愚慫空論

絵本『だれかがぼくを ―ころさないで』

前回に引き続き「感じる」本の紹介。今度は絵本。



ここで絵本を取り上げるのは、おそらく初めてだと思う。私は絵本を読まない。あまり関心がない。

それが手元にあるのは、頂いたから。「コンポジウム@金沢」でお世話になった玄妙先生の奥さんから頂戴した。私のブログ記事を読んでくださっていて、この本に出会われたときに、私のことが思い浮かんだのだというお話だった。

奥さんの印象に残っていたのは、たぶんはこのあたりだろう 
   ⇒ 自身の恨みに愉氣をする

玄妙先生夫妻は3人のお子さんの親であり、奥さんはご自身母親として、この本を私に贈らずにはいられなかったのだと言ってくださった。このお心遣い。まさに「愉氣」に他ならないと感じた。

もちろんのこと、私の境遇と奥さんの母としてのありようとの間に何の共通点もない。母に疎まれた子どもと、子どもを愛する母と。その隔りを越えて、それ以上にまだ見知らぬ相手に、子を持つ母という当事者として、当事者であるからこそ溢れ出るもの。そのお気持ちを思いながら絵本を眺めていると、私は自分が「かわいそうなネルソンさん」になったような気分になる。

こちらで紹介した「かわいそうなネルソンさん」のお話を再掲してみる。

今を生きる親鸞

 ネルソンさんは、ベトナム戦争から帰国後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しみました。いわゆる戦争後遺症で、戦争をありありと思い出すフラッシュバックや苦痛を伴う悪夢といったかたちで、戦争の再体験をして苦しんだのです。
 戦場で目の当たりにした殺毅やあらゆる暴力、そして自らも多くの人々を殺したことが片時も頭から消えず、その惨劇が悪夢となつて毎晩のようにネルソンさんを襲いました。
 ちょっとした匂いや音でもすぐ戦闘状態に戻つてしまい、帰国後わずか一週間で家族から追い出され、ホームレスの生活を余儀なくされたのです。まさしく「生きる場」を失つた苦しみです。
 ネルソンさんは、その耐えがたい苦しみから、自殺を試みたのです。彼と同じように苦しむ帰還兵で自ら命を絶った仲間は数万人にのぼると言われています。
 その、ネルソンさんが立ち直ろうとしたきつかけは、ある一人の少女との出遇いでした。ホームレスを続ける彼が、学生時代の友人である教師に頼まれて、小学校でベトナムの体験を話すことになり、四年生の教室に立ちました。しかし、いざ子どもたちの前に立つと、ジャングルで自分がしてきたこと、見てきたことをありのままに語ることはできなかつたので、戦争一般の恐ろしさを話してその場をやり過ごしたのでした。
そんなネルソンさんに一番前にいた女の子が質問したのです。「ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか」と。ネルソンさんは、そのことこそ、どうしても忘れてしまいたい、思い出したくない、消し去りたいと思つていたことなので、答えることができず、目をつぶつて下を向いてしまったのです。様々なことが頭をよぎりながら、最後に目をつぶつたまま小さな声で、しかしはつきりと「イエス」と答えたのでした。
 すると、苦しそうな彼の姿を見て、質問した女の子は彼のところまできて彼を抱きしめました。彼が驚いて目を開けると彼のおなかのあたりで目に涙をいつばいためた少女の顔がありました。「かわいそうなネルソンさん」。そう言ってまた抱きしめたのです。
 その一言を聞いたとたん、彼は頭が真っ白になり、大粒の涙が彼の目からあふれ出たのです。教室中の子どもたちが皆かけよつて彼を抱きしめました。子どもたちも先生も皆泣いていました。
 「この時、私の中で何かが溶けた」とネルソンさんは述懐しています。・・・



  ***

肝腎の絵本の紹介がまだだった。といって、絵本を下手に紹介するわけにもいかない。なので、本カバーにある作者(文)内田麟太郎さんの言葉を引用させてもらうことで、絵本の紹介に替えることにする。

わたしは六才で生みの母を亡くしている。
まもなく新しい母が来てくれたが、愛されることが薄く、
その面当てにヤクザになろうと考えていたときがある。
その継母も晩年には「愛さなくて、ごめんね」と謝ってくれたが。
いま、ヤクザになることなく、絵本の世界にいる。
どうしてだろうか。
それは顔もおぼろに憶えていない母が
「リンちゃん、かわいい」「リンちゃんかわいい」
と、くり返してくれていたからだと思う。
母はそうくり返しながら、わたしを抱きしめてくれたにちがいない。
わたしはむろん微笑んだだろう。
本を書くということは、人を信じ言葉の橋を架けることである。
荒んでいたわたしのこころに宿っていた人への信頼。
わたしは引き返すことが出来た。
母がくり返してくれていた、言葉の力で。


  ****

この作者の言葉から思い起こされてくるのは、前回も紹介した『マイケル・ジャクソンの思想』。そして「三年之愛」。これらは要するに、人間の最もベーシックな〈繋がり〉ということだ。人間は立ち返ることのできるベーシックな〈繋がり〉が心の内にあれば、踏み外した道から立ち返ることができる。まだ「私」という感覚が成立以前の、いのちの始まりの時に与えられた〈繋がり〉。

  *****

当記事の締めは、私が出会ったときからずっとお気に入りの歌を。直裁に始まりの〈繋がり〉を歌った歌。カトリックのシスターが作詞作曲したという『いのち』と題された歌。
『志村建世のブログ2007.8.8 いのちの歌』より)

いのちがこんなに尊いのは この世に たったひとつだから
いのちがこんなにきれいなのは 神さまが心込めてるから
いのちがこんなに愛しいのは それはあなた あなたのいのちだから

父さんがいて 母さんがいて 家族がいて みんながいて
そしてあなたが生まれた けっして一人ではなかった
みんなで守るよ そのいのちを 心と体 傷ついても
あなたのいのちは変らないよ 美しく光り輝いてる

生きて 生きて 生きて欲しい かけがえのない あなたのいのちを
生きて 生きて 生きて欲しい かけがえのない あなたのいのちを
あなたのいのちを

 
歌声はこちらのリンクから聴くことがでできる。⇒ クリック

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