愚慫空論

『ちいさないのちの祭り』における、生と死

『ちいさな命の祭り』という催しに、参加してきた。


9/8(土)の朝9時頃に、会場である長野県高遠町の千代田湖キャンプ場へと到着。10日(月)の16時頃に、現地を後にした。祭りは、翌11日まで行なわれていた。

私は知らなかったのだけれど、『いのちの祭り』という大きな催しが、1988年、2000年とあったらしい。今年、2012年にも、その流れを引き継いだ大きな祭りが企画されている。


大きな方は、上の案内にもあるとおり、今週の金曜から来週月曜にかけて。私が参加したのは、小さな方。大きな方も、小さな方も、どちらも、88年、00年の流れを汲んでいるのだが、いろいろと経緯があって、分裂したということらしい。

大きな方――そう名乗っているわけではないが――が、どのように大きいのかは、私にはわからない。私にわかるのは、参加費が高額だということ。4日間で18000円。宿泊施設に泊まるわけではない。自前でテントを張って、その値段。それだけ出演者等が「充実」しているということなのだろうか?

小さな方の参加者の中には、高額であることに違和感を表明する人が多くいたのは事実。私も、その値段では参加はするつもりにはなれない。そうした価格設定ができるほど『いのちの祭り』というのは、ブランドとしての評判が確立しているということなのだろう。

  ***

私が『ちいさないのちの祭り』に参加してみることになったのは、まったくの偶然から。こちらは、特に宣伝もせず、ネットで告知することすらしなかったらしい。「縁」がある人だけ、くればよい――というスタンス。私もたまたま、そういう「縁」に恵まれて、参加することになった。


メイン・ステージの「ティピ」と、開会の挨拶をする発起人。

感想を述べれば、まず、時間がゆっくりと流れていた。メイン・ステージでは、朝から夜までずっと誰かがパフォーマンスをしていたけれど、それらを観なければ、といったような「空気」は皆無といっていいほど。友達とのお喋りに花を咲かすも、よし。思いの外たくさんあった出店を巡るのも、よし。


自由な雰囲気と、出店。店はまだまだたくさん、あった。

要するに、お祭りである。みんな自由に、思い思いに行動して、それでいて、どこか一体感のある空間。ふつうのお祭りと少し違うのは、テント等での泊まり掛けであること。時間の流れがゆったりであること。いずれ、お祭りは非日常の空間で、大抵の場合は、時間の流れは日常より速く感じられるものだけれども、『いのちの祭り』では、泊まり掛けということもあるのだろう、日常よりも時間の流れが緩やかであるように感じられた。

子どもの姿が多く見かけられたのも、やはりお祭りである。面白かったのは、2日目、3日目となる従って、服を着ていない、裸の子どもが見られるようになったこと。こうなってくると、祭りというより、むしろ「村」といった雰囲気だ。村祭りである。


太鼓のリズムに合わせて、


みんなが踊り出す。


歌に合わせて、子どもたちも踊る。


夜は、「熟女」たちの踊り。


夜が明けると、神輿が登場。

お祭り騒ぎばかりではない。原発のこと。リニアのこと。自然エネルギーのこと。真摯な訴えかけの場面も、数多くあった。


南アルプスを貫くリニアを説明する、パネル。

  ****

2つ上の画像。これは「マラ様」という神輿なんだそうだ。この「マラ様」が、、この『いのちの祭り』を象徴するものであったように私は思う。フンドシ姿の男たちが、女性を神輿に担ぎ上げて、練り歩く。女性は、画像には写っていないけれども、女性は神輿に突き起つ“マラ”にしがみついている。命の営みの始原。

そんな祭りに参加している女性たちはみな美しく、子どもたちは生き生きとして可愛らしかった。これは決して、気のせいなどではない。

しかし。

私はひねくれ者なのだろう。そうした「命」と「生」の祭りに身を浸しながら、別のことを考えていた。メメント・モリ。死を想え。

  *****

1988年に『いのちの祭り』が始まったのは、1986年に旧ソ連で起きたチェルノブイリ原発事故が大きく影響しているという。

  NO NUKES ONE EARTH
  NO WAR   ONE LOVE


核と戦争。いずれも、「死」を想起させるものである。未来を切り拓き、「生」を揺るぎないものにするに違いないと想われた原子力も、その正体は「死」を招く核であることが露呈したチェルノブイリ。そしてフクシマ。「死」が想起されれば、その反撥として「生」が謳いあげられるのは、当然といえば当然の流れではある。

だが、「命」において、「生」と「死」は分かつことはできない。「生」と「死」は二項同体。「生」のみが「命」ではないのである。『いのちの祭り』というのであれば、「生」を謳いあげるだけでは足りない。「生」を真に享受するには、「死」を安心して迎え入れることができる“心”がなければ、ダメである。この『祭り』の、どこにそれがあるのか。

それは、しっかりと存在した。書籍という形で。


著者のおおえまさのりさんは、88年、00年の『いのちの祭り』の実行委員長を務められた方なんだそうだ。今回の『ちいさな命のまつり』にも、参加しておられた。本書の出版は、『祭り』に合わせる形で行なわれたそうだ。すなわち、9月8日が出版日。

『チベットの死者の書』という、有名な書物がある。現在、日本でもいくつかの訳本が存在するが、最初に日本で訳本を出版したのがおおえさんなんだそうである(1974年)。そのような人物が、「3・11後を生きる」ためのメッセージとして――特に、若い人たちに読んでもらいたいと、希望を述べておられた――出版した本の中には、「生」と渾然一体となって、「死」が語られている。

 目 次

はじめに――

第一部 草木虫魚のいのり


① わたしを尋ねる
闇との対話  神秘  大地の夢  シャーマニズム  わたし  ドリームタイム

② 夢時間への旅
再統合  母なる宇宙 心の故郷  全き今への旅  大地の子宮への旅

③ 神を解き開く
バルド  宗教

④ 思考の彼岸
思考の彼岸への旅  道  花  永遠への投機  愛  救われて在る  信と覚  霊性  色即是空 空即是色  相入相即  空の光明  絶対肯定的生を巡って

⑤ 草木虫魚のいのり――ニライカナイへの賛歌
母たちのカミ  自然がカミとなるとき  カミのあらわれとして  カミの神話  人はなぜカミを   ウタキ(御嶽)  祈り  カミあそび  自然そのもののカミ  永遠への回帰  取り戻された魂

第二部 未来への舟

⑥ 花粉の中心を歩く――自然そのもののカミに支えられた新しい社会の夢――
いのちの不思議  花  巡り  いのちの巡り  多様性  聖性  性  時間と空間  無限ということ  死  永遠  天国   存在  ことば    生と社会  コミュニティ  豊かさ  ヴァーチャル・リアリティ  進化  歴史  倫理  伝統  贈与の経済学  祭儀  楽  遊  非暴力  ヒロシマ  夢見る母胎  国家という幻想  内なる宇宙への旅  夢――眠りのふしぎ  超絶のプログラム  瞑想という時  紅葉  神秘的合一  何もない空間  道化  学び  円融  関連生起と空    律動  食  農  医  介護  死との対話  恐れ  葬送――ひとつの儀礼  魂としての葬送  祈り  終句

あとがき――琉球弧賛歌――


目次を見てもわかるように、多くの項目が語られている。その項目ひとつひとつの文章は、平易で、かつ、短い。詩的な文章になっている。

オビに綴られた文章にも、感じ入る。

神秘と感じるわたしがいなければ、世界に神秘はありはしない。世界そのものがない。アニミズムの経済学とは、収奪ではなく共生の、贈与の経済学今から今へと時は移ってゆく。 ここからそこへではなく、ここからここへと移ってゆく。私が宇宙の中心であり、あなたが宇宙の中心なのだ


わが『空論』の読者であれば、私が惹かれるのはご理解いただけると思う。安冨先生がいう「神秘的な合理主義」をも、想起させるような文章だ。

 私が提案した「創発を阻害するもの」についての研究は、神秘の存在を前提にして構成されている。創発という暗黙の次元に作動する神秘を前提とし、そういった語りえぬものを語ろうとするような冒涜を回避し、ただありがたく受け取る。その上で、創発を阻害するようなもの、という語りうる部分にのみ、議論を集中する、という作戦である。これを私は「合理的な神秘主義」と呼んでいる。
 この合理的な神秘主義の観点から、既に我々が手にしている知識を再編成しよう、というのが、私の提案する新しい学問である。この学問を「魂の脱植民地化」という。

(『atプラス13』所収、安冨歩「他力思想の射程」より引用)


  ******

もう少し、書き足したい。


コメント

今年はまったくといっていいほど本を読んでいないのですが(意識的にではなく、たまたま)、この おおえまさのりさんの『未来への舟』、読んでみたいと思いました。
読んでみます。ご紹介、ありがとうございました。

いのちの祭り

愚樵さん、こんにちは♪
正しくは、「分裂」ではないと思いまする。今回、中心になった女性たちが「いのちの祭り」としてやりたかったことが「ちいさな」として実現されただけかな。

「ちいさな」、いい祭りでした。

ぜひ、読んでみてください

アキラさん、おはようございます。

『未来への舟』。是非、読んでみてください。

読んでみてください、なんですが、ちょっと入手が面倒なようですね。ネット書店には出さないみたいですし。大手書店か、郵便振替で申し込むか。

http://www.geocities.jp/singingstone4/ichienso.htm

27日までお待ちいただけるのでしたら、私の「在庫」をお譲りしますが。『ちいさな命の祭り』の会場で2冊、購入してあるのです。しかも、特別価格+著者・サイン入りで。

Re:いのちの祭り

ゆめやえいこさん、おはようございます。

いいお祭りでした。また来年も、やってもらえたら嬉しいですね。

けど、あれを「祭り」と呼んでいいのかな? 
今から思えば非日常なんだけど、中にいるときは、全然「非日常」という感じがしなかったんですよね。

正しくは、「分裂」ではないと思いまする。

すみません。「分裂」というのは、私の主観です。
ではありますが、「ひとつ」が「ふたつ」になれば、「分裂」と呼んでも間違いではない。

「分裂」し、多様性をもって広がっていくのは、いのちの営みの形。

言葉の持つイメージは、いろいろと厄介なところがありますね。

おぉ、なんと!
ぜひ、その「在庫」をお譲りください。 (^o^)
楽しみにしています♪

では

予約済ということで。(^_^)v

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