業の安全性は間違いなく高まるが。安全で効率のよい「環境整備」が、雇用環境を悪化させつつ進行することになる。

でもなあ。新ピカの新しい機械の「威力」を見ると、「進歩」したような気になるんだよ。遅れた業界だと思い込んでいるから、なおさらね。遅れていることこそ、今の時代では宝なのに。


こんなツイートを発するような気分の所へ粟島の情報が届いて「来たか」と思っていたら、これまた安冨先生から「あれはオマエの仕事だろう」といった内容のメールが届いていて。「ああ、やっぱりそうなんだな」と決意した――。

***

遅れていることこそ、宝。そう認識することと、時計の針を巻き戻そうとすることは同じではない。今の日本社会では「遅れている」と感じることのなかに「大切なもの」がある。「遅れている」は得てして「不足」と捉えられがちだが、そうではないのだ。

11月12日のツイート

日本の田舎の一般的なやり方は「不足」を国からの補助金を引き出すための口実に使うというものだが、この方法こそが田舎をダメにした。「大切なもの」を壊してしまった。

(参照:安冨歩『幻影からの脱出』 第三章『田中角栄主義と原子力』

ここでいう「大切なもの」とは、複雑さの中で安定しているさまざまなもの(自然環境、人間、社会)との良好な関係のこと。今の日本の社会が追い求めるところは、「複雑さの中での安定」ではなくて、「単純さをもとにした効率性」。後者を指して「合理的」と称する。「合理的」の名の下に「複雑さ」を切り捨てて「単純さ」へと置き換え、「複雑さ」を保とうとすることを「遅れている」と感じてしまう。

「複雑さ」を「遅れている」と感じ、社会を上げて「単純さ」を追い求めていった結果、自分自身の居場所を無くしてしまった。自分自身の居場所を無くするようなことをしていて、自分を好きになることなどできるはずがない。

粟島にはそういう「複雑さ」がまだ色濃くある。もちろん、それは粟島だけではない。以前、暮らしていた熊野にもそうした趣はまだ色濃くあった。それに比べると、今、暮らしている山梨はかなり薄いし、「単純さ」への性向が強い。これも「縁」があって移り住んで来たわけだけれども、こんどもまた「縁」があって粟島へ行く。

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まとめ【粟島へ】

11月10日から12日、新潟県の粟島へ行ってきた。粟島へは馬力学会に引き続き、二度目の訪問。今回の

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