愚慫空論

山梨でもコンポジウムを!

まず記しておくべきは、「山梨でもコンポジウムを!」は、訴えである以前に、私の個人的な欲望であるということ。

コンポジウムとは、当ブログではお馴染みの安冨先生が主催する「コンサート」+「シンポジウム」というイベント形式。音楽と学術との融合を目指すと同時に何らかの合意形成は目指さず、参加する者一人一人が、なんらかなの新たな気づきを得て、それぞれに考えを発展させることをめざすもの。

コンポジウムという形式は何年も前から執り行われてきたというが、私がこのイベントを知ったのは、今年の3.28に東京大学で執り行われたイベントから。

 コンポジウムのご案内:「原発事故で何が吹き飛んだか? 
   ~日本社会の隠蔽構造とその露呈~」 (マイケル・ジャクソンの思想)


(その模様は IWJのアーカイブにある(全編視聴は有料) 
             ⇒ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/6770

この「魂の脱植民地化」を考えるというイベント。「魂の脱植民地化」を考えると言いながら、コンポジウムの主旨通り、何を指して「魂の脱植民地化」というのか、その定義が主催者の側から提示されることはなかった。提示のなかったことは、その後モヤモヤとした波紋を呼んだりもした。
『生きるための論語』
その定義を目にすることになるのは『生きるための論語』においてだった。

その後、コンポジウムは【天下分け目の関ヶ原】と題して、第一陣が4.22に福井で。第二陣が6.9に京都亀岡で、第三陣が7.11に金沢で。それぞれ開催されている。

 (第一陣は、残念ながらアーカイブは存在しないようだ。
  第二陣は ⇒ http://iwj.co.jp/wj/open/archives/19237 にて。
  第三陣は、⇒ http://www.ustream.tv/recorded/23910438
         ⇒ http://www.ustream.tv/recorded/23911010
         ⇒ http://www.ustream.tv/recorded/23911185
         ⇒ http://www.ustream.tv/recorded/23912067 )

 (togetter:「コンポジウムは続く」がよくまとまっているので、参考に。)

昨夜、コンポジウム仲間たちとツイートを交わしながら思い出していたのだが、3.28コンポジウムが私に与えた影響のひとつは、時間を動かしたことだった。昨年の3.11以降、私のなかの時間の一部、カタカナで「フクシマ」とラベリングされた時間が、3.11で出現して、出現したまま止ってしまっていた。

止っていた理由は自覚している。傍観者だったからだ。情報は主にインターネットを通じて集めてはいたし、危機感も募らせてはいた。なので、傍観者でいることに忸怩たる思いを感じていた。感じていたが、どう関わっていけばよいのかがわからず、傍観者でいるしかなかった。時間が止っているという感覚は、傍観者でいるしかないというある種の罪悪感を伴っていた。

今年の3月11日には、知り合いから誘われて郡山で開催された集会にも参加し、加藤登紀子の歌や大江健三郎の演説も聞いてきた。デモ行進もしてきた。が、それは余計に傍観者でしかいられない、主張を声高に叫んでみたところで傍観者の立ち位置から抜け出せるものではない、抜け出したつもりになるだけということを思い知っただけだった。時間は動かなかった。

それが3.28コンポジウムをきっかけに、明らかに動き出した。

ちなみに、現在、官邸前をはじめとして抗議活動が活発化しているけれども、活動に自発的に参加する人達の多くも、傍観者でいることが出来なくなったことが動機だろうと思う。しかし、シュプレヒコールを唱和するだけでは、やはり傍観者の立ち位置からは抜け出せない。これは参加してみた私の実感でもある。

たしかに、自分たちの私益のために、原発事故がなかったかのごとく再稼働を進めようとする者たちに対しての「示威」にはなる。そして示威とは数であり、私も頭数の一として参加してみた。しかし、そもそも頭数として自身を認識していること自体が、自己を傍観者に置いているということだ。示威活動においてはそれでいいし、〈非暴力〉を貫くためにはそうでなければならない。が、〈不服従〉という点においてはどうか。傍観者に甘んじているということは、その時点で、国家権力にではないにせよ、何かに服従していることになってしまう。

この点についてはさすがに安冨先生は鋭く、デモの参加者の間に対話が生まれなければ意味がないと指摘されている。非暴力でなおかつ不服従、傍観者から主体者になるには、自発的にイベントで「参加」しただけでは足りなくて、自らも発信者にならなければならない。同じシュプレヒコールを叫ぶだけの拡声器から脱して、自らの声を周囲に発しなければならない。「参加」するだけでなく「つながる」ことで、初めて主体的に〈不服従〉ということができ、傍観者の位置から脱することができる。

  ***

私がこのことを感じたのが、おそらくは3.28のコンポジウムにおいてだった。おそらくというのは、その時点ではまだ、ただ時間が動き出したという感覚だけで、言葉にして把握することが出来ずにいたから。それが言葉になったのは、第三陣@金沢に「参加」して、その後の二次会三次会で浴びたさまざまな情報を反芻してみたなかでのこと。

三次会の場で私は安冨先生に向かって、山梨でもコンポジウムをしたいと言ってしまった。テーマは、脱原発派もちろんだが、山梨においてはアンチ・リニア。新幹線につづく「夢の」高速鉄道。経済指標であるGDPの増加には貢献するかもしれないが、膨大な電力を消費し、原発を前提に組み立てられている「夢」。そんなものは要らない。要らないということを、他ならぬ私自身が主体的に言いたい。そう欲望してしまったわけだ。

だから、これは安冨先生への要請である以前に、私自身の欲望である。

しかし、この「言いたい」という欲望は、必ずしも私自身が壇上に立って発言してみたいということではない。実のところ、私自身はそんな言葉を持ち合わせていないと思っている。私が語りたいことは、このブログで書き散らかしているようなことであって、それがコンポジウムのような場に相応しいとは私自身、あまり思っていない。二次会三次会で語るのならばいいけれども。私が語らなくても、私が欲望するコンポジウムが実現すれば、それは私が語ったことになる。語ることと「つながる」ことは等価だ。

とにかく。私は私の欲望をもとに安冨先生に要請し、安冨先生が面白いと受けて下さったことで、私の欲望は私だけのものではなくなった。しかし、それでも私の欲望には変わりがないので、私は自分の欲望を実現するために動くことになった。

実は正直なところ、言った時点で少し後悔もした。というのも、私は無力だから。金もなければ人脈もない。以前、暮らしていた熊野でならば、どうにかなる伝手はあったろうけれども。こちらでは思い当たるところがない。

でも、なぜか、なんとかなるに違いないないと感じている。伝手がないなら探せばいいだけのこと。探せば見つかるに違いない。そう思い込んでいる。

コメント

おおぉぉ

頭数から活動家へ、ですね。なんとなく素敵だ。
って書くと「活動家」じゃない、って言うんだろうけどね(笑)

>私は自分の欲望を実現するために動くことになった。

ってのを・・・実現するために「働く」ことになった、、、、と誤読してしまった。
ちょっと良い感じな誤読でしょ??

時、来たれり。かな?

・毒多さん、こんにちは。

反原発運動のうねりはかつてないものになってますね。すごいですね。
昨日の10万人集会? いつものお仲間からお誘いがかかっていたんですけど、パスさせてもらって働いていました。途中、休憩時に携帯からツイッターで、とても盛り上がっている様子を確認して、とても嬉しくなったりして。

でも。脱原発は第一歩でしかないから。本当に大変なのはその先です。どんなふうに私たちの暮らしを立て直していくのか。原発がないのは当たり前。でも、電気使い放題も当たり前、では暮らしを立て直したことにはならない。節電でもダメです。それは今までとおなじで我慢するということだから。我慢は傲慢の裏返しでしかありません。

もちろん、電気がまったく必要ないと言いたいわけではない。電気を使わない方が幸せになれる。暮らしをそのように立て直していかなければならない。「なければならない」。そう、だから、毒多さんがおっしゃるように、「運動」です。それを始めてみようかと。

脱原発。アンチ・リニア。その先にあるのは「里山」の暮らしです。

私はずっと以前から、毒多さんのところへ出向いては「運動」を批判しつつ、いつか自分がそういうことを始めるだろうなと思っていました。やらざるを得なくなるだろうと思っていました。ぼちぼちその時が来たのかな、という感じです。

それはそうと。このコンポジウム。まだ実現されるかどうかは確定していませんが、敦賀でも開催するよう「運動」が進められています。私もまた出向くつもりです。毒多さんもおいでになりませんか?

ノーリニア

アンチ・リニア!!!
私を含む電磁波過敏症の人々にとっては、殺人的装置以外の何者でもありません。
この観点から話して下さる人はいらっしゃいますし、場合によっては私でも。
電磁波に対して一定の過敏性を持つ人が、それを身体の欲求に反して我慢して、
過敏性が生活に著しい支障をきたし電磁波過敏症と呼ばれるまでになる、
この過程は魂の脱植民地化と決して無関係ではありませんし、
電力会社が公表しないよう強力に情報統制してきた点も看過することはできません。

久しぶりに電磁波過敏症絡みで書いてたらちょっと熱くなっちゃいました。

よしこさん、おはようございます。

そうそう。リニアには電磁波の問題も絡んでくるのでしたね。それも重要な論点。

利便性と引き替えに、私たちがいかに多くのものを犠牲にしたのか。
その犠牲を引き受けているのは誰か。
受益者応分負担になっていないことは、原発でも明らか。リニアもそうなるでしょう。

コンポジウム@山梨は、具体的なことは何も決まっていませんが、よしこさんには是非ともおいでいただきたいと夢想しております。トークと、それから歌も。

1年後のオフ会は・・・

おはようございます。

>「運動」を批判しつつ、いつか自分がそういうことを始めるだろうなと思っていました。

そうだったんですね。長い長い準備期間のため、ときとして「批判」としか見えなかったので、そうした面では多少勘違いしていたかもしれません。でも、今回ついに「動くんだ」と知り、嬉しくなりショウモナイ内容ですがコメントしてしまいました。いいですか、「嬉しく」ですよ。嬉しく(笑)。なんでなんでしょうね(大笑)。
かれこれ6年以上でしょうか? 愚樵さんは、おそらく、机上の箱のなかのみの論者に対してのみならずリアル運動家(私ではなくてね)にも批判していた記憶があります。そうした批判も「時、来たり」の準備だったんですね。ということでリアル行動は嬉しいのかもしれません。・・・と、こういう書き方をする自分は「批判については」箱の中のみで完結する人をあまり好んでいないのかもしれない、ということを再認識。

コンポジウムのお誘いありがとうございます、かつて南川に誘われたように嵌るのかな? 状況も、思索もなにもかもがあの頃とは違うので、同じようにはならないと思います。
多分今の愚樵さんがそうであるように、「時が来た」というのは後で認識するものだと思っています。「時が来た」ときは思考よりもさきに身体が動いている。誰か大切な人が病気で入院したと耳に入ったとたんに、考えるより先に病院に飛んでいっている、、、というのような感じ。思考より先に動いている。愚樵さんにとっては、最初に東京に行った時がその時か? 今回まだ、私はいろいろ考えてしまっています。実際にお誘いを受けた時に身体が動いているかどうかは、いまはまだわかりません。とはいえ、敦賀が決まったら教えて下さいね。
山梨の会は、まだ先になりそうですかね?
1年後にオフ会しましょう、といっていたそれが、山梨の会とあわせてなら、「(私にとって)時が来て無くても」参加します(笑)

日本列島改造論・総里山化計画という壮大な運動はとっても好感がもてます。

ごめんなさい。嘘をついてしまいました m(_ _)m

・毒多さん、こんばんは。

「運動」を批判しつつ、いつか自分がそういうことを始めるだろうなと思っていました。

これ、嘘です。どう嘘かというと、実は私はいろいろと「運動」には首を突っ込んではいたのです。「9条の会」にはかなり労力を投入しましたし、森林ボランティアだのなんだのと、声がかかるととりあえず首を突っ込んでみて、それなりに「運動」はしてみるのが私の流儀なんです。実は。

けれども、そうした「運動」が“そういうこと”でなかったことは間違いない。だからブログには書かなかったし、私のなかでは「運動」をしていたという意識もなかった。つまり、自らの欲望としてやっていたわけではないんです。いうなれば「お付合い」。

そんな「お付合い」をブログに書いてしまったら、批判で埋まるに決まっています。それがわかっているから書けなかった。書いて言葉にしてしまうと、「お付合い」すら出来なくなってしまう。今はできると思いますけど、少し前までは無理だった。それで、毒多さんのところへお邪魔しては「代償行為」をしていたのです。ゴメンナサイ。

(↑ というようなことも、今、気がつきました。なお、少しいい訳をしておきますと、護憲運動を批判していた頃には、私はリアルな護憲運動からは既に足を洗っていました。)

そんなわけなもので、先のコメントを書いたときには、実は自分が嘘をついているという意識は全くなかったんです。新たにレスを書こうとして、ふと気がついた。そういえば自分はこれまでも「運動」はしていたじゃないか、と。お粗末なものです。

しかし、これも弁解をさせてもらえば、「愚樵」というHNを名乗っている架空の人格と、井ノ上裕之というリアルな人格とが統合されつつあるということです。そういう流れの中での「時、来たれり」なんだと、自分では理解しています。

コンポジウムのお誘い

毒多さんにお目にかかるのは、提案のあったオフ会の予定には私の中でもなっていたのですけどね。まあ、これも流れのままにです。

敦賀もしくは山梨での開催が具体的に決まれば、連絡します。ツイッターをまだご覧なら、まずそちらに出ると思います。そのときの「身体の動き」をお知らせ下さい。笑。

ところで。 「南川」とか「木島」とかは実名? じゃないですよね。

実現しましょう!
八ヶ岳周辺にも安冨先生の本をMLで紹介していた人や、興味を持たれている人がいますよ。
そして、アンチ・リニアは山梨にも山の向こうの長野にもいっぱいいます!!
声が上がれば割と早く動き出すんじゃないかな。こちらも山梨、協力するよー♪

当てにしています

・ゆめやえいこさん、おはようございます。

えいこさんには、来週お目にかかる際にお話をしようと思っていました。実現させてみたいと欲望したはいいものの、私には伝手もなんにもないので。えいこさんならそうした繋がりをたくさんお持ちだろうと、想像しておりました。

当てにしているのは、えいこさんの歌も。『あめつちの祈り』は絶対に必要です。テーマは、脱原発からアンチ・リニアそして里山主義へと連なってきますから。よしこさんとダブル歌姫でいけたらと。これもまた勝手な夢想。

開催地も含めて、私ひとりではなにもかも全部に目処が立ちません。私の居住地は富士山の麓ですけども、アンチ・リニアで長野の人達と繋がれるのであれば、八ヶ岳の方が良いかもしれませんね。とにかく、まず、人を集めることから始めなければ。

よろしくお願いします。

ダブルうたひめ。

わーい!ゆめやさんと競演!
葉山でお話していたことが実現しそうですね♪
ぜひ参加させて頂きたく存じます。
どうぞよろしくお願いします☆

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