愚慫空論

生きて在ることの「負い目」

昨日は10年前の記憶についてだけ、書いてみた。今日は、それに付随することを、少しだけ。

私は特にその人と親しかったわけではない。出会って数ヶ月で、山仕事をたまたま一緒にしていただけ。また、同じ仕事をしていたにしても、動機は違う。だから距離感もあったし、それを埋めようと思っていたわけでもなかった。私も、おそらくはあちらも。プライベートなつきあいなんか、全然なかった。

といって、悪い印象を持っていたわけでもない。少しシャイな感じで、いい人なんだろうと感じていた。

正直なところ、私はこの事故そのものは、かなり冷静に受けとめていたと思う。そういったことはありえると思っていた。いつ来るかはわからないけれど、いつかは来ると、どこかで「覚悟」をしていた。その「覚悟」は今もある。

実は私が山で事故に遭遇したのは、これが初めてではない。林業に従事してからは初めてだったが、それ以前から別の形で山に関わっていたので、そうした事故に遭遇することは幾度かあった。冷静さと「覚悟」は、そうした経験から来ていたのだろうとも思う。この後も、職場が変ってからだが、同種の事故には二度遭遇している。

けれど、そんななかでも、この事故はなぜか特に印象に残っている。なぜか。私はそこのところを、ずっと考えていた。


この事故から一年間、私は月参りをした。そんなことをする義理があったわけではない。故人との生前の関係においても、事故との関係においても。私はこの事故に関して、責任を追及されるような落ち度はないと言っていい。けれども、なにか釈然としないものがあって、そういう行為をしてみた。が、釈然としないものが腑に落ちたわけではなかった。

その後、私は紀州から山梨へ移ることになる。引越しの前に挨拶はしてきたが、それ以来、墓へ参ることも出来なくなった。そして、思い出すこともなくなった。6月5日という命日も、意識しなくなっていた。

私が自分の釈然としないものの正体に気がついたのは、最近のことだ。そういう気づきがあって、それがたまたま6月5日の少し前で、思い返してみれば10年目。それで、昨日のような文章を書いた。今日のこの文章を書くための前振り(でしかないわけではないつもりだが)。

私はその人の死に「負い目」を感じた。今も感じている。落ち度があったからではない。「覚悟」があったからである。

「覚悟」があったのに、それが私のところへではなく、その人の所へ行った。だから「負い目」が生まれる。

日々山で仕事をしていると、いくら技術を磨こうが、避けることができないものがあることを思い知らざるをえない。私が今、ここに生きて在るのは、必ずしも必然ではない。もしかしたら幸運な偶然の積み重ねでしかないのかもしれないのだ。実際に、そう感じさせるような局面を私はいくつも通り過ぎているし、そしてそれは私だけではない。そんななかで、たまたま通り過ぎることが出来なかった人。そんな人に対しては、「負い目」を感じずにはいられない。

もし「負い目」を感じないとしたら、それは「覚悟」がないからであろう。「覚悟」ができず不運の可能性から目を逸らしてしまうと、それは同時に「負い目」からも目を逸らすことになるだろう。自分自身を翻ってみても推測できるが、そういう時の人間は、どうしようもなく酷薄な存在になることができるものだ。

こういった感覚は、決して他人に教えることが出来る類のものではない。自身で学び取るしかないもの。その人は、私にその学びの機縁を与えてくれた。深く印象に残っているのは、そのためだろう。

  ***

戦後の日本は、豊かで幸福な一時代を築き上げた。それが現在、内部からの腐食で崩れ落ちようとしている。私はそんなような印象を持っているが、同様に感じている人も多かろう。また、その原因は日本人の心の荒廃に求められると考える者も私を含めて多かろうが、「負い目」がなくなったからだといったような話はあまり聞かない。が、私はこれこそが、心の荒廃の理由なのだと思う。

競争は必ずしも悪いことではない。競争は切磋琢磨でもあるのだから、人間が成長していくのに必要なことであるのは間違いはないのだ。だが、必要なのはそれだけではない。勝つことへの「負い目」もまた必要だ。だが皮肉なことに、豊かで幸福な社会になるほど、「覚悟」が求められることがなくなっていく。人々もまた、「覚悟」を忌避して「安心」を求めるようになる。

しかし。

この先は、否が応でも「覚悟」が求められ、皆が「負い目」を背負う世の中になっていくことだろう。残念ながら、日本はそのような宿命を負ったと断言してしまってよいと思う。

運命には抗うことはできよう。が、宿命に抗う術はない。あるとすれば、それを受け入れることだけ。宿命を受け入れることが、運命に抗うことになる。天命は、その先で知ることができる。

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