愚慫空論

自然信仰から切り離された怨霊信仰

昨日の「ご先祖様」という記事で、日本人が昔もっていた自然信仰について触れた。そうしたら(というわけではあるまいが)、『遠方からの手紙』のかつさんのところでも「不思議の国「日本」」という記事をアップされていて、

まことに、現代日本という国は、最先端の科学と技術を誇る消費資本主義という高度な段階にまで達する一方で、原始的な心性があちらこちらに残っているという 「不思議の国」 なのであり、世界的にもまれな、人類学的にも貴重な社会であり国家なのである。

なんて書いておられた。同意。
ただ少し引っかかったのは「原始的な心性」と表現されているところ。これは記事冒頭のフレーザーの 『金枝篇』からの流れだから「原始的」は論理的には正しいのだけど、私はそもそもフレーザーが「原始的」としたのが誤りであると思っている。「原始的」ではなく「基本的」とでもすべきだ。

ここらあたりは日本人の価値観・世界観の根幹に関わる大変重要な問題だと私は考えている。ここではあまり深入りはできないが、最後に少しだけ触れてみようと思う。
で、まず考えたいのは最先端社会と「原始的」な心性とが同居しているということ。そしてこの同居は、どうにも不幸な同居のようにしか思えないということ。



かつさんの前だったか後だったか忘れたが、昨日は久々に『きっこのブログ』も見た(「あたしは絶対に許さない!」)。一言で言うと、このごろ流行の「死刑にしろ!」という煽り記事。一月ほど前名古屋で磯谷利恵さんという、うら若き女性が鬼畜ともいえる三人に惨殺された事件について。ご丁寧にも利恵さんの母上の手記を掲載し「極刑陳情書」へのリンクも貼り付けてあった。


私も母上の手記を転載させていただく。

許せない!はらわたが煮えくり返るような怒りが、身体中に込み上げてきます。最愛の宝物の利恵を残忍な手口で奪った殺人者の、何のどこを弁護する必要があると言うのでしょうか。

神田が被害者の背後から羽交締めして、堀と川岸が暴れる被害者を押さえつけ、被害者がぐったりしたところへ、堀がハンマーで被害者の頭部を3発殴った。被害者の血が飛び散り、堀が殴るのを止めた。その後、綿のロープで被害者の首を堀と川岸が絞めた。被害者がもがくので、神田と堀が被害者の顔面にガムテープを巻いた。顎から額までグルグル巻きにした。そして、その上から、レジ袋を被せ、首の部分をガムテープで止めた。被害者はぐったりしたが、未だ生きている様なので、神田がハンマーを取り、被害者の左側頭部を30回殴打して、被害者は死亡した。

何の関係も落ち度もない人に、これほどの行為ができるのでしょうか。利恵を惨殺するまでの、鬼畜生にも劣る行為を知るにつけ、あまりの残酷な行為に怒りを抑えることができません。このような凶悪な犯罪者にも弁護士がつくのです。何の弁護が必要なのでしょうか。私には納得できません。同じ恐怖と苦しみを味合わせながら、この手で同じように抹殺してやりたい!これが偽らざる気持ちです。尊い命の代償は、同じく命で払ってください!!

これから先何を楽しみに生きていけば良いのかわかりません。ただ利恵の敵を討たせてください!無念を晴らさせてください!と祈るばかりです。

拉致されてから駐車場で命を奪われるまでの利恵の恐怖と苦しみを思うと、可哀想で居たたまれない気持ちで一杯になります。できることならもう一度、大丈夫だからねと言って利恵を抱きしめてあげたい。泣き明かすだけの弱い母では利恵も心配すると思い、一生懸命気を張って我慢していますが、つい利恵を思い涙が止まらなくなります。

あえて、悲惨な部分を記載したのは、この凶悪犯罪を二度と繰り返させないためにも、犯人達を極刑にするためにも、全国の皆様のお力が必要だからです。どうかご理解とご協力頂き、娘利恵の無念を晴らさせてください。お願い致します。

平成19年9月11日  磯谷富美子


なんとも悲痛な叫びである。母上の心情は察するに余りある。心を揺さぶられずにはいられない。磯谷利恵さんに合掌....。

けれど私には、心を揺さぶられつつも、どこか納得できないところがある。“なぜこんなところにまで堕ちてしまうのか”という疑問がある。“堕ちてしまう”などと書くと反発があるかもしれない。しかし、そう思う。致し方ないことではある。思いもよらぬ不幸が見舞ったのだから。復讐の鬼と化してしまうのが“人間として当然のこと”であるという主張にも一理あると思う。だが“人間として当然のこと”には「反面」がある。その「反面」が失われてしまっている。「反面」の喪失により母上は“堕ちてしまう”。そう思えて仕方がない。


昨日はそんなことを思いながら、けれど上手く考えがまとまらないでいた。で、一晩寝て起きると考えがまとまっていた。“人間として当然のこと”とは怨霊信仰であり、喪失した「反面」とは自然信仰ではないか、と。


私は昨日の「ご先祖様」で次のように書いた。

やがて人は寿命を迎え、肉体は自然に帰ると同時にその魂も自然の中へ帰っていくと信じられていた。そして自然の循環の中で、穢れた魂は再び浄化される。ご先祖様とは魂浄化の過程にある人、もしくは浄化の完了した人たちのことであり、「ご先祖様信仰」とはすなわち「自然信仰」に他ならなかったのである。

人間はそもそもからして穢れていくものだが、それでも寿命を迎えて死んでいくのは穢れの少ないあり方である。もっとも強く穢されるのは、不慮の死を遂げたとき。そうした魂はより丁重に弔わなければ祟る。「ご先祖様」にはその例として行き倒れになった人の立派な墓を挙げたが、日本の歴史上を見るとそうした実例はごろごろ転がっている。近いところでは靖国のA級戦犯たち。

 靖国に東条英機や広田弘毅らA級戦犯が祀られたということも、おそらくは、占領からの独立回復後に復権を果たし、総理や大臣、国会議員などにまでのぼりつめた、岸信介やその他の人々の、彼ら処刑者に対するやましさのようなものの表れなのだろう。

 ようするに、彼らは東条や広田らが怨霊となって、平安の御世の道真や将門、崇徳上皇らのように災いをなすことを恐れたのである。
(『遠方からの手紙』「不思議の国「日本」」より)

天神様として全国で祀られている道真。最先端企業の集まる東京大手町で未だに篤く敬われているという将門。日本一の大魔王とまで呼ばれ、天皇の治世を覆して武士による政治を実現させたと考えられていた崇徳上皇(だから武士から天皇へ大政奉還の折、元号を慶応から明治に改元する(天皇の治世を再開する)にあたっては、讃岐にあった上皇の御霊が京都白峯神宮に帰還するのを待って行われた)。他にも聖徳太子も怨霊であるとする説が最近では定着しつつあるようだし、日本史は怨霊の歴史という認識が広まりつつある。


さて、そうした目でもう一度、磯谷利恵さんのお母上の手記を見ていただきたい。

さすがに科学信仰の行き渡った現代社会であるから、“怨霊が祟りをなす”といった非科学的なところは抜け落ちている。霊が現実世界に影響を及ぼすという発想は、もうない。しかし、怨霊信仰の元となる穢れ信仰はどうだろうか。
母上は、“あえて、悲惨な部分を記載した”。これにはふたつの意味があるように思う。ひとつは“全国の皆様のお力が必要だからです”という理由。だが重要なのは、もうひとつの方だろう。それは“利恵さんがいかに強く穢されたか”を訴えることである(きっこの方は、殺害される前の利恵さんの“無垢な姿”を描写することで、そうした訴えがさらに強調されている)。

この訴えは怨霊信仰を同じくする者には心に響く。響く故に、裁判という争いの場(これも穢れの場である)での、容疑者の弁護という、さらなる
【穢れ】を呼ぶ行為に対しての、母上の嫌悪感に同調してしまう。ここでは法治主義の基本である、国家権力(被告を犯罪者と断じ、刑罰を科す)への怖れなど微塵もない。被告の味方は【穢れ】を為す者としてただひたすら忌避される。

どうだろうか。
【穢れ】への信仰、ひいては穢された魂が堕ちてしまうとする怨霊信仰は読み取れないだろうか。現代では怨霊はもはや祟りをなすことはないにせよ、穢された魂であるとの無意識下の発想、つまり怨霊信仰は存在していないだろうか。
ここらは見解が分かれるところかもしれない。だが、そうでないというのなら、被告弁護人への生理的とも言える嫌悪感をどう説明するというのだろうか。


怨霊信仰はいまだ日本には存在するとして話を進める。そうすると問題になってくるのは、死刑推進論者たちの言う“人間として当然のこと”の「反面」、自然信仰である。
自然信仰は、自然が穢された魂が浄化される場であるとする信仰だ。これは【穢れ‐清め】ということで怨霊信仰と対を為すものである。
【穢れ】があるところには必ず【清め】がなければならない。

では、もういちど母上の手記を見てみよう。どこに【清め】があるのか。残念なことに【清め】が見当たらないのである。古来から日本人の魂を清めてきた自然の存在は、ここには何も感じ取れない。かといって、自然に代る【清め】の存在も、ない。あるのは【穢れ】だけなのである。(そのことが“堕ちてしまっている”という印象を持つ原因だ)
だが【穢れ】を忌避する感情、穢された魂を浄化させようという感情は生きている。では、そうした感情はどこへ向っているか。【穢れ】を浄化する場が失われた怨霊信仰は、せめて【穢れ】の元を断とうという方向へ感情のエネルギーが流れ込んでしまっているのである。それが容疑者を極刑にせよ、という陳情書になっていく。

さらに、ここで“全国の皆様のお力が必要だからです”という理由が効いてくる。信仰は個人ひとりひとりの心の奥底にあるものだが、それだけでは効力とはなりえず、たえず皆の賛同を要求するものでもある。強く穢され怨霊と化した魂は、神社等に祀り上げられ広く皆の崇拝を得なければならないが、現代の怨霊信仰はもはや浄化の場を失ってしまっている。そこで広く崇拝を得る対象が「【穢れ】の元を断つ」、極刑の陳情という形になって集まってしまうのである。


最後に、上で予告したように“日本人の価値観・世界観の根幹に関わる大変重要な問題”について触れて見たい。

上で私は、「原始的」でなく「基本的」とすべきだと書いた。「基本的」と考えれば最先端とは「同居」ではない。「基本的」な土台の上に「最先端」が乗っかっていることになる。そしてこの「最先端」が歪んでいるのである。

どうも日本人の世界観の基本には、いまだに怨霊信仰が居座っている。その土台の上に構築物としての西洋起源の法治主義の思想が乗っかり、近代国家としての日本を形成している。その「最先端」が高度は消費資本主義社会である。

だが、日本人の土台には法治主義は上手く乗っからないようだ。被告弁護人への言われなき忌避感がそれを象徴している。また西洋発の自然支配の発想も、怨霊信仰と対を成すべき自然信仰を切り離してしまっている。

土台と構築物がマッチングしていない。この問題とどう向き合うか。土台を入れ替えるか、もう一度構築物を立て直すか。
土台を入れ替えるのはなかなか容易なことではない。土台の入れ替え作業は明治維新から始まっているといえるだろうが、進捗状況は捗々しくない。入れ替えどころか、土台の切り崩しに過ぎないような気もする。
さりとて、構築物を入れ替えるのも難しい。この構築物は、いまや日本だけのものではない。いわば複数の土台にひとつの構築物が建っているような構造になっている。ひとつの土台がこの構築物に合わないからといって、構築物全体を立て直すなんてことも出来そうもない。

ただこの構築物は大きくなりすぎているようではある。複数の土台に支えられてはいるが、その土台が持たなくなるほど大きくなり、土台が沈み込んでしまいつつある。地球温暖化に代表される環境問題だ。

コメント

靖国神社と怨霊信仰

靖国神社と怨霊信仰が関係しているのは間違いないでしょう。
尋常でない死、非業の死を遂げた亡骸は、懇ろに弔わないと成仏できず此の世に止まって怨霊と為り現世に仇をなす、と考える怨霊信仰は千年以上の歴史を持つ日本独自に発達した自然信仰の1つです。

ただ記事の弁護士叩きや穢れとは少し違うのではないでしょうか。?
名古屋通り魔殺人事件関連の色々は、光市事件のマスコミの煽り記事の悪影響が顕著に現れています。光市事件の本村氏が支持されるなら当然自分も、と考えても致し方ない。

光市事件弁護士叩きは、昨今の朝青竜叩きやファルージャ掃討戦のあおりで拘束された日本人人質に対するバッシングとの共通点が存在する。
法律には違反していないが、村(共同体)の申し合わせには違反した(無視した)弁護士や朝青竜や日本人ボランティアを集団で吊るし上げる。
村(社会)の暗黙の了解ごとを法律よりも上位にあるとする社会は法治国家ではないし近代国家でもない。

過剰な民俗史観と思われるものがここにもありそうです.穢れ信仰,みたいなものなんですが.
まず,岸信介あたりが「後ろめたさ」を持つのは,そのとおりだと思いますが,怨霊を鎮めるため,とは飛躍を感じます.そりゃ,冗談半分では思うかもしれませんが,合祀の強い理由までそれで説明しようとするのは???です.あと,弁護士バッシングは,布引さんおっしゃるように,イラク人質バッシングと同じ心性を感じます.それはヨーロッパで泥棒を火あぶりにするのとも似てないでしょうか.完璧に同じとは言いませんが.

こんにちは!
愚樵さんのブログはなかなか難解で、お馬鹿な私にはうまく理解できないんですが、、この事件に関しては極刑は難しいでしょうね。
ひさしぶりに「きっこのブログ」も拝見しましたが、燃え盛る炎を前にして、サーっと冷めてしまいました。
被害者感情と社会的影響は考慮されるべきだとは思います。でも どんな死に方にしろ殺され方にせよ、そして 残された家族が母ひとりであろうと5人であろうと、遺族の無念さは同じなのです。個人的な事情を取り上げて国民感情を煽るのはどうかと思いました。

それよりも 性犯罪に対しての認識の甘さや 刑法39条のほうが社会的に大きな問題だと思うわけですが。。なんとかならんもんですかねー。

言及どうもです

日本の近代の二重性というのは、戦前の講座派マルクス主義以来、大塚史学や丸山政治学を含めて、古くて新しいおなじみの課題の一つです。
大塚や丸山は、ヨーロッパを理念化して、日本の後進性を言い立て近代化の必要性を主張し続けたわけですね。
しかし、実は欧米にしても合理的・理性的な自立した個人ばかりで構成されているわけではない。
ヨーロッパというものは、実は日本人が考えている以上に歴史的に重層化された社会なのでしょうし、東洋思想や各地の先住民の自然観などに対する欧米人のいささか憧れじみた関心なども、そのあらわれなのでしょう。
人間というものは、Mr.スポックのように完全に合理的ではありえないし、実は感性や感情のような非合理的な部分に人間の基底はあり、新しい可能性というのもそこからしか発生しないのだろうと思います。
私の記事のほうはやや揶揄的な書き方をしてしまいましたが、原始的イコール遅れた駄目な部分、恥ずかしい部分とは必ずしも考えてはおりません。そこはちょっと微妙ないわく言いがたしというところですね。

靖国と怨霊

怨霊を祀るというのは,法隆寺にしても何にしても,相手が自分と同等かそれ以上でないと実現されないと思います.靖国は国が庶民の国家への殉死を美化するためであって,まさか国が庶民の怨霊を怖がって作ったはずはないのです.庶民がその形式で納得するだろう,と言う点には日本独特の信仰(神となって還る)があるのですが,国家がその怨霊を怖がって作ったとはとんでもないこじつけでしょう.法隆寺とは全く違うと思います.
それから,別の記事にあった,熊野参道に往き倒れの人にも立派な墓が建てられている,というのも,きっとそのお方は高貴な人のはずなのです.単なる庶民にそんな墓をいちいち建てていたらそこらじゅう,立派な墓だらけになってしまいます.

きちんと罪を憎め

愚樵さん,上のママちゃんさんのコメント,『「それよりも」性犯罪に対しての認識の甘さや・・・』とありますが,なんで『それよりも』なんでしょう? これは愚樵さんのせいとは言いませんが,まずやるべきことは被害者の遺族の態度云々ではないはずです.一番大事なのはきちんとした罪の総括でしょう?これだって最高レベルのひどい犯罪です.
もちろん,愚樵さんはそのことは良くわかっていらっしゃる.わかった上で,被害者の遺族が鬼道に堕ちてしまうことをとても不憫に思っていらっしゃる,それでこういう記事になるわけです.
しかし,物事の順序がわからん人は,遺族の態度に対する批判をみるとそれにすぐ同調して,発生した犯罪の重さを忘れてしまうのです.
愚樵さんがあまりにいろいろなものを一つに書きすぎるから,本筋が読み取れなくなるのだと思います(^o^;)
ママちゃんさん,すみません.

メンタリティーにも理由はある

>光市事件のマスコミの煽り記事の悪影響が顕著に現れています
>光市事件弁護士叩きは、昨今の朝青竜叩きやファルージャ掃討戦のあおりで拘束された日本人人質に対するバッシングとの共通点が存在する

私もその通りだと思います。光市の事件のことは言及しようかと思ったのですが、私としてはわざわざ言及するまでないほど明確に影響を受けていると思っていましたので...。

人質バッシングにしても光市の事件にしてもそうですが、ああした大衆メンタリティは何の原因もなく突如として湧き上がるものではないはずです。遺族の復讐感情は万国共通のものでしょうが、人質バッシングのメンタリティはおそらく日本特有。欧米人には理解できないでしょう。
人質バッシングと光市事件および死刑支持の大衆メンタリティに何らかの関連があるとするなら、それは日本特有のもの。そうなると怨霊信仰という話は、それほど的外れなものとは思えないのです。

「怨霊信仰」という言葉は、もうすでにこの言葉自体が何かしら“穢れたもの”といった雰囲気をまとってしまっていて、私が思うところ、その雰囲気ゆえに正当な評価が妨げられているような気がします。
現在の大衆メンタリティを怨霊信仰と断じてしまうのは誤りかもしれませんが(本文はそういう誤解を招く表現になってます、反省)、何の関連もないはずはない。現在の大衆メンタリティの基礎になっているのは、旧来の怨霊信仰(穢れ信仰)と明治維新で導入された一神教的な「裁定者」への信仰がゴタマゼになったものだと私は見ています。それをはっきり位置づけたのが本村氏とその周辺でしょう。

Re:きちんと罪を憎め

>愚樵さんがあまりにいろいろなものを一つに書きすぎるから,本筋が読み取れなくなるのだと思います

いやぁ~、ご指摘はごもっともだと思います(^_^;)。私の頭の中はこんがらがった麻糸の如き有様で、ひとつの糸を手繰ると次々絡まりあった塊が出てきてしまう...。そんな感じなんです。かといって、この塊を快刀乱麻とやってしまうと単純な二分法に陥る(^_^;)。まだまだ修行が足りません。

>まずやるべきことは被害者の遺族の態度云々ではないはずです
私にとっては、加害者も遺族も“同族”なんです。いつか書きましたが、「訳ありのひと」というわけです。同族であると入っても、やはり惹かれるのは遺族の方。光市の事件でも同じです。だからどうしても遺族のことについて書きたくなってしまう。本文は遺族への非難のように読まれたのでしょうし、それはそれで致し方ないことですが、私にしてみればむしろ同情です。

“罪を憎んで人を憎まず”といいますよね。私は人間性善説ですからこの言葉を支持しますが、これを愚樵流にいうと“穢れを憎んで人を憎まず”。私にとって罪を憎むとは穢れを憎むことなんです。
本質的には善良な人間も穢されることで堕ちていく。もちろんこれはあくまで仮説ですが、もうすこしこの仮説をもとに思索を進めてみたいと思っています。

独り善がりといわれそうですけど(苦笑)

穢れと怨霊

人質バッシング、光市事件弁護士バッシングには日本独自の『穢れ』の考えが影響しているでしょう。

しかし此れを『穢れ信仰』と呼ぶのは如何でしょか。?
『穢れ』は信仰(宗教)よりもタブー(集団の申し合わせ)(暗黙の了解ごと)の範囲に収まるのではありませんか
『穢れ』と『怨霊』との間にはある程度の関連性はあるでしょうが『穢れ』=『怨霊』では決して無い。

『穢れ』は社会の構成員全員に降りかかる問題ですが、『怨霊』では特定の人々に不幸が降りかかる。

自分達が滅ぼした者(敵)が成仏できず『怨霊』となって自分や自分の子孫に祟るので、其れを防ぐ為に敵(怨霊)を『神』として称え敬い許しを請うのが『怨霊信仰』です。
日本古来の『怨霊信仰』なら靖国神社に祭られる『祭神』は当然中国人等のアジアの人々のはず。
『靖国』の神々は日本軍兵士。其れならば天皇の名で徴兵し天皇の名で戦争を始めたのであるから靖国参拝は天皇公式参拝こそが意味がある。
首相の公式参拝などは『天皇公式参拝』が出来ない為に、其の代用品として考え出された紛い物。偽ブランドのイミテーション。

>愚樵さんがあまりにいろいろなものを一つに書きすぎるから,本筋が読み取れなくなるのだと思います(^o^;)
ママちゃんさん,すみません.

す、すいません、私の言葉が引用されてたんですね、
気が付きませんでした、、m(__)m 

えーっと、愚樵さんのおっしゃることは難しいので、私の頭ではすっきり理解、というところまで行き着かないのですが、「それよりも」という言葉を入れたのは こうです。
今の刑法では判例上、3人なら死刑、2人で微妙、1人なら無期懲役までですよね、だからおそらくこの事件の犯人も死刑にはならないだろう、と思うのですが 別に私はそのことでどうこう言う気は全然ないし、それでいいと思うし 著名運動に参加して 死刑だ死刑だ、と言う気もないわけです。「それよりも」上記したことを改善してほしいな~、と そう思って勝手に書いたひとり言のようなものなのです。

罪を償うのは当然ですし、強盗殺人なら強盗殺人に見合う判決が下りるだろうと思います。たとえ死刑でないにしろ、それが罪の償いですし。 

テキトーな書き込みをして申し訳ありませんでしたm(__)m!
突っ込みがすごいんで、ちょっとびびりました!

ままちゃんさんへ

すみません.物凄い攻撃のように思われましたか?申し訳ありません.実は書き込んだ時刻は夜中の2時頃なんです.そう,つまりは酒の勢いで書いた文章なのです.いや,別に酒の所為にした見苦しい言い訳をしようというのではありません.ただ,本当は次のようなことを書きたかったのですが,ニュアンスが出ませんでした.すみません.失言大臣ではありませんが「真意」を説明させてください.^o^;)
「罪を憎んで人を憎まず」ということですが,最近は人を憎まぬあまり,罪まで憎み方がおろそかになっている感じを受けていたのです.そういうところでたまたまママちゃんさんの文章をみたので取り上げてぶつけてしまいました.
もちろん,ママちゃんさん自体を攻撃するつもりはまったくありませんでした.それこそ「考えを憎んで人を憎まず」です.(「考えを憎んで」というのはちょっと危険かなぁ・・)
ということで,「びびらせてしまったこと」ぜひお許しください.
========
あとで追加分です.すぐ上の「考え」という言葉は「風潮」に変えたいと思います.

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