愚慫空論

魂と霊のイメージ

似たようなことは以前も書いたような気がするけれども。

〈魂〉のイメージで最初に思い浮かぶのは「トーラス」である。
せいめいのはなし

 変わることで変わらない

福岡 経済と同様に、回していた貝が価値を持ち始めるということが、生命現象の中にも起こっています。それは、私たちが呼吸で吐いて出す二酸化炭素が、いまや取引の材料になっていることでも言えますよね。二酸化炭素自体が価値を持ってしまっているのだから。
 二酸化炭素は別に悪者でも何でもなく、私たちが次の生命に手渡すための「貝」なわけです。しかも、グルグル回していく呼吸の産物であって、最後に吸収してくれるのは植物しかない。植物には太陽のエネルギーを利用して水と二酸化炭素で光合成を行なってエネルギーを作り、それを次の生物に渡す形に変えてくれる。だからこそグルグル回っていき、ついにはそれが私たちの体の中を回るようになる。回っていることに生きる意味があるのだと内田先生はおっしゃいましたけど、それは生物学でもその通りなのです。回すことに意義がある。
 20世紀の生物学はずっと細胞の様子を観察してきました。どうやって細胞は遺伝子を作り、タンパク質を合成するのかという、細胞のもの作りをずっと調べていた。
 ところが、ここ10年の間に生物学が注目しているのは、作り出すことではなくて、壊すことのほうに、細胞がずっとたくさんのエネルギーを費やしているということなんです。
 タンパク質を作り出す方法は非常に精妙で、素晴らしいのですが、たった1通りしかない。なのに、壊す方法は、私たちがいま知っているだけでも10通り以上あり、それ以上あるかもしれない。細胞の中のタンパク質が酸化したり変性したりして、使いものにならなくなったから壊しているのではなくて、できた端からどんどん壊しているのです。新品同様でも何でもかんでも壊していく。
 一生懸命に壊すのは、壊さないと新しいものが作れないからです。それから、壊すことによって捨てるものがあるからです。細胞の内部にたまるエントロピーを捨てているのです。宇宙の大原則はエントロピー増大の法則というものに支配しされています。エントロピー増大の法則とは、秩序あるものを秩序なきものにしようとする動きで、その動きの方向にしか時間が流れない。エントロピーは、正確には物理学的なプロセスとして、物質の拡散が均一なランダム状態を目指すことですが、無秩序あるいは乱雑さの尺度といってもよく、一生懸命に机の上を整理整頓しても、2、3日でグチャグチャになってしまう場合にも仕えます。入れたてのコーヒーもぬるくなるし、熱々の恋愛も冷めてしまう(笑)。
 じゃあ、それに抵抗するにはどうすればいいか。頑丈に作ればいい――これは工学的な発想です。頑丈に作ってもやはりダメなものはダメになってしまう。そこで発想が逆転するわけです。生命現象は、細胞を頑丈に作るのをやめて、ユルユル、ヤワヤワに作ってグルグル回す方向を選んでいきます。それが唯一の変わらない方法だった。「変わることが変わらない方法だ」として採用したのです。


作って壊してグルグル回して変わらない、生命の営み。その中核にあるもの――かどうかはわからないけれども、仮にあるとするなら――を〈魂〉と呼ぶのに違和感はなかろう。グルグル回る流れの「ゼロポイント」だと言ってもいい。

が、ここでは「渦巻き」のイメージでいくことにしたい。なぜかというと、「トーラス」では完結しすぎていて、イメージが発展しないから。


さて、次に、〈霊〉のイメージ。私はこちらも、「トーラス」ないしは「渦巻き」だと思っている。〈魂〉と〈霊〉は、どちらも似たようなイメージであるのは、もともとのイメージが同じだからという身も蓋もない話(トートロジーとも言う?)である。ただし、違いはある。それは、〈魂〉が主だとすると、〈霊〉は副。〈魂〉の渦に応じて副次的に発生する渦が〈霊〉。

   
(右図は、比較のために『ハラスメントは連鎖する』より借用。)


イメージを膨らせてみよう。

〈魂〉という主渦は、個体として自然界のなかで生存する、私たち自身の在りよう。ゆえに、生まれたばかりの赤ん坊であろうが、成人した大人であろうが、等しく持つもの。対して、副渦である〈霊〉は、人間として成長し「インターフェイス」を発達させるようになるまで、持つことができない。〈霊〉にとって、インターフェイスは必須条件。

「インターフェイス」が発達することで、人間は外界の対象を認識することが出来るようになる。対象を感覚すると、そこに〈霊〉が発生する。〈魂〉は〈霊〉を認識する。


〈魂〉による〈霊〉の認識は、基本的に「学習」であるが、そうでない場合もある(後述)。

〈霊〉の基本的な役割は〈魂〉に対しての「補佐官」のようなもの。そして、近代人の〈霊〉には、「首席補佐官」のというべきものが存在する。それが「自我」と呼ばれるもの。【自我】は自身の身体を「外部対象」として感覚することから生じる。

(本来的に言えば、自身の身体が外部のはずはない。しかし、頭脳-意志を「主」だと考えてしまうと、意志に従って動く身体が「従」だと位置づけられることはあり得るし、実際にある。ここでいう「従」は、頭脳にとっては「外部」である。)

(頭脳が「主」となる意識構造は、主語―述語からなる言語構造の影響も大きいだろう。)



(上図は河合隼雄著『無意識の構造』より、参考に)


「自我」が確立した人間にとって、「認識」とは、「自我」と他の〈霊〉との間の関係性のことを指す。

〈魂〉と〈霊〉との関係は双方向、つまりフィードバックがある「学習」であるのに対して、首席補佐官たる【自我】と、副補佐官である他の〈霊〉との関係は一方向。【自我】は他の〈霊〉を整理・区分し、支配下に置く。【自我】の支配下に置かれ、命令を受けるようになった〈霊〉は、〈魂〉との関係性を断たれ、【悪霊】へと変質する。

下図は、【悪霊】の構造 。

(深尾葉子著『魂の脱植民地化とは何か』より借用。)

A~Eは、それぞれ〈霊〉に相当する。外部対象を感覚することで生じた〈霊〉が「知識」として【自我】に認識され、行動/役割/人格が、【自我】の都合の良いように〈霊〉に対して命令という形で伝達される。

ここで再度、〈魂〉や〈霊〉を「渦巻き」とイメージしたところへ立ち戻ろう。人間はインターフェイスのなかに、複数の渦巻きを発生させる。渦巻き同士は、互いに相互干渉して、その流れを強化していくこともあれば、互いに流れを阻害しあって弱体化させることもある。

「学習」とは、互いにその流れを強め合う場合。「学習」の起こらない「断絶」は、渦の相互干渉が互いの力を弱め会う、もしくは、主たる渦である〈魂〉の流れを弱めてしまう場合を指す。

「副」であるはずの渦(【自我】【悪霊】)が、主である〈魂〉を圧倒し、〈魂〉の渦を消し去ってしまうケース――自殺――もある。

以上、漠然としたイメージを綴ってみた。

コメント

また本からの話で申し訳ないのですが。

以前読んだクマムシに関する本に書いてあった話です。

緩歩類に属するクマムシの仲間はクリプトビオシス(乾眠)という状態を取ることがあります。
これは体内の水分を放出し樽型に変形することで、乾燥・冷温・高温などに対して強靭な耐性を確保するもので、ほとんど代謝機能を停止させてしまいます。
従来は環境の悪化に対応するための手段だと考えられてきました。まあ窮余の策・緊急避難といったところでしょうか。

しかし、この本の著者であるクマムシの研究者が観察したところでは、クマムシは生息環境が良好でも、わざわざ乾燥した場所に移動してクリプトビオシスに入るケースがあるそうです。
理由は不明ですが、あたかも自ら好んで、自ら欲して代謝を止めているかのように見えるらしい。

僅かな例を引いて疑義を唱えることは如何なものかとも思いますが、
>回っていることに生きる意味がある
…生命活動が行われているという現象を切り出してこのように述べることは可能でしょうが、生命体それ自体を見つめた場合、「回っている」という状態は、やはりひとつの局面に過ぎないのではないかという気がします。

樽型になっていても、クマムシは死んでいるわけではありません。まあ「生命体」の捉え方の問題かもしれませんが。愚樵さんが「回っている」ことに強くこだわっていることは理解できます。

回っているのは、宇宙

これは、平行連晶さんの誤読でしょう。生命を切り取って捉えておられる。

宇宙の大原則はエントロピー増大の法則というものに支配しされています。エントロピー増大の法則とは、秩序あるものを秩序なきものにしようとする動きで、その動きの方向にしか時間が流れない。

回っているのは生命だけではない。宇宙全体が回っている。なぜ、そうなるのかは誰もわかりません。ただ、そうなのだとしか言いようがない、科学的にそれ以上説明することができない法則です。

生命というのは、「回っている」なかの一部が自己組織化したもの。大気の大きな循環のなかで、何かの弾みで竜巻が発生することがあるが、生命もそのようなもの。竜巻が形を保つには、竜巻を形成している大気以上に、大きく回らなければならない。そうでないと、秩序(散逸構造)を維持できない。

クマムシのクリプトビオシス(乾眠)とて、環境の大きな循環よりは、速く回っているはず。環境の循環と流れの速度が一致する(静的平衡)ということは「死」と呼ばれる現象。死でない以上は、静的平衡よりダイナミックな動的平衡を保っている。つまり、クリプトビオシス(乾眠)の方が一局面。

もっとも、クマムシの場合。強固な殻を被ることで、内部環境を外部環境よりも変化の遅いものに保っているということはあるでしょう。が、その内部環境も、生命からすれば環境でしかない。

生命とその環境は、切り離して捉えることはできないものです。

意志ではなく

読んでいて思うのは、そも、「頭」で考えてする「行動(発話)」を「魂」とするのではなく、気づかぬうちにやっていることを「魂」と呼ぶのが相応しいのかもしれませんね。「意志」というよりも「やらずにいられない」というもの、気づいたら「身体」が動いていた、といった類のもの。
知らず知らずうちに「身体」を動かしているのが「魂」で、その「魂」に働きかけるのが「霊」という解釈でしょうか? それでもって「頭」経由で「身体」をうごかそうとすると、「魂」に蓋がされる、、、と言ったところか。


魔法少女でいくと「さやか」「ほむら」「きょうこ」の契約は「頭」経由だったのか、「魂」のうごきだったのか、「まどか」はどうだろうか? と考えるのは面白いし、感情のないキュウベイの言葉からすると、「魂」の発露には「感情」も関与しているのだろうなぁ、とか、いずれにしろ面白いアニメです。

誤読。

誤読。それはいうまでもなく誤読です。私は生まれてから多分一度も正しく物を読み取ったことがない。
誤読しかしたことがないですから。

>宇宙の大原則はエントロピー増大の法則というものに支配しされています。エントロピー増大の法則とは、秩序あるものを秩序なきものにしようとする動きで、その動きの方向にしか時間が流れない。

時間、エントロピー。

いずれも人間の知覚・知性がそのように宇宙を捉えている。
人間の知覚・知性の性向がそのように把握しているものである。その捉え自体が局面的なものから逃れ得ないのでは?という疑義です。
宇宙を、あるいは生命を回っていると捉える(ことしかできない)のが人間であり、その回っている宇宙になぞらえて例えば経済について論じるのが、人間の知性(とその乗り越えられない限界)というものではないかという、ただそれだけの疑義です。

私が面白いのは、クマムシがクリプトビオシスという状態になることではなく、前のコメントで強調したように、「自ら欲して」そうしているように見える、ということです。ウラナミシジミの北上行動なども、同じです。

アタマはカラダに0.5秒遅れる

・毒多さん

脳科学の教えるところによりますと、実は、人間は、自分自身で思い込んでいるほど自由ではないらしい。ここでいう「自由」とは、自分の意志によって行動しているという意味ですね。

例えば。椅子に立ち上がろうとする動作をするとします。我々の思い込みによれば、まず、自由意志による「立ち上がろう!」とする意志決定があって、しかる後に、脳が身体の筋肉に命令を下し、筋肉が動き出し、立ち上がるという動作が実現される――という手順になるはず。

ところが、実際に観測されるところは、「立ち上がる」という意志決定に先んじて、もう身体は動き出している。動作開始は意志決定に0.5秒先んじて起こっている。

ということは。実は、意志決定は意志決定ではない、ということ。決定は単なる確認でしかない、ということです。

少し話は飛びますが。野口整体によると、人間の体は「自働運動」には自働運動というものがあるんですね。意識をある状態に導いてやると、勝手に体が動き出すという現象が起こる。これは事実なんです。

その事実と意志決定は実は遅れているんだという事実とを組み合わせると、導き出される考えは、実は脳は身体を発動させているのではなくて、抑止・制御しているに過ぎない。身体のデフォルトは「静」ではなくて「動」であり、意識が“弁”を開くと、開いた部分が動き出す。この“弁”の解放を、意識は「決定」という形で認識する。そういう考えが出てくる。

じゃあ、魂とはなんぞや? 上の考えに沿って言うならば、身体の自働運動とそれを制御している無意識の脳の働きあたりを指して、「魂の作動」ということになるのではないか?

まどか、からエヴァ へ

すごい、すごい、笑
身体が意志によって動いているんでなくて、意志はむしろ「制御」とは、、。
今度は、まどか、じゃなくて、エヴァですねぇ。
覚醒です。あれは、外部から内をまもる「装甲板」ではなくて、「覚醒」を防ぐ「拘束具」だった。
・・・(近代)社会におけるシステムってのは、魂の覚醒を防ぐ「拘束“蓋”」ってか?
「拘束蓋」は個々の魂の覚醒から社会を護るものであるとともに、個々の生活を護るものと言える。
個々の魂の覚醒のパワーは恐ろしくもある、個の身体を危険にさらすこともある。
「拘束」が当たり前な現在「拘束」の存在に麻痺していることに気づくのもは大切だろうが、次の段階では、魂の赴くまま覚醒するなら、その制御・コントロールも必要なのか?
コントロールをするのが他者であってはならないということだろう。



いつのまに?

・毒多さん

いつのまに、『エヴァンゲリオン』をクリアしたんですか? そういう話は聞いていませんけど? 聞き漏らしたか、聞いていたけど忘れたのか? まあ、どうでもいい話だけどw

(近代)社会におけるシステムってのは、魂の覚醒を防ぐ「拘束“蓋”」ってか?

この発想は秀逸! まさに。

魂の赴くまま覚醒するなら、その制御・コントロールも必要なのか?

平行連晶さんとのやりとりに話を繋げますとね。人間は、デフォルトで呪われた存在だということ。

「未完成の状態でこの世に誕生してくるヒトは、人間からの祝福を必要としている。祝福が得られなければ、ヒトは人間にはなれない。祝福の不足分は、呪いになる。」

呪われた魂だから、暴走しないように、コントロールが必要になる。コントロール不要な、満ち足りた魂を養うには、誕生してから3年という期間が必要だ――と、指摘したのは孔子。「三年之孝」ですね。

ずっとむかし

エバァはブログをはじめるずっと前に観ていました。12年以上前ですね。まあ観た当時もリアルテレビ放送からすると周回遅れだったんですけどね、笑

>満ち足りた魂を養う
誕生から3年は、0から3年ということですね。近代社会のシステムで安定している状態はマイナス100かな? 社会運動家はマイナス150になるのか、、、いずれにしても、【思考】して蓋を剥がすのは無理ですね。

毒多さん、横からすいません。

>社会運動家はマイナス150になるのか

社会運動には警報の役割があると思います。
ただし「社会運動家的な」社会運動にとって、啓蒙の機能は既に果たせなくなっていると思います。

例えば某ブログでは、公民教育・人権教育の徹底を謳っていますが、世界の一面であるテクノロジーとの関わりひとつとっても、公民や人権という概念は現今のテクノロジーに取り残されています。
彼らは、「蒙」を「啓」こうとしますが、その前提である「蒙」を把握することにすら難渋している。
産業革命が興ったころの「蒙」と今日の「蒙」は全く様相が異なります。
愚樵さんは本気で、その「蒙」の何たるかを掴むところから始めようとしているわけでしょう。おそらく。

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