愚慫空論

そういうのは、半分ずつとかできないのかな?

三たび、中二少女である姪っ子との対話から。

先日、妻の実家で催されたお盆恒例BBQの折り。「そういえばおじさんに聞きたいことがあったんです」と彼女が繰り出してきた質問が、竹島について。まさか彼女の口から「竹島」などといった政治マターな言葉を聞くとは思わなかったので少々、面食らった。いったい何を聞きたいというのか。あやふやな記憶を辿ってみる。

「竹島は日本のものなのか。それとも韓国の領土なのか。」

まず尋ねてきたのはこの質問。私は答える。

「それは難しい問題。日本にも韓国にもそれぞれに主張がある。この種の問題は、どちらが正しいか、で決まる問題ではないから。むしろ、どちらが強いか、で決まる。」

「どちらが正しいかということでいえば、他にも領土問題は北方領土とか尖閣諸島とかあるけれども、竹島についてだけいえば、どうも日本が正しいらしい。」

姪「じゃあ、なぜ韓国は竹島を自分の領土だという?」

「竹島という小さな島自体にはあまり価値はないけれども、領海とか排他的経済水域という意味では竹島は価値がある。竹島が領土だということになると、その分領海が広くなるから、そこで漁業ができたりする。韓国にしても日本にしても、自分の領分が広い方がいいからね。」

姪「そういうのは、半分ずつとか出来ないのかな?」

  ***

「半分ずつとか出来ないのかな?」というのは、質問の形になっているが、これは姪の「主張」であろう。彼女自身もそれが自分の主張だとは意識していなかったろうけれども。だが、間違いなく彼女の気持ち。子どもっぽく純真で、子どもっぽく無責任。

思い返してみて、私は彼女からこの主張が出てきたことを嬉しく思う。彼女がこの主張をしたくて、その相手として私を選んでくれたとのだとしたら、私としてはとても嬉しい。

が、私は、その場ですぐにこの嬉しさに気がついたわけではない。なぜ姪はあんなことを尋ねてきたのか。それが引っかかっていて、記憶を再構成してみたときに、気がついた。だから、私の都合の良い思い過ごしかもしれない。たとえそうであったとしても、気分が良い。

  ****

姪が無責任なのは、無力だからだ。彼女自身も、意識はせずともそのことを知っている。だから彼女の「主張」は質問という形を取った。

対して、大人はどうか。どうすべきか。日本国民であることを自覚して、「正しい主張」を為すべきか。そして、その「正しい主張」を無力で無責任な子どもに教育すべきか。

大人が、同じ大人や、あるいは有権者としての権利が認められている国家に対して、主体的に「正しい主張」を為すのは適正なことである。竹島が国際法上日本の領土であるとことは「正しい」。だから、韓国にも日本国にも責任ある大人としてそのことを主張し、同時に、子どもに対しても「正しい教育」を施し、責任を自覚する「正しい大人」に育てなければならない。ゆえに、彼女の子どもっぽい主張は、無責任な誤ったものとして退けるべき。

――と、私は思わない。同じ大人や国家に対する責任の部分については同意できる。だが、「正しい教育」を施すことが子どもに対する大人の責任だとは思わない。そのような教育は、「正しい」という名の元で行なわれる無力な者への抑圧でしかない、と思う。

  *****

(「半分ずつとか出来ないのかな?」の続き。)

「それは互いに欲の皮が突っ張っていたら、難しい。欲の皮でなくても、たとえば漁業者にはそれぞれ生活があるわけだから。」

「もっと難しいのは、過去の恨みといったような問題。戦前、日本に占領されていた韓国は、当時は北朝鮮も合わせて朝鮮国だったのだけれども、日本によって支配されていたという恨みがあるから、どうしても日本に対しては攻撃的になってしまう。」

姪「韓国は、今でも昔のことを日本に誤れと言ってきているみたいだけど、なぜ誤らなきゃダメなのかな?」

「今でも韓国のお年寄りの人たちは、日本語で話をしたりすることが出来たりするらしい。戦前には日本語の教育が行なわれていたから。自分たちの言葉を奪われて、さらに「創氏改名」とかいって、名前まで奪われた。他にもいろいろ差別的な行いがあった。

そんな記憶を持っている人たちがいて、また、直接酷い目にはあっていなくても、そういう話を聞かされた人がたくさんいる。これはどうしようもない。」

姪「日本だって、原爆を落とされたりとか。」

「そういうこと。こういう恨みの問題はとにかく長く引きずる。他にも、例えばユダヤ人の話とかがあって...(略)」

私が姪に話したことを要約すれば、とにかく難しいということ。世の中は、いや、大人の世界はこんがらがっていて、なにが「正しい」のかなど、判定しようがない。

  ******

大人としての絶望的な気分とともに、思い起こされるのは、これ。


(0'55"より)
My childhood was completely taken away from me.
There was no Christmas. There was no birthday.
It was not a normal childhood. No normal pleasures of childhood.
Those were exchanged for hard work, struggle and pain,
and eventual material and professional success.
But as an awful price, I cannot recreate that part of my life.
Nor will I change any part of my life.

僕には子ども時代というものが全くありませんでした
クリスマスもなく、誕生日もなく
普通の子ども時代ではありませんでした。子どもとして普通に味わう喜びは全くなかった
そのかわりに一生懸命に働き、もがいて苦しんで
そして最終的には物質的に、プロとして成功しました
でもその大きな代償として、僕は人生の中のその部分を生き直すことができない
人生のどの部分も取り替えることはできないのです

However, today, when I create my music, I feel like an instrument of nature.
I wonder what delight nature must feel
when we open our hearts and express our God-given talents.
The sound of approval rolls across the universe and the whole world abounds in magic.
Wonder fills our hearts for what we have glimpsed for an instant
- the playfulness of life.

でも今では、曲をつくるとき、僕は自分が自然の楽器のような気がします
自然はどんなにか喜ぶことだろうと思います
僕たちが心開いて、神から与えられた才能を表現するとき
賞賛の拍手が宇宙じゅうに鳴り響き、世界はマジックで満ちあふれます
不思議さへの感動で胸がいっぱいになるその一瞬に垣間見たもの
それは生命の遊びの楽しさです

And that's why I love children and learn so much from being around them.
I realize that many of our world's problems today from the inner city crimes
to large scale wars and terrorism and our overcrowded prisons
are a result of the fact that children have had their childhood stolen from them.
The magic, the wonder, the mystery and the innocence of a child's heart
are the seeds of creativity that will heal the world. I really believe that.

だから僕は子どもたちが好きだし、一緒にいることでとても多くを学んでいます
僕にはわかっています。現在の世界の問題の多くが、スラム街の犯罪から
大規模な戦争、テロ、超満員の刑務所にいたるまで
それらは彼らが子ども時代を奪われてしまったという事実の結果なのだと
マジックや不思議なこと、神秘、そして天真爛漫な子どもの心は
創造性の種であり、それが世界を癒すのです。僕は本当にそう信じています

What we need to learn from children isn't childish.
Being with them connects us to the deeper wisdom of life
which is everpresent and only asks to be lived.
They know the way to solutions
that lie waiting to be recognized within our own hearts.
Today, I would like to thank all the children of the world,
including the sick and deprived. I am so sensitive to your pain.

僕たちが子どもたちから学ぶ必要があるのは、子どもっぽさではありません
子どもたちといると、生命のより深い智恵というものに到達できるのです
それはずっとそこにあって、ただ生かされるのを待っています
子どもたちは、解決への道を知っています
それは僕たち自身の心の中にあって、僕たちが気づくのを待っているのです
今日、僕は世界中の子どもたちに感謝したいと思います
病気の子もハンディキャップを負った子もみんな。君たちの痛みをすごく感じています

(英文書き起しと訳文は、こちらより拝借しました。)

  *******

大人も、詰まるところ、無力である。「正しい主張」をするのはいいだろう。その権利は確かにある。が、社会に「正しい」は、「正しい主張」をする人の数だけある。だからこそ世の中はこんがらがって収拾がつかなくなっているのに、それでも、大人は子どもに「正しい主張」をするべく教育することが、大人の責務だと思っている。

そのような「責務」は、大人であるにも関わらず無力である自身を隠蔽するための、欺瞞ではないのか。自分は無力ではないと思いたい。思いたいから、正当化したいから、主張し、一方で団結を呼びかけ、一方では同志を排斥しながら、権力の獲得を目指す。教育を施すのも、主たる、しかし隠蔽された動機は正当化だろう。

「そういうのは、半分ずつとか出来ないのかな?」という主張はまったく正当なものである。実現不可能な子どもっぽいファンタジーのように感じてしまうけれども、自身の「大人」である部分――さまざまな知識の学習と、そこに伴って吸収してしまった恨み、反発、そういった感情を削ぎ落としてみれば、互いに譲り合って半分ずつにしようという主張は正当なものと認めざるを得ない。

認めることが出来ないのは、自身も子どもと同様に無力であることを認めたくないからだ。それを認めてしまうと、大人になるべく費やしてきた努力が無に帰すように感じられてしまう。自分が払ってきた努力の正当性を主張するために、子どもにも同じ努力を要求する。その要求が、子どもから子ども時代を奪う。

コメント

みんな不安に怯えている

・すぺーすのいどさん、おはようございます。

至難の業に思えますね。

今の社会を生きている大人たちは不安に怯えています。その怯えから、子どもに勉強を押しつける。塾なんか、そういう理由で通う子どもが多いんじゃないですかね。子どもが行きたいというより、親が不安だから行かせる。

親の不安を隠蔽することが「子どものため」という大義名分になっている。それで受験産業が発達し、その発達がますます親を不安に陥れる。「モンスターペアレンツ」なんてのは、不安に狂った親なんでしょう、きっと。

優秀な素直な「いい子」ほど、親の不安を引き受けてしまう。そして「いい子」になれなかった子どもたちは「仲間」を作る。

「仲間」はいじめ問題を土壌になったり、暴走する面もあるけれども、子どもたちなりの不安の解消法なのかもしれません。

おはようございます

金沢のma-neeです。
いつも愚樵さんの写真に癒されています。
姪っ子さんはそんな受け止め方をしてもらって
とても幸せだと思います。
それをわかっていてあえて愚樵さんに振ったのかな?

私だったら・・・いや事実私は正論を子供に語りました。
愚樵さんのようにふんわりと受け止めながら語れたら
良かったな。

今、子供に子供時代をきちんと体験させながら
きちんとした子供に育て上げるのはやはり至難の業の気がします。
詰め込みするよりも数倍の気を使い、手間もかけ
包み込んで育てなければ成り立たない気がします。
私は失敗ばかり。親としても試行錯誤。
長男いわく一番上はとりあえず試されているから
失敗多くて損だよな、らしいです。

親としての勉強も延々続きます。

ふんわりとは、いかなかったでしょう、たぶん

ma-neeさん、こんにちは。(^o^)

ちゃんと本文にも書かなきゃなりませんでしたが、決して、ふんわり上手に受けとめられたわけではないんです。

大人の世界もいろいろ難しいんだよ、というような話をして。

「だから、勉強して、それを解決できる大人にならないと、ね。」

と、締めくくってしまったんです。(^_^;) 責任を姪に向かって投げてしまった。姪の純真を受けとめきれなくて、少し逃げてしまったんです。ここは、

「一緒に考えて、一緒になんとかなるようにがんばろう。」

とするべきだったと、反省してます。

相手は子どもだから。こちらは大人だから。そんな驕りは棄てて、同じ人間同士で向き合うことができれば、それで、もうすでに教育になっているんだろうと思うんですがね。思っていても、それをするのがなかなか難しい。

子どもに聴いて、子どもに向き合えるように学習していかなければならないのは、常に大人の方です。

「半分ずつ」というのは、とても魅力的な解決方法のように感じます。
僕だったら多分、どうやったらうまく「半分ずつ」になるか、もっと聞いたかも、です。(^o^)

アキラさん

そうですね。そういう流れにすることができればよかったですね。

そこからみれば、私は姪の機先を制してしまった形になりました。朝鮮半島と日本の歴史を講義して、その重さ、複雑さを知らしめようとしましたから。複雑な歴史から生まれる複雑な人間の感情。それは、子どもでは対処不能だよ、というメッセージを送ってしまいました。

自分だって対処不能なのに。

思いもよらない名案が生まれたかも、ですよね。(^o^)

ども、竹島なんて、どこにあるのかも知らないsv400s_dracinです←島根県と鳥取県の位置がいまいちわかってない…竹島や尖閣諸島の位置は超左翼おじさんから本をもらったので、覚えたけど…もちろん、四国はまったくわからないし、かろうじて、南にあるのが、高知らしいというあいまいな記憶…東北は、福島と宮城の位置関係がわかってないし…福島に海があるのを知ったのは、震災以降の話…山形と秋田と福島と宮城が殆どわかってない…青森がなんとなくわかる…九州は学生の頃、2ヶ月に渡って、旅をしたので、なんとなくわかるが、線と点で理解してるので、実は、県での区別がまったくできてない…あの頃は、まだ、バイク用のロードマップなんてなかったし…言葉が殆ど理解できなかったという恐ろしい記憶がある…かように地理が苦手なためもあるし…竹島なんて、誰が欲しがってるんだか…何を今更…って感じ…

・ sv400s_dracinさん、おひさしぶり。

竹島周辺で漁業などをおこなう利害関係者にとっては、重要なことなんでしょうけどね。ぶっちゃけ、消費者である私たちにとってみれば、竹島周辺海域の魚を日本の業者が採ろうが韓国の業者が採ろうが、安く新鮮に手に入りさえすれば、文句はない。

要するにです。日韓を問わず、竹島領有の主張は、自尊感情を慰撫したいだけのこと。左側には日本の竹島領有に不支持の方々もおられるようですが、その主張とて、自尊感情を満足させるための自己主張でしょう。竹島がどちらの領土であっても、日本の國体が揺らぐわけでもないでしょう。むしろ、実力で奪還するなんて大騒ぎする方が、國体を揺るがすことになります。

直接の利害関係者で話し合って、利害調整をすればいいですよ。国家はそのお膳立てをし、仲介するのが役割。それを、やらなくてもいいケンカを買って出るなんて、思惑は別の所にあるに決まっています。歴史が示すとおりです。

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