愚慫空論

―草木虫魚のいのり―

日本経済新聞9月12日の記事。


勘弁してやって欲しい。希望を与えてくれた木に、こんな無残な仕打ちをすることは。希望を「ゾンビ」にしてまでも、なお、希望に縋り付きたいのか。

よしこさんのツイート

これは何。最初、目を疑った。木が、そのまま死んで自然に還ることも許されず処刑されている。9分割され幹の芯をくり抜かれる。3.11以後の日本政府の行動の象徴してる。


同感。付け加えるならば、この「一本松ゾンビ」は、日本政府のみならず、“がんばろう福島”や“絆”のスローガンに呼応してしまう人々。原発がなくなれば経済が立ちゆかなくなると声高に主張する知識人。「何か」を喪失した日本人の姿の象徴でもある。

その「何か」とは、なにか。「魂」と呼ぶに相応しいもの。目に見えない、私たちの心の裡にあるはずの、神秘としか言いようがないもの。目に見えないものを感じる力を失ったがために、希望を、それがたとえ「ゾンビ」であっても、目に見えるかたちにしなければ不安で仕方がない人々。

***


この本の冒頭に配置されているのは、「序章 供養――死者と向き合う」。

その序章に、カキの養殖家畠山重篤さんの言葉が採り上げられている。「森は海の恋人」という言葉を聞いたことがあるだろうが、畠山さんは、その言葉を掲げて、仲間とともに山に落葉広葉樹を植えた漁師として全国的に知らた人。森と川と海は一体的な世界であり、よい森とよい川が漁場としても歌かな海をつくっているということを、その活動をとおして明らかにしてきた人。

その畠山さんも津波で被災。

 津波からまだ何日もたたない頃、畠山さんは「それでも海を信じ、海とともに生きる」というメッセージを出した。おそらく、津波との折り合いがついたのであろう。もちろん、折り合いなどついているはずがない。多くの漁師仲間も町の人たちも亡くなった。お母さんは津波にのまれた。海辺の集落も消え、彼の養殖施設も崩壊した。どう考えても折り合いがつくような事態ではない。
 しかし、と私は思う。どこかで折り合いがついたのだ。そうでなければ、「これからも海を信じて生きる」というメッセージが発せられるはずがない。
 とすると、どこで折り合いがついたのか。おそらく、魂の次元でだ。海とともに生きてきた、そして自然とともに生きてきた漁師の魂がそう言わせ、そう感じさせているのだろう。


 自然の災禍からの再出発とは、おそらくはこういうことなのである。知性から苦しさや困難性がみえていても、生命それ自体は、すなわち魂はもう一度海とともに生きる決断をしている。そしてそうえあるなら、すでに再建に向けた歩みははじまっている。
 大きな災禍からの復旧、復興への歩みがはじまるとすれば、その出発点にあるのは、魂の諒解、魂の次元での折り合いではないのだろうか。


ゾンビとなって甦るであろう「奇跡の一本松」に、果たして魂はあるのか。感じることができるのか。

 そして、だからこそ原発事故という文明の災禍は大変なのである。はたしてこの問題において、魂の次元で折り合いや諒解はありうるのだろうか。畠山さんは「それでも海を信じて生きる」というメッセージを発したけれども、もしも、「それでも原発を信じて被曝地で生きる」と言う人がいたら、私たちはその浅はかさに驚嘆するしかない。ここでは魂というような次元のことが、全く通用しないのである。危険なものは、知性の力で科学的に考えて危険だと言うしかない。この問題に関する限り、魂の諒解が介入する余地さえない。


魂がないはずの「ゾンビ」になおも希望を見出そうとする浅ましさ。魂の次元とは完全に別の次元で作動する原発に、事故後もなおすがろうとする浅ましさ。これら2つは、同じ次元にいるのだと、私には感じられてしまう。

****

魂とは無関係の次元で展開する社会を「告発」した、マイケル・ジャクソン。



*****

内山さんは続けて、次のように言う。

 欧米の世界においては、社会とは生きている人間の社会のことである。もちろんその背後には神がいるのかもしれないが、その神はこの世界を創造した神であり、いわば社会の上に超越的に存在している神である。
 ところが日本の伝統的な社会観はそれとは違う。社会とは自然と人間の社会であり、生者と死者の社会であった。社会の構成メンバーのなかに、自然と死者がふくまれていた。自然とともに社会をつくり、死者とともに社会をつくるのが伝統的な発想である。


「魂の次元」からみてみれば、生者も死者も自然も、同じじ次元の存在であるということだ。そして、社会の中で魂は、神秘でありながら、かつ、なくてはならない機能を果たしている。社会にまんべんなく魂は行き渡っていると捉えられている。だから「八百万の神」であり「山川草木悉皆成仏」。

しかし、欧米の世界観からすれば、我々が感じる「魂の次元」は「神の次元」となり、社会からは超越している。魂がなくとも、社会の構成要素たりうる。欧米流の人間社会には、もともと魂は存在しない。近代社会とは、キリスト教によって社会から「魂の次元」が排除されたからこそ成立した。

 ⇒『オカルトへの情熱vsアンチ・オカルトへの情熱』

ビデオニュース・ドットコム第564回より、宮台真司氏の発言。

ところで、今申し上げたハーバマスという人と共著を出した現教皇のグレゴリウス十六世、ヨセフ・ラツィンガーという人ですけど、彼がね、最近著でこういうことをいってるんですね。

「キリスト教は、従来の宗教とは違って、社会の人間化をもたらした。社会を作るのは人間である。神は社会を作らない。神が登場するのは裁きの時。」

というふうにして人間化をもたらしたことで近代社会が実現できた、社会学者の多くもそのようにいっている、それはおそらくそうなのだろう、と。ここで彼は面白いことを言っている。

「しかし、自分たちが自分たちの社会を作れるというときにこそ、人間は自分自身と向き合うことを要求される。私たちが自分自身と向き合うことが出来るのは、社会を人間化したからで、これはひとつの試練なんだ」

という言い方をしている。つまり、キリスト教的なものがさまざまな呪術から人を解放したり、戒律から人を解放しなければ、人はいつも神に向き合って自分自身には向き合わなかったけれど、人は神から解放され、簡単にいえば「人間であること」のみに根拠をおいて社会をつくれるようになった結果、実は他方でいろいろな暴走をもたらしていて、他方で自分と向き合うことができるようになった。これは不可逆なプロセスなので、おそらく彼が言いたいのは、自分に向き合うことを通じて僕たちの社会が人間的に作られてしまっているということがもたらしがちな、暴力、災厄をなんとかコントロールしましょうというニュアンスだと思うんですね。


近代的な世界観からすれば、「魂の次元」の作動からくる祈りや作法は、自由な人間性を阻害する呪術や戒律として捉えられてしまう。

******

だからといって、近代は全否定されるべきものだとは、私は思わない。それは、それぞれに引き継いできた文化的伝統の問題であり、ひいては諒解の「型」の問題だ。

「神の次元」を背景に社会を人間化し、その結果、自分自身と向き合う道を進むことが必要となる「型」。この「型」からも、3・11後のドイツの倫理委員会の決定に見られるように、原発は民主主義に適合しないとして、廃止を決定されることになる。

だが、私たちの「型」は、それとは異なる。問題は、私たちが、人間の社会の背後にあるはずの「(超越)神の次元」を諒解できるかどうか。それは「折り合い」ではなく、「信仰」という「型」になる。

端的に言えば、全知全能で、世界を創造した神の存在を信じ、それに帰依することができるかどうか。

私自身は、できないと同時に、する必要がないと思っている。できる人を尊敬すると同時に、する必要がない自身に誇りを感じる。「私は日本人である」と。

*******

であるからこそ、「草木虫魚のいのり」に心が動く。魂に響くものを感じる。



神秘と感じるわたしがいなければ、世界に神秘はありはしない。世界そのものがない。アニミズムの経済学とは、収奪ではなく共生の、贈与の経済学今から今へと時は移ってゆく。 ここからそこへではなく、ここからここへと移ってゆく。私が宇宙の中心であり、あなたが宇宙の中心なのだ


贈与の経済学は魂の経済学であるはずだと、私は考える。生命は、それぞれが個々に最適発現し、それがそのまま生態系の均衡発現になっている。 

*******

例によって引用だらけの記事を、最後は『未来への舟』からの引用で閉じることにする。

魂としての葬送

葬送の歴史は、人類の起源にまでさかのぼるのかもしれない。
人の逝去において、その魂を彼岸へと見送って、神や仏に救いとられるように導き、あるいは神上がりとしてお祝いしようとする。
そこには生死を超えた魂とこの世ならざる彼岸というものがあらかじめ想定されている。
まこと人類は、死をもって、人となったのかもしれない。おそらく、多分そうなのだろう。

死の自覚が、人をして、魂を自覚させ、彼岸への想いを起こさせたのだ。魂であるわたしがここにいる、と。
そして魂であるわたしは、(太陽が没して、再び生まれ来るように)死を超えて、永遠である。そうでないはずはない。もし世界が巡り還るものでないならば、このような世界はありえないだろうと。魂のエコロジカルな循環である。
そう、(非実体的な)魂としてのわたしであるからには、(魂に境界はなく)わたしは宇宙のすべてであって、円融(互いに含み合い、融け合い)しながら、時間と空間を超えて、永遠性を生きている。

いのちが(この身から)羽ばたいていく――それはとても自然なこと。死を受け入れていく文明が問われている。


コメント

雑感。

最初にこの記事を見たときは「トーテムポール」を作りたいのかな、という印象でした。
けれどもトーテムポールはネイティブアメリカンにとって「建立することに意義があり、保存や維持修復することには意義はないと考え、ゆえに、自然に朽ちはて、その地に返すもの」(ウィキペディア引用)とされているそうなので、やはり根本的に違うものなんですね。呪物であり、同時に自然へと回帰するもの。

むしろ「栄光の手」に近いものなのかもしれない。栄光の手というのは処刑された者の手を切り落として死蝋化させたもので、こちらも一種の呪物です。刑死者も津波から生き延びた唯一の松も“選ばれた者”という意味では同じで、選ばれた者を腐敗・還元させずに永遠の姿を授ければ、それを為した者・所有者に呪的な力がもたらされるという信仰。
呪術という概念は面白くて、構造(枠組み)が同じならば中身は何でも代用可能らしい。

陸前高田の一本松は半永久的に朽ちることも自然に還元されることもない「呪物」として戻ってくる。
もしかしたら「パワースポット」として信仰の対象になるのかもしれませんね。
それはまた“祈り”よりは“呪い”に似たものになるのかもしれませんが……。

余談ですが、私は「プリザーブド・フラワー」というものがあまり好きになれません。
なんか不吉に感じるんですね。
ネイティブアメリカンが見ても、不吉だと感じるんじゃないですかね。

観賞終了報告、うふ♡

おはようございます。

とつぜんでございますが、
「魔法少女まどかマギカ」ようやく観終わりました。
1話の15分みて辞めることを7回ほど繰り返し、その壁を乗り越え、乗り越えてしまえば2日で読了ではなく、見終わった。
めちゃくちゃ面白うございやした。
と、空論でさかんに登場していたのを遡ってみるとすでに1年近く前だったんですね、爆!! 
どうも周回遅れ癖は治ってないようです。
1年前のエントリーもぼちぼちと再度させていただきます、笑。

このアニメ、プロット/組立秀逸の上に、ちょっと面白すぎて、つかみきれないので再度みてから思索してみたいと思いますが、とりあえず、通し観賞1回目終了記念カキコ。
嬉しさのあまり、ありがちな無理やり結びつける直感のみの軽薄カキコになりますが、
・・・さて、どうこじつけよう?(笑)

一本松はキュウベイと契約したのか?って線にして、
「魂と容姿(身体)」についてこじつけようか?
「希望のかたち」につてこじつけようか?
「個の命と永遠の命」についてこじつけようか?
あぁ、一本松が契約したわけでなく、ある人々が契約したのか?
とすると、魂と容姿(ゾンビ=ソウルジェル?)の繋がりが?だし。
いやいや、ある人々の魂が(みえないが)ソウルジェル化したのか、一本松の魂を犠牲にして、、、とか
こじつけようとすると、簡単にまとまりそうにないな。
もう一回見てからにしよ、笑。

ここは、あまり浮かれて軽薄なことを書くブログでもないし。
まあ、今回は観賞終了報告だけにしとくかな、笑。

不吉

・平行連晶さん

不吉というのが、健全な感性なのではないでしょうか?

「栄光の手」に近いというのは、なんとなく納得。けれど、それが日本人の世界観、呪術感覚に近いのかといえば、疑問です。「即身成仏」というのはありますが、おおっぴらに展示するものではないし。

とにかく。やろうとしていることがちぐはぐに思えてなりません。そして、そのちぐはぐの原因は、世界観を喪失したことにある、と。

うふ?

・毒多さん、コンプリート、おめでとうございます。

それにしても、「うふ♡」って、なんなんですか? (^_^;)

1話の15分みて辞めることを7回ほど繰り返し

絵に慣れるまでは、少々抵抗がありますからね。その壁を乗り越え、よくがんばりやした。(^o^)

このアニメ、プロット/組立秀逸の上に、ちょっと面白すぎて、

そうなんです。ストーリーとしては、さほど複雑なものではないのだけれども、設定がなかなか凄くて、疑問と想像が膨らみますよね。秀作です。

以前の記事にも書いたかと思いますが、下敷きになっているのはおそらくゲーテの『ファウスト』です。キュウベエがメフィスト。まどかはファウストであり同時にグレートヒェンですね。この構図をこじつけるのは、なかなか難しいと思いますよ。

じっくりと考えてみてください。

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