愚慫空論

『カンタ! ティモール』を観た

映画『カンタ!ティモール』を知ったのは、友人からfacebook経由で招待状が届いたから。


『カンタ!ティモール』は、正式にリリースされたということらしいけれども、一般の映画館でロードショウされてもいなければ、DVD等が販売されているわけでもない。触れる機会は今のところ、各地で企画される自主上映会しかない――かどうか、正確なところはわからないのだけど、そういった状況らしい。

そのような映画を、機縁があって観ることが出来た。私が出会った映画の中で、最高のもの。おそらく。本や音楽を含めて「出会った作品」と範囲を広げても、間違いなく五本の指に入る。洗練された作品なんかでは、決してないのだけれど。

実は昨日は、招待状が届いて見に行くつもりでいたのだけれども、キャンセルしようと思っていた。上映会は午前と午後の2回の予定になっていて、午前は仕事に出て、午後から観に行こうと思っていたのだが、作業の場所が、昼から一人で引き上げるのが難しいようなところだった。映画を一本観るために、仕事を一日休むのももったいない。そう思っていた。

ところが幸いなことに、天気予報が外れて朝から雨。ならば、観に行こう。それが大正解。あれならば、一日仕事を休んで観る価値はあった。けど、そんなのは事前にわからない。だから、これは機縁。

*****

『カンタ!ティモール』は、どのような映画か。他の作品との比較で言うならば、『ガンジー』から受けた印象に近い。ただ、『ガンジー』よりずっと、素朴で力強い。それは映画『ガンジー』と違って、こちらはドキュメンタリーだからというのもあるけれども、それだけではない。文明化したインドと、文字さえ持たない人々との差。文明は素晴らしいものだけれども、反面、私たちから「大切な何か」を奪ってしまった。そのことを思い知らされる映画だ。

マハトマ・ガンジーの偉大さは、言うまでもない。非暴力不服従を掲げて、インドを支配していたイギリスからの独立運動を主導し、勝利を収めた。ガンジーは多くのインド人を目覚めさせて、そのことがインドの独立に結びついた。東ティモールの場合は、非暴力闘争ではなかったのだろう。が、インドのように、偉大な主導者によって目覚めさせられたのではない。人々は初めから目覚めていた。「大切な何か」をずっと忘れずにいた。

だから。『カンタ!ティモール』には、素朴なガンジーがぞろぞろと出てくる。「非暴力」をガンジーのメルクマールとするなら東ティモールの人たちはガンジーではないだろうが、「赦し」がメルクマールなら、立派にガンジーだ。24年間で人口の3分の1を失うという、狂気のような殺りくを受けながら――その最中には、当然、家族や仲間が惨たらしく殺される瞬間を目の当たりにした人、自身も筆舌に尽くし難い扱いを受けた人がいるわけで、そのような人が映画に登場してくるのだけれど、皆、悲しみは抱えていても、恨み、怒りを抱いてはいない。

 「悲しい。いつまでも悲しみは消えない。でもそれは怒りじゃない。」

 「日本、ティモール、インドネシア。みな同じ。
  母一人、父も一人。大地の子ども。
  叩いちゃいけない。怒っちゃいけない。」


    ⇒「Canta! Timor]ストーリー

なぜ、そんなふうに赦すことができるのか。彼らは、「右の頬を打たれれば、左の頬を差し出すべし」などいった「教え」を守っているわけではない。そのように振る舞うのが、彼らにとってはごく自然なこと。文明によって傷つけられた大地が黙々とその傷を癒やすように、彼らもまた、自分たちの傷を自分たちで癒やしていく。その力強さと優しさには、圧倒されてしまう。

『カンタ!ティモール』は、残酷な描写もかなりあるにもかかわらず、悲壮感がほとんどない。笑顔がたくさんある。涙はあっても、観る者の心を掻き立てはしない。むしろ鎮めてくれる。

*****

東ティモールの独立は、軍事的・経済的状況からいえば、インド独立よりも、ベトナムの独立よりも、ずっと奇跡的なものだったようだ。東ティモールに直接手を下したのはインドネシアで、その戦力差も圧倒的。戦争が始まれば一日で制圧できると言われていた。

インドネシアの背景にはアメリカ、そして日本がいた。日本は軍事支援はしないけれど、ODAといった形でインドネシアを支援し、その支援が形を変えてティモールに襲いかかっていた。日本は、ティモール近海で発見された油田からの恩恵を享受するために、インドネシアに協力したのだった。そういったことは、映画ではあまり語られはしないけれども、東ティモールの人々はよく知っているのだという。



映画『カンタ!ティモール』で一つだけ残念なのは、巡り合うチャンスがとても限られていること。体験を誰かとシェアしたいと思っても、その機会が少ない。数少ない自主上映会を探すか、自分で企画するか。なかなかハードルが高い。

既存の映画配給のルートに乗せず、『カンタ!ティモール』を広げていきたいというのは、監督である広田さんの意向だそうだ。その姿勢には大いに賛同する。だが、それにしても、もう少しやり方はないものかと思う。

現状では、『カンタ!ティモール』は「リリース」されていない、と私は考える。「リリース」というのは「手放す」ということだが、現状のやり方は、まったく「手放されて」いないと思う。自主上映という形で、管理されてしまっている。

既存のシステムに対して「リリース」はしない、というのはいい。だが、誰にも「リリース」しないというのはどうか? それが東ティモールの人々から学んできたことなのか? 資本主義というものの呪縛の強さを感じさせられるところだ。

素晴らしい映画だから鑑賞の輪が広がっていくことは間違いないだろうけれども、素晴らしいがゆえにもどかしさを感じるのも事実だ。

コメント

監修はソウルフラワーユニオンの中川敬氏ですね。
「リキサからの贈り物」は9月のライブでも演ってました。
ソウルフラワーは02年に東ティモールでライブやってるんですよね。
私はこの頃中国にいたので知らなかったのですが。
http://www.breast.co.jp/soulflower/sfms/timor/index.html

11/3大阪ですがこの日は行けない。12/8に行けるかな?
愚樵さんの言われることもわかるのですが、今日以降年内だけで21箇所回るようなので、ロックバンドのツアーもしくは全国規模で増殖している反原発抗議行動のようでもあります。
DVDリリースはツアー終了後かもしれませんね。

東ティモールですか。
昔、独立する前に、東ティモール解放戦線のリーダーだったマリアさんという方に、出会ったことがあります。ひめゆり資料館に案内したのですが、生き残りの方と話をされて、自分の体験と同じだとおっしゃってました。インドネシア軍から逃げる途中で、お子さんを2人失ったと聞きました。今(当時)は、オーストリアのダーウィンで、優しい夫と子供たちに囲まれて幸せだとおっしゃっていました。
もう、20年以上も前の事です。その後、悲願の独立がなって、本当に良かったです。今も元気でいらっしゃるでしょうか。

ソウルフラワー

なめぴょんさん

ソウルフラワー。この名を聞いたり目にする機会が多くなってきましたね。

ソウルフラワーは02年に東ティモールでライブやってるんですよね。

そんな話は友人から聞いた憶えがあります。私が初めて「ソウルフラワーユニオン」の名を耳にしたのはその友人からなんですが、そのとき、そんな話をしていたような。当時の私は、ふ~ん、で終わりでしたが...(^_^;)

全国規模で増殖している反原発抗議行動のようでもあります。

私もそう感じます。だから、もどかしく思うんですよ。

自主上映会で映画を観るのは、デモに参加するようなもの。今の方法論は、デモだけということです。が、もう私たちはネット中継のおかげで、デモの現場へは行けなくても、参加する方法を手に入れてしまった。

それともうひとつは、繰り返しみることが難しいということ。『カンタ!ティモール』のメッセージを自身の血肉としたいと思っても、そのハードルが高い。

もっとも。現在の自主上映の方法論を、既存の映画配給システムの「封切り」にあたると考えていて、その後、DVDなりの販売(になるかどうかはわかりませんが)に進むというのなら、それはそれでいいと思いますけど。

いずれにせよ、新しい試みをされているのだと思ってはいます。

naokoさん

・naokoさん

『カンタ!ティモール』、ぜひご覧になってみてください。
「沖縄の心」と深く通じるものがあると思います。

自主上映会スケジュールに、沖縄で開催予定のものもあります。
http://cantatimor.blog83.fc2.com/

明日の夕方6時半〜で、場所は泊埠頭前ですね。行けない場所ではないけど、残念ながら、時間帯が厳しいです。夕方からが本格的に忙しいもので。今回は見送るしかないみたいです。もしもいずれDVDが出たならぜひ購入したいですね。
それにしても定員20人ですかあ。愚樵さんがおっしゃるように、あんまり見せたくないっていう感じにも見えちゃいますね。もしその作品『カンタ!ティモール』が、愚樵さんのお勧め通りの名作なら、もったいない話です。沖縄でいうなら、せめて「ホテル・ルワンダ」や「白バラの祈り」を上映した「桜坂映画館」レベルのちゃんとした劇場で、せめて数日間は上映して欲しいなあ。

そうかですか、残念。

あんまり見せたくないっていう感じにも見えちゃいますね

そんなつもりはないのでしょうけど、そう見えてしまうんですよね。見たいと思って動こうとすると、すごく高いコストを支払わなければならない。私も再度見たいと思っているんですけど、時間的、金銭的にしんどいです。

日本は、ティモールあたりと違って、何をするにもお金がかかるところ。山梨で自主上映を企画した人に尋ねたら、上映費として一人あたり500円なんだそうです。それに経費を加えて入場料は1000円でしたけど、主催者は間違いなく赤字。

自主上映会を企画した人たちからしてみれば、そうした赤字を厭わないほど、この映画を応援したいのでしょう。その気持ちはわかります。でも、今のやり方ではそうした志をもった人々とに負担を強いる。一人500円だから安いですと、と主催者は言っていたし、監督もそのような認識なんだろうけど、社会の仕組みがまったくわかっていない。実はとってもお高い映画なんですよ、この映画は。

ご報告まで。

戻ってきたわけでは、ないのですが。

観て来ましたよ。

レオナール・スアレス(レオ)が、メタリカのバンドT着てましたね。聴いてるんですかね、メタリカ。
ヘルデール・アレクシオ・ロペス(アレックス)の歌と、どちらが好きなんだろう?

それにしても、子供たち、わらわら寄り集まってよく踊りよく歌いますよね。
幼少時を思い返すと、田舎では自分も遊び仲間たちもあんな風に歌ったり踊ったりしなかったな。歌や踊りってのは学校でやらされるもので、どちらかと言えば「恥ずかしい」ものでした。
先日『スマスマ』をぼんやり観ていたら、ゲストの近藤真彦が、自分がジャニーズに入った頃は男が踊るってのに抵抗があってダンスのレッスンが嫌いでとか言っていましたが、その感覚はよく解ります。まあ私や近藤の言う「踊り・ダンス」と「テベ」は異質なものですけど、どちらにせよ歌や踊りがコミュニティにあまり根付いてはいませんでした。

それから私が行った会場は観客の大半がわりと若い年代の女で、彼女らがこの映画を観て「自分もこういう環境=コミュニティの中で子供を産んで育てたい」と思ったのか、それとも「数奇な運命に翻弄された遠い国の心清らかな民の物語」と思ったのか、ちょっと訊いてみたい気持ちになりました。
終映後に観客のひとりが「ほとんど神みたい」と話していましたよ。
東ティモールの人々を「神」のように感じたということでしょうが、それは例えばインドネシア軍の兵士たちを「人非人」と呼ぶのとあまり変わらない気もします。

私はどうだろう。東ティモールの人々/インドネシア軍の兵士、多分そのどちらにもなれる。そう思いました。
育てるよりも破壊する方が容易い分だけ、インドネシア軍の兵士になる方が簡単かもしれないね。
あ、また自分語り。

ということで、愚樵さんがブログでご紹介くださったおかげで、色々考えるきっかけとなる映画を観られました。
お礼に代えてのコメントでした。どうも、ありがとう。

……ひとつだけ、疑問があります。
インドネシア軍は、何故東ティモールの人々を弾圧し蹂躙する代わりに、森を全て焼き払わなかったのだろうか?
人間は直接与えられる苦痛に対しては、なかなか折れない。心を潰すには信じているもの・拠り所とするものを根こそぎ消し去る方が効果的でしょう。
なぜそうしなかったのか? 知恵が回らなかったのか?

・平行連晶さん。ご報告ありがとうございます。(^o^)

最後の疑問にだけ、答えておきます。推測ですけど。

インドネシアが気にしていたのは国際世論でしょう。なるべく国際世論からは見えない形で「合法的」に東ティモールを併合したかった。

アメリカのように我が儘に振る舞える国は、今の国際社会ではそうそうありません。ティモールへの侵略戦争だって、軍資金は、直接ではないにせよ、主に日本のODAから出ていた。そうした状況で、森を焼き、「非合法」が国際世論から可視化されてしまうと、インドネシアにとって都合の悪いことが起きる。

そういったことを「考慮」してのことだったのではないでしょうか。

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まとめ【『カンタ! ティモー】

映画『カンタ!ティモール』を知ったのは、友人からfacebook経由で招待状が届いたから。『カンタ!ティモ

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