愚慫空論

福島神社を創建すべし

今朝から神様のことを呟いていた流れで。

先のブログ記事でまとめた平智之議員の発言にも出ていた、福島第一原発を「石棺」にし、原子力産業の「墓標」にせよという話。私はもっともだと思うと同時に、それは神社にしなければならないと思った。3日ほどまえにそんなツイートもした。

平智之議員が主張する、墓標としての「石棺」。実現すれば福島第一原発は、21世紀の出雲大社になるかも。


福島第一原発を「墓標」とすることは日本の未来のためにもぜひ実現せねばならないが、それが21世紀の出雲大社だというのはその由来と、さらには社の構造からも妥当性がある。

創建の由来については、Wikipediaより引用。

創建伝承

出雲大社の創建については、日本神話などにその伝承が語られている。以下はその主なものである。

・大国主神は国譲りに応じる条件として「我が住処を、皇孫の住処の様に太く深い柱で、千木が空高くまで届く立派な宮を造っていただければ、そこに隠れておりましょう」と述べ、これに従って出雲の「多芸志(たぎし)の浜」に「天之御舎(あめのみあらか)」を造った。(『古事記』)
・高皇産霊尊は国譲りに応じた大己貴神に対して、「汝の住処となる「天日隅宮(あめのひすみのみや)」を、千尋もある縄を使い、柱を高く太く、板を厚く広くして造り、天穂日命をに祀らせよう」と述べた。(『日本書紀』)
・所造天下大神(=大国主神)の宮を奉る為、皇神らが集って宮を築いた。(『出雲国風土記』出雲郡杵築郷)
・神魂命が「天日栖宮(あめのひすみのみや)」を高天原の宮の尺度をもって、所造天下大神の宮として造れ」と述べた。(『出雲国風土記』楯縫郡)
・垂仁天皇の皇子本牟智和気(ほむちわけ)は生まれながらに唖であったが、占いによってそれは出雲の大神の祟りであることが分かり、曙立王と菟上王を連れて出雲に遣わして大神を拝ませると、本牟智和気はしゃべれるようになった。奏上をうけた天皇は大変喜び、菟上王を再び出雲に遣わして、「神宮」を造らせた。(『古事記』)
・659年(斉明天皇5年)、出雲国造に命じて「神之宮」を修造させた。(『日本書紀』)[4]

伝承の内容や大社の呼び名は様々であるが、共通して言えることは、天津神(または天皇)の命によって、国津神である大国主神の宮が建てられたということであり、その創建が単なる在地の信仰によるものではなく、古代における国家的な事業として行われたものであることがうかがえる。


大まかに言えば、現天皇家につながる(と言われている)大和王朝が、出雲にあった別の国を滅ぼし、その王を「墓標」を国家事業として建設した。さらには墓守まで付けて、長年にわたって監視している――というもの。

我々は原子力産業、いや、日本の根幹を支配している「原発帝国」を滅ぼさなければならない。滅ぼしただけでは足らず、「墓標」を国家事業で建設し、その監視を長年にわたって続けていかなければならない。これはまさに、出雲大社の由来と同じである。

原発帝国は、平議員の弁によれば、福島をキレイに片付けてお花畑とし、何ごともなかったかのように原子力産業を維持しようと目論んでいる。が、こんなふざけた話はない。このようなことを許してしまったら、たとえ原発が事故のない安全なものになったとしても、この国は滅びる。

福島の「墓標」と出雲大社に共通するであろう、構造。出雲大社の本殿は下のような配置になっているという。


(図のクリックで引用元へリンク)

面白い構造だが、これは監視と考えれば辻褄がある。監視されているのはこの神社の主神たち、つまり御神座に位置する神神。「御客座五神」とは、監視官だろう。そして参拝客は南から北へ、すなわち監視官に向かって参拝する。監視を礼賛する構造になっているわけだ。

この構造は、そのまま在るべき福島第一原発の「墓標」の姿だろう。「墓標」のなかの主神、すなわちメルトダウンした核燃料の三柱。それらを監視する墓守が必要で、我々は、その墓守を讃えなければならない。まったくと言っていいほど、同じ構造だ。

だから、というわけではないが、福島第一原発の「墓標」は神社にしなければならない。それも出雲大社をモデルにしたものでなければならない。かつての大和朝廷が出雲大社を墓標としたことを通じて新たな国作りを行なったように、21世紀の日本も同様のことを行なわなければならない。

さらにいえば、福島を本宮として分社も必要だろう。全国で何カ所必要だろうか。泊。六カ所。東通。大間。女川。東海村。柏崎刈羽。浜岡。志賀。敦賀。美浜。大飯。高浜。もんじゅ。島根。伊方。玄海。川内。まだ他にも必要かもしれない。


コメント

こんにちは
歴史観があるとはこういうことなんだと、眼を見晴らされる
思いでした。まさしくそのとおりだと思います。石墓化=神社として
子々孫々永遠にその欲望毎封印するということなのですね。
原子力村の連中の勝俣辺りが神として祭られるとはすごい
皮肉です。

ファンタジー

・tennyuuさん、おはようございます。

いえ、これは一種のファンタジーです。笑。

まあ、でも、歴史観なんてものがそもそもファンタジーなのかもしれませんね。

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