愚慫空論

マイケル・ジャクソンの〈ファンタジー〉を『ムーンウォーカー』に観る

ファンタジーについていろいろと考えを巡らせていたら、行き着いたのがマイケル・ジャクソンだ。

マイケル・ジャクソンはファンタジスタである。

ファンタジスタというと。はてなキーワードより。

イタリア語の名詞(fantasista)。語源はイタリア語で空想、霊感を意味するファンタジーア(fantasia)。
元々は、ウィットに富みアドリブの効いた即興芸が得意な舞台役者や大道芸人を指す言葉。あるいはファンタジーアを感じさせる者。
転じて、創造性豊かなインスピレーションと並外れたテクニックを持ち、世界のトップレベルにおいても、フィジカルに頼ることなく1つのプレーで局面を変えてしまう優れたサッカー選手を意味する。


マイケルが創造性豊かなインスピレーションと並外れたテクニックを持つエンターテイナーであることは、ファンならずも異論はなかろう。が、マイケルはそればかりではなく、観る者の「局面」――「心」をそのパフォーマンスで変えてしまうことを志していた。そうした「マイケル・ジャクソンの思想」が形となって現れた作品。それが『ムーンウォーカー』である。



  ***

私は先日、『のだめカンタービレ』というアニメ作品を題材に、〈ファンタジー〉について語ってみた。主人公のだめは、ピアノの才能があり、ファンタジーを一杯抱えたキャラクターとして描かれているが、のだめのファンタジーは、自分のための【ファンタジー】でしかなかった。

『のだめカンタービレ』は主人公の閉じた【ファンタジー】が、多くの人のための開かれた〈ファンタジー〉へと成長していく物語と観ることが出来るが、それと同じ構図が『ムーンウォーカー』の中にも見られる。

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『ムーンウォーカー』は3部構成になっている。

 1部:PV集
 2部:マイケルのファンからの逃走劇
 3部:マイケルが悪の組織から子どもを救うファンタジー劇

1部は『Man in the Mirror』からはじまって、ジャクソン5時代のものも含めて、ライブ映像等が数曲、続く(私は残念ながら、その曲名の全てを知らない)。1部が表現するのは、才能溢れたスーパースターとしてのマイケルだ。

1部の最後に登場するのは『Bad』だが、これはなぜか少年バージョン。(動画があったので貼り付けておく)


“少年”が意味するところは何か。それは、のだめが師匠のオクレールから“べーべちゃん”と呼ばれたのと同じ意味。才能溢れるが、それは未熟な閉じた【ファンタジー】でしかない、ということだろう。

2部は、『Bad』を演じた少年が映画スタジオへ入り、マイケル本人となって現れるという形で始まる。そしてスタジオ見学に来ていたファンに見つかり、マイケルの逃走劇が始まる。

逃げるマイケルは、楽しそうである。対して、マイケルを追いかける者たちの姿は人形になっているが、この人形の姿が『Thriller』に出てくるゾンビになんとなく似ているのは、偶然ではあるまい。

ゾンビから逃げ切って、荒野で一人楽しげに踊るマイケル。しかし、そこに警官がやって来て、「マイケル禁止」の表示が。このシーンの意味するところは、【ファンタジー】の禁止であろうか。

マイケルは、自身に「子ども時代」はなかったと述懐している。子ども時代の悦びの代わりにスーパースターとして成功した。1部で描かれるのは、物質的に成功したマイケル。だが、それは精神的には未熟なものでしかない。そうした成功から逃走し、ひとり荒野で自らの【ファンタジー】を楽しもうとするマイケル。だが、これは禁止。この禁止は警官の姿と標識になって表現されるが、マイケル自身の理性であろう。

でも今では、曲をつくるとき、僕は自分が自然の楽器のような気がします
自然はどんなにか喜ぶことだろうと思います
僕たちが心開いて、神から与えられた才能を表現するとき
賞賛の拍手が宇宙じゅうに鳴り響き、世界はマジックで満ちあふれます
不思議さへの感動で胸がいっぱいになるその一瞬に垣間見たもの
それは生命の遊びの楽しさです

(1993年グラミー賞授賞式でのスピーチより。前々記事参照。)

  *****

そうした過程を経て始まる3部は、子どもを救うファンタジー劇。途中に挟み込まれる『Smooth Criminal』のPVは素晴らしいけれども、全体としては荒唐無稽なお話になっている。

(どういったストーリーなのかは紹介しない。DVDを見て欲しい。)

荒唐無稽なファンタジーの完成度は、正直、高いとは思わない。だが、これでいいのだと思う。3部はマイケルが実現したかった夢の表現だろう。夢は完成度が高くてはいけない。

(3部の後の、映画のクレジットのバックに流される黒人の祈りのような歌にも、大きな意味があるように思うのだが、そこは私にはよくわからない。)

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『ムーンウォーカー』は、全体としても見ても、あまり完成度は高いとは言えないかもしれない。マイケルのファンがそのパフォーマンスを楽しむのはいいとしても、3部でマイケルが宇宙船に変身してしまったりと、ちょっと首を傾げてしまうようなところがある。ファンタジーがいっぱい、なのである。

それゆえ、『のだめカンタービレ』のような作品と並べて論ずることもできるというわけだ。

だが、大きく異なるところもある。『のだめ』においては、開いた〈ファンタジー〉に目覚めるというのは終着点であった。対して、マイケル・ジャクソンにあっては、そこが出発点である。マイケルは、そこからさらに先へ行った。

しかも、マイケルは、のだめのような架空のキャラではなく、実在の人物であった。ゆえに存在感が架空のキャラとは比べものにならない。実在であったがゆえに、毀誉褒貶が激しいものになってしまったというマイナスもあったけれども。

マイケル・ジャクソンはファンタジスタである。神から与えられた才能を発揮することで、世界の「局面」を変えることを夢見た。そのあまりに大きな夢は十分に果たされたとは言えないけれども、それはマイケルの「夢」があまりに大きすぎたためであろう。

関連記事:マイケル・ジャクソンは儒家であった

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