愚慫空論

みかんが3つとりんごが4つ。合わせていくつ?

答えは「7つ」。

正解ではあるが、答えはこれだけではない。

足し合わせることが出来ない。

そういう答えもありのはずだ。

なぜみかんとりんごを足し合わせてしまうことが出来るのか?
みかんはみかん。りんごはりんごなのに。
そんな素朴な疑問を抱いてみたことはないか。

(問いが、合わせて果物がいくつ? なら、正解は7つしかない。)

私たちは、無意識のうちに3つのみかんと4つのりんごとを足し合わせてしまう。
それは、みかんからみかんを切り捨て、りんごからりんごを切り捨て、ただ数として見てしまうからだ。
そういう「心の習慣」を知らずのうちに身につけてしまったから。

「7つ」と答えることが出来るというのは、概念化の第一歩。抽象概念を操る能力を身につける第一歩である。
それはいい。

だが、そうした能力を身に付けることと引き替えに、みかんがみかんであること、りんごがりんごであることを忘れてしまったのなら、それを進歩や成長と呼ぶことが出来るのだろうか。
新たな能力と引き替えに何かを喪失するのなら、それは交換でしかない。


人類が今日の繁栄を手にすることが出来たのは、「7つ」と答える能力を身に付けることが出来たからだ。
これなしには科学はない。ニュートン力学が生まれることもなかったはずで、そうであるなら、物質的には豊かな現代の生活を彩るさまざまな商品もなかったはずだ。

ニュートン力学を超える相対性理論を発見したアインシュタインは、

すべての人は天才だ。しかし、もしも魚が木登りの能力で評価されるとしたら、その魚は自分をばかだと思って一生を過ごすだろう。

と言ったという。
そのアインシュタインに冒頭の問いを投げかけてみたら? 私は「7つ」とは答えなかっただろうと想像する。

物質的な豊かさと幸福とは必ずしも符合しない。
それは現代の日本に暮らす者ならだれでも知っている。
人間を幸せにするのは、他人の評価だ。

自らをばかだと思っている人間が幸せなはずがない。一方、天才だと思っている人間は幸せだろう。
相対性理論を発見したアインシュタインが言いたかったのは、すべての評価は相対的だということだろう。
万の尺度でみれば、どんな人間だって天才であるに決まっている。

しかし、いまの私たちの社会は、私たち自身を万の尺度で測っているだろうか。
みかんはみかんの尺度で、りんごはりんごの尺度で測っているだろうか。
物質的な繁栄と引き替えに、尺度を交換してしまってはいないだろうか。

私は物質的にも度豊かで、そしてかつ幸せな社会を築くことはできると信じる。
それを可能にするのは、みかんとりんごを足し合わせることを学ぶと同時に、足し合わすことも出来ないことも学ぶことである。
別の言い方をすれば、経済成長をGDPといったようなたったひとつの尺度で測らないことだ。
万の尺度でもって測ること。

できるはずだ。現代はそれができる社会的インフラも整った。
「ビッグデータ」を扱うことができる情報化社会だ。
我々に必要なのはさらなる技術の開発、新しい技術よりも、技術の新しい使い方。

それは真の意味でのイノベーションを伴うものになるはずだ。

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