愚慫空論

学者の矜持について ~『日本農業への正しい絶望法』を読んでみた

正しい学者が執筆した本。お薦め。


〈有機栽培だからおいしい〉〈日本人の舌は厳しい〉〈農業は成長産業だ〉←全部、ウソです。
「ちょっとでも食や農に興味がある人は読んでおいたほうがいい」

「有機栽培」「規制緩和」「企業の参入」等のキーワードをちりばめて、マスコミ、識者が持て囃す「農業ブーム」は虚妄に満ちている。日本農業は、良い農産物を作る魂を失い、宣伝と演出で誤魔化すハリボテ農業になりつつあるのだから。JAや農水省を悪者にしても事態は解決しない。農家、農地、消費者の惨状に正しく絶望する。そこからしか農業再生はありえないのだ。徹底したリアリズムに基づく激烈なる日本農業論。(新潮社HPより)


本から知識を仕入れることができるのは、当たり前。学者の本ならなおのこと。「正しい学者」の本はそれに加えて、誠実さがある。“仕事”は事に仕えると書くが、何ものかに“仕える”誠実さが滲み出てくる。つまり、本書は学者の仕事の成果。ただし、その成果は、味わうと苦い。

では、著者の神門(ごうど)氏が仕えているのは「事」とはなにか? それは「科学」だろう。

「技術」と「技能」の違いを一口で言えば、「マニュアル化できるか」だ。マニュアルといって多くの人が思い浮かべるのは、電気製品を買うと付いてくる、使い方が細かく書いてある冊子だろう。マニュアルに書いてあるとおりに操作をすれば、製品の仕組みについて特段の知識がなくても、必ずその製品は予定された機能を発揮する(さもなくば不良品だ)。同じことが近代の工場労働でもいえる。労働者には作業手順が微に入り細に入り徹底的にマニュアルとして示され、そのマニュアルに沿って作業をすれば、製品を作ることができる。一般に大量生産の工場では、労働者はマニュアルに忠実に働けばよく、独自の判断や行動は不要だ。新たな技術が生まれれば、それはマニュアルの変更として表現される。
 大量生産の工場と対極をなすのが町工場だ。町工場では、どういう製品をどういう製造過程で作るかについて、大まかな方針はあるが、つねに臨機応変に判断し行動しなくてはならない。この対応能力が技能だ。技能はたぶんに職人技であり、科学知識とともに、試行錯誤の経験によって個人的に獲得しなければならない。(p.78)


添えられた“科学知識とともに”の言葉に、著者の矜持を見る思いがする。

近代社会は科学技術社会で、そこを支えるのはマニュアルである。マニュアルは技術に精通した「科学者」が作成する。科学者が「プライド」を持つのは当然のことだ。それはいい。だが、だからといって技術が万能だと考えるのは、思い上がりだ。

科学も技能も、ともに個人的に獲得しなければならないもの。「個人的に獲得した」というところに矜持があるからこそ、技能への尊敬がある。学者であるからこそ、日本農業を支えていたのが技能であったことを技能者たちよりも知悉している。そして、それが日本農業から失われようとしている現状。その現状把握に基づいて書き上げられた「仕事」が、苦いものになるは必然だ。

その苦さが際立つのが終章。

 耕作技能の崩壊をとめられなかったことについての自責の念に駆られる一方で、きわめて不遜なことだが、マスコミや「識者」から嫌われる真実を知っているというのは、研究者として幸せなのかもしれないと思うときがある。ガリレオでもメンデルでも、同時代人からは理解されずに苦しんだが、彼らしか訴えられない真実を持っていたというのは、研究者としては羨ましい。私は彼らのような偉人ではないが、私だけが訴えられる真実を持っていて、それに対する社会の無理解を体験できるというのは、このチンピラ研究者にはずいぶんぜいたくな経験ではないかと思う。私は干されても構わない。ただし、十一歳年下で生活力のない妻をどうするかが気になる。(p.233)


同じく正しい学者である小出裕章氏を連想させられる独白。専門家同士の原発の安全性についての論争では負けたことがないという小出氏が、いつも最後の聞かされてた台詞が「私にだって生活はあるんだ」だったという。

科学知識であれ、技能であれ「売り物」にならなければ生活が成り立っていかないのは貨幣経済社会の宿命ではあるけれども、それに屈してしまっては矜持など保てはしない。ハリボテの「プライド」を守るしかない。そういった者たちが「識者」であろう。

本書は、類型的な社会論に対する挑戦も秘めている。その挑戦とは、「人間社会の愚かさに詠嘆する」というものだ。私は人間の不正直は責めるが、人間の愚かさ(自堕落になって、すべてを台無しにしてしまうという類のこと)は責めない。自堕落に陥っているのに、あたかも公益や正義であるかのような言動をする人がもしもいれば、私はその人を厳しく詰問する。しかし、自堕落に陥っていると告白する人に対しては、私はわが身に共通する愚かさに、一緒に涙したい。(p.233)


親鸞の悪人正機説を思い浮かべる。

日本農業で耕作技能が衰退していくプロセスは、人間の愚かさの凝縮だ。農地利用の乱れとか、農業政策の地方行政の崩壊とか、消費者の舌の劣化とか、それぞれの問題に、自堕落で大事なものを失うという人間の「粗忽さ」がある。私はそれを批判するのではなく、ありのままに描いて、詠嘆としたい。(p233~244)


現代社会では、こうした「詠嘆」に巡り合うことが出来たというだけでも、幸運というべきかもしれない。


コメント

ども、暇人のsv400s_dracinです

>〈有機栽培だからおいしい〉〈日本人の舌は厳しい〉〈農業は成長産業だ〉←全部、ウソです。

 おもしろそうなので…こーいうキャッチにかるくひっかかります…書名をメモっときます…機会があったら、読みます…内容とは、関係ないですけど…フェイスブック上で「子どものためにと無農薬にこだわり、添加物や着色料を毒と思い、子どもの食べたがるような着色料まみれのお菓子を買うことを禁じ、よその家でお菓子を食べるのも禁止」って、どうよ、つう、話に「無農薬なんて、金持ちの戯言だぜ」とコメントしたので、なんとなく面白いと思いました…馬鹿舌ですし、超偏食の食わず嫌いなので、食にこだわりなんてありません…反原発・脱原発の人は、放射線だけでなく、有機栽培とかも、気にするんでしょうかねぇ…

sv400s_dracinさん、コメントありがとうございます。

ズケズケと言わせてもらいますが、いかにも超偏食なご意見という感じを受けますねぇ。sv400s_dracinさんの場合、そこが「味」だったりするんですが。

無農薬なんて、金持ちの戯言

みんながみんなとは言いませんが、そういう方々は多いのではないでしょうか? 無農薬野菜という「ブランド」を食している方々。カラダが欲しているというより、アタマが欲しているという方々。

私にも理解できない部分があるんですよ。本当にカラダが無農薬野菜のような「ホンモノ」を欲しているなら、なぜ都会なんかで暮らすことができるのか? 都会で暮らしているからこそ、そうしたものを欲するんだという意見もあるでしょうが、そうした意見は、私には「いい訳」に聞えます。

その点、sv400s_dracinさんは「いい訳」はしませんよねぇ。

 偏食のsv400s_dracinが来ました…どんどん、話をずらしてみます

>その点、sv400s_dracinさんは「いい訳」はしませんよねぇ。

 言い訳つうか、私は、田舎暮らしが絶対出来ないという自信があります…歩いてコンビニにいけない場所に住むなんて、想像できません…虫が苦手ですし、両生類も爬虫類もだめ…小動物が全般的にだめなので、ペットで人気のモルモットやハムスターにも触れません…ネズミなんてとんでもないです…動物で触れるのは、猫と犬だけです…大学が田舎だったので、めちゃ苦労しました…でも、田舎なのに、学生時代には、セブンイレブンがあったので本当に助かりました…夏になると、蛾とか、蜻蛉とか大発生するし、蛙が道路一杯に広がるのを見たときは、さぶいぼがぁ…みみずつーうか、うにうにしてる物がだめで、生餌が触れないので、ルアー釣り派なんです…
 馬鹿舌なので、4味(甘味、酸味、塩味、苦味)程度しか、わかりません…生の貝類が食べられません…ウニがだめです…生の甲殻類がだめです(アレルギー)…肉は少量しか食べられません…ファミレスのハンバーグが食べきれませんでした…内臓系は口にするのも嫌です…納豆が食べられません…フォアグラなんて、食う奴の気がしれません…魚卵がダメなので、イクラがだめ、数の子がだめ、キャビアがだめ…コンニャクが嫌い…その他多数…ちなみに殆どの食べ物が大人になってから、食べられなくなりました…食わず嫌いなのかと、何度か、チャレンジしてますが、殆ど例外なく、嘔吐を繰り返すので、ダメージがひどいので、最近は、あきらめてます…
 な偏食ですけど、ぼちぼちやってます…大丈夫なもんです…果物に好き嫌いがないのは、救われているような気がしますが、面倒くさいのと、手がべたつくのが嫌いなので、独身だった頃は、まったく食べませんでした…生活力がまるでないという欠陥だらけなのですが、なんとかなってます… 

粟島でちょっと面白い話が出たんですよ。ニンジンが食べられないという話。

sv400s_dracinさんはニンジン、好きではないですね。私もあまり好きではない。美味しくないから。ニンジンが嫌いなのではなくて、ニンジンらしくないニンジンばかりだから好きじゃない。粟島ではニンジンらしいニンジンをごちそうになったんですが、これは美味しくて、好き。

ニンジンが食べられない話というのは、ニンジンらしいニンジンは食べられないという話だったんです。濃厚にニンジンの風味がするから、ニンジン臭くて食べられない。それは人間関係も同じだ、人間の味がしてしまうから人間関係が取り結べなくなってしまっている。そんな話をしてたんですよ。

食べるというのは、関係を取り結ぶことです。関係の中には良いものも悪いものもあって、悪い関係を取り結んでしまうと、つまり変なものを食べると食あたりを起こしたりする。けど、sv400s_dracinさんだと、良いものも食べられないみたい。

本当に味のあるものを食べるには、「力」が要るみたいです。日本人はそういう「力」をどんどん無くしている。だからsv400s_dracinさんがダメ、というのではない。私とsv400s_dracinさんとの関係に、そんなことは関係ない。ネット上の付き合いですし。ただ、sv400s_dracinさんの身体には「力」がなさそうだと思うだけ。sv400s_dracinさんの身体に「力」があろうがなかろうが、ネット上の私との関係には直接関係はない。

でも、間接的には関係がある。sv400s_dracinさんの身体なくしては、sv400s_dracinさんはいないわけですから。

「力」はないよりある方がいいに決まっています。だから私は、間接的に、sv400s_dracinさんにもそうした「力」が身に付けばいいのにな、と思う。思うが、まあ、お節介ですよね。

このあたりが難しいところ。私は、特にsv400s_dracinさんに限らず、誰もがそうした「力」を身につけた方がいい。身につけるべきだ、と思っています。けれど、お節介はしたくない。嘔吐されても困りますから。「力」がない人に「力」が必要なものを与えるのは、ある意味、イジメになってしまう。自分の「力」を振りかざすことになってしまう。

う〜ん、コメントをどうまとめたらよいかわからなくなってきましたが、やっぱり濃厚なニンジンは美味しいですよ、ということかな。でも、ぼちぼちやるというのも、悪くはないんですよね。ぼちぼちがいいなら、ぼちぼちやってください。そこは私とは行き会わないけど、それはそれなりにおもしろいなぁと思うんですよね。

 で、今頃知ったんですが、粟島へ移住するんですか?…日本海の粟島ですよねぇ…すごいわぁ…一回だけ、すんごーい昔に行ったんですけど…バイクで行こうとしたら、ダメと言われた記憶があります…でフェリー乗り場に置いてった…すげー嫌だった記憶もある…粟島は、ほとんど覚えてないけど、2時間くらい船にゆられたような…船に弱いので、その後はぼろぼろだったと断片的に記憶してる…住むには大変そうです…と田舎暮らしのできない私は思う

>本当に味のあるものを食べるには、「力」が要るみたいです。日本人はそういう「力」をどんどん無くしている。

 理解できます…江戸時代だったら、絶対死んでますし、明治、大正、昭和初期でも、私は生きていけないと思います…幸いにも、現代に生まれたおかげで、そんな偏食でも大丈夫ですが、生物として、何か間違ってるのかも知れません…

…そのくせ、無駄に身体能力があるから、サッカーとか、運動はできるんです…つうか、運動能力しかない…頭が悪い…そーいえば、引退した中田英寿も偏食で有名でしたから、こーいう異質がやっていけるのも、時代のおかげだと思います…

では、この項、終わりです…戯言にお付き合い頂きありがとうございました…粟島移住準備に大変でしょうが、いいことがありますように…

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“愚樵”改め“愚慫”と名乗ることにしました。

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